訃報:入澤康夫
10月15日、入澤康夫が亡くなっていた。こういう日が遠からずやって来るだろうことは、昨年夏が最後になった詩人のtwitterに登場するあれこれから充分想像してはいたけれど、それでもやはりショックだった。
- 訃報:入沢康夫さん86歳=詩人、仏文学者 - 毎日新聞
- 入沢康夫さん死去 詩人・宮沢賢治研究:朝日新聞デジタル
- 入沢康夫氏が死去、詩人、フランス文学者 :日本経済新聞
- 詩人の入沢康夫さんが死去 宮沢賢治研究 - 共同通信 | This kiji is
- 入沢康夫氏死去(詩人、フランス文学者):時事ドットコム
- 入澤康夫 - Twitter Search、入沢康夫 - Twitter Search
いつものことながら、新聞での詩人の扱いの小さいこと、雑なこと。たとえば、比較的長い毎日の記事中にある「ネルバル」のような表記、ご本人は決して用いなかった体のものではないのか。というようなことはもはや気にしても仕方がないのだろうか。
熊が出ました。敦化の街に、
— 入沢康夫 (@fladonogakobuta) June 6, 2014
トトンカ、トントン
街の子供が ソラ 逃げました。
トトンカ、トントン。
「子供の熊」第一連(北原白秋『満州地図』1942所収)
我が小学五年の教室の書架にあった本。
「ジャジャンカワイワイ」の遥かな源泉。
トンカジョンがトトンカ、トントンなのか(^_^;)。
— neanderthal yabuki (@nean) June 6, 2014
こういう間の抜けた反応も拾ってくださる詩人さんだったのだ*1。同じところに目をつけ、返信としてtweetなさってらっしゃる方もあったのだけれど*2、僕は畏れ多くて直接返信の形では書けなかった。そういう発言までご覧になっていることに、エラく緊張してしまった。やれやれ。
西脇順三郎が亡くなった年、母校を会場にフランス文学会が開かれた。僕らのような学部の学生も手伝いに駆り出されたのだが、その折にいらしていた詩人から厚かましくも数冊の詩集にサインをお願いしたことがある。その当時はもちろん、思い出せば今でもドキドキする。そのときの詩集もすべて火事で焼いてしまったのだけれど。
生きているということを思い浮かべるだけで、何か世界が違って見えてくるような気にさせてくれるようなヒトは、もう何人もこの世には残っていないのだな。
詩集は多くあって、ほとんどどれもが僕には魅力的だった。一冊挙げるなら『牛の首のある三十の情景』か。二冊挙げていいならこれに『わが出雲/わが鎮魂』。定番に過ぎるというなら、代わりに『かつて座亜謙什と名乗った人への九連の散文詩』を挙げようか。それとも今後おそらく出るのだろう、最終版『入澤康夫〈詩〉集成』があれば良しということになるのか。
携行の便と値段を考えると思潮社現代詩文庫の3冊ということになるが、『わが出雲/わが鎮魂』のようなタイポグラフィ的な部分を含む作品に2段組はいかにも相応しくないのが悩ましい。
*1:僕のtweetの投稿日時をクリックして開くページをご覧になればわかるのだが、このtweetは、詩人からファボを賜っている。/改めて、Tweets liked by 入沢康夫 (@fladonogakobuta) | Twitterを眺めていたら、他にもチラホラ、どういう理由があってのことだか、僕の軽薄なtweetがいくつか。とくにneanderthal yabuki on Twitter: "西脇順三郎は、そういうあれこれをどう受け止めていたんだろう?"のようなtweetは、たしかに詩人のtweetを受けたものなのだけれど、パッと見ではそうと見えないはずのもの(だから、どのtweetを受けたものかは明らかにしないでおく)。このときもずいぶんビビってしまったのだった。情ない。
*2:cf. 藤 一紀 on Twitter: "@fladonogakobuta トンカジョンから出た音なのかと想像しました。"。/「トンカジョン」はもともと白秋の出身地柳川の、「ええとこのボン」というような意味の所謂「方言」、白秋自身の子ども時代の愛称「油屋のトンカジョン」に用いられていたことで知られている。