本日の備忘録/Amsterdam Installs Hemp Urinals to Stop 'Wild Peeing'

 GreenPee、男性小用専用とはいえ猫砂の応用でコンパクトな公衆トイレを作るとは、なかなかのアイディアではないかしら。水洗のためのコストがかからないし、移動や設置は簡便だろうし、用地確保の面倒も比較的には少ないだろう。やはり画期的なアイディアだというわけでだろう、CNNでも先日紹介記事が出てた*1

 観光地用としてはやはり女性用や大用のものも不可欠だろうから、これで公衆トイレ不足の完全解決というわけにはいかないかもしれない。とはいえ、たとえば、屋台の並ぶ場所や所謂「小便横丁」の類の飲み屋街……今さら公衆トイレの用地など確保しようがないようなところ、客層も男性中心というあたりであれば日本でだって受け入れられるんぢゃないだろうか。そうも参りませんかね*2。うーん。

 

 散歩好きの男性としては、こういうものであっても堺市街にはたくさん設置していただけるとありがたいなぁと思わずにはいられない*3

 

 それにしても、そうか、立小便って英語で「wild peeing」っていうのか。ワイルドなのか、あれはぁ。なんだかカッコいいぢゃないか\(^o^)/

 「立小便」というと人目をはばかりつつこっそりと致すものという感じだけれど、「ワイルド」となると辺り構わず下半身を豪快に曝け出してやらかす感じがいっそ清々しいくらいのもん。わざわざ公衆トイレなんぞを探さなくてもいいような気分になってくるぢゃないか、ってな具合に振る舞ったりしちゃうと、あらまたいへん、後ろに手が回っちゃいまさぁねぇ\(^o^)/

 

ついでのメモ

 すでに一度紹介済み、ナショジオの番宣ヴィデオ。別途利用しようとして、どのエントリで紹介したのだか、すぐ忘れてしまうので改めてここに置いておく。「アイスクリーム 発電 トイレ」のキーワードで検索にかかるようにしておくべし。

 というような当方の事情はさておき、トイレ発電っちゅうのもなかなかのアイディアだよね。でもって、立小便防止やプールの衛生確保が行われるというあたり。

 

 《東日本版のみの販売となります。中部版・西日本版・九州版につきましては、建築ジャーナルへお問い合わせください》とのこと。うーん。

 

 

*1:cf. 「Amsterdam installs sustainable urinals to combat "wild peeing"」(CNN Style)。まだちゃんと読んでない\(^o^)/

*2: まぁ、酔っ払いのゲロ対策が別途必要になっちゃうと、この手洗いの利便性は一気に損なわれちゃうかもなぁ。アレはやっぱり水で勢いよく流せるほうが処理は楽だわねぇ。

*3:cf. 「本日の重要問題/堺の公衆トイレ」

本日の備忘録/気候変動と歌の終わり(仮)

 別にだからどうしたということで大騒ぎするつもりもないのだけれど、あぁ、これでまた、と思ったことを書き留めておく。

 

あはれ
秋風よ
こころあらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉ゆふげに ひとり
さんまをくらひて
思ひにふける と。


さんま、さんま
そが上に青き蜜柑みかんをしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまのはらをくれむと言ふにあらずや。


あはれ
秋風よ
なれこそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒まどゐを。
いかに
秋風よ
いとせめて
あかしせよ かの一ときの団欒まどゐゆめに非ずと。


あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。


さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

(大正十年十月)

佐藤春夫『我が一九二二年』(青空文庫)から*1

 謂わずと知れた佐藤春夫の「秋刀魚の歌」だ。「謂わずと知れた」と書いてはみたものの、しかしどうなんだろう、今のお若い方のどれほどが読んだ経験をお持ちなのか。少しばかり古風な音律と言葉遣いと感傷と、……お若い方たちが進んで読むには、作品の言葉自体が少々古びてしまったととりあえずはいえるんぢゃないか。そういう不安もないではない。

 もちろん、そういう古び方にもかかわらず、僕のような無教養な者であっても読めてしまうシンプルな組み立てがあって、しかもシンプルであるにもかかわらず、選ばれた言葉の組み合わせの巧みによって、辞書や註釈に頼らずとも、表現される感傷の質はニュアンスに富んでいるように読める。そのへんは「謂わずと知れた」名作の名作たるゆえんということになるんだろう。

 ところが、だ。冒頭に示したみたいにサンマが1尾6000円もしちゃうというような事態を迎えた現在、「謂わずと知れた」状態が今後も続くのかどうか、こちらに関しては不安を覚えたからといってもバチは当たらないんぢゃないかという気がする。

 「秋刀魚の歌」の中でサンマは、ともすると自己憐憫に流れちゃいかねないような感傷に、微妙なユーモアをもたらしている。おかげで感傷のベタベタした厭らしさがない。その点において凡百のメソメソ作品とは一線を画し得ている。では、サンマがなぜそのような効果をもたらしたかといえば、サンマが身近な、というか卑近な喰い物だからだろう。侘しい暮らしの中で、サンマでも喰うか、ってところが肝要。ここでうっかり国産天然鰻だとか絶滅寸前黒鮪の大トロだとかのご登場ということになっちゃぁ、この作品の一切合切はご破算になっちゃう。ということはつまり、1尾6000円という価格には、「歌」の魅力をぶち壊しにするにはじゅうぶんな破壊力があるということぢゃないか。

 

 今年の不漁がたまたまの、たとえばなにがしかの天候不良に因るものだとするなら、騒ぐ必要などない。来年になればなんとかなる。でも、サンマの不漁はここのところの傾向としてあるという感じだし、さらにその原因を考えると、たぶん一世紀やそこいらは回復しない可能性だってありそうだ。

 

 道東沖から親潮が遠ざかってしまったことが昨年のサンマ不漁の原因として考えられているらしい。

 「親潮」は小学校でも習う日本近海の代表的な寒流だ*3。寒流が日本から遠ざかっている、みたいな話を聞くと、気になってくるのは気候変動、地球温暖化とのつながりのアリやナシや。

 ここ数年の台風をめぐる報道を目にしていると頻繁に登場してくるのが、日本近海の海面水温の上昇だ。海上の熱から台風はエネルギーを得る。日本近海も以前より水温が上昇しているため、接近しつつも台風は勢いを増し続け、結果として日本に大きな被害をもたらすようになったとかなんとかいうヤツだ。

 つい先日発生した台風8号でも見られる以下のような図が、ここ何年かの台風報道ではしばしば取り上げられるようになった。

 こういう図を目にした方は多いんぢゃないか。こうした海面水温の上昇は、台風の類の大型化を引き起こす原因となるものとして前世紀末から地球温暖化をめぐるアレコレの一つとして語られてきたものでもある。僕のような素人には、寒流である親潮が勢いを失い道東から離れてしまうという出来事と日本近海の海面水温の上昇という出来事との間に関係があるように見えてしまう。もし地球温暖化親潮の流れの変化に関係があるとすれば、サンマが卑近な喰い物であるという事実の上に成立していたかもしれない「秋刀魚の歌」は、ますます読まれない作品になっちゃうかもなぁと思えてくる。温暖化それ自体は、もはやもとに戻せない現象としてあるからだ。「今日ではすっかり高級食材として食されるサンマだが、作品が書かれた当時は大衆的な喰い物としてヒトビトに好まれていた」みたいな註釈を読んだとしても、肝心要であるかもしれない微妙なユーモア、ペーソスみたいなものはストレートには感じ取られ得ないだろう。というか、そういう場合についてくるのが註釈というものだろう。結果として、詩的なチャームみたいなものはこれからの読者からは見えないものとなってしまうことになる(のかどうか)。あらまぁ、いやはや、やれやれだ。

 

 構成する言葉が古くなった結果として作品が読まれなくなってしまうってなことは別段珍しくもなんともない。けれど、一篇の詩作品が、地球温暖化に因るかもしれない魚の価格高騰によって決定的に古びてしまう瞬間を目の当たりにするなんていうのは、そう滅多あることぢゃないだろう。だからして、それなりに衝撃的な出来事ぢゃないかなぁ。そうでもないですかね。うーん。

 

 ついでながら……。

 先日解禁になった本格的なサンマ漁、棒受網漁による初水揚げがようやくあったとの報道。

 冒頭に上げたのよりずっとお安くなってはいるものの、このエントリの論旨を変更しなければならないような安さではないだろう。一貫360円は、下のヴィデオに登場する店では大トロと同じ価格なのだそうだ。あらま。

 

殉情詩集・我が一九二二年 (講談社文芸文庫)

殉情詩集・我が一九二二年 (講談社文芸文庫)

  • 作者:佐藤 春夫
  • 発売日: 1997/07/10
  • メディア: 文庫
 

 佐藤春夫、就中詩集となると紙の書籍でホイホイと買える状態ぢゃなくなっているのね*4。改めてびつくり。佐々木幹郎の解説ということでこれを選んでみたけれど、これもマケプレものしかござんせん。気候変動の如何にかかわらず、どのみち読まれなくなる詩人さんということになるのか\(^o^)/。佐藤春夫、格別の思い入れのある詩人・作家というわけぢゃ全然ないのだけれど、読まずに打っちゃっておくのももったいないぜぇぃ。

 

 

*1: 日本語テキストはそのままコピペしたけれど、引用の都合上htmlは大幅に手を入れた。

*2: ただし、番組中、水産研究・教育機構水産資源研究所の黒田 寛氏によれば、今年は親潮が道東に接近しており、サンマがいれば追々水揚げは増えるのではないかとのこと。

*3:cf. 「海水温・海流の知識 親潮」(気象庁)

*4:cf. Amazon.co.jpでの「佐藤春夫」の検索結果。「アマゾンすすめ商品」、あらまびつくり、上位はことごとくKindle版になっちゃってる。

本日のSong/Saya Gray - ZUCCHINI DREAMS (AUBERGINE MEMORIES)

 Saya Gray、さっそくの第2弾。やはりベース中心の音作り、バックの声の中の日本語も前回通り。このへんが来たるべきソロ・アルバムの基調となる作りなんだろうか。

 しかしなぁずいぶんケッタイなタイトルぢゃないか。「ズッキーニの夢(茄子の記憶)」。ご本人はベジタリアンだったりするんだろうか。だからして、「私(ベジタリアン)の世界へようこそ!」*1という具合になるんだろうか。うーん。歌詞がすっきりとは聴き取れないというのがもどかしいところ*2

 何にしても、このヒトの来たるべきソロ・アルバムは愉しみに待っていても間違いはなさそうだ*3

 

 その他目新しい情報集めはしていないm(_ _)m。「本日のSong/Saya Gray - SHALLOW (PPL SWIM IN SHALLOW WATER)」など参照されたし。

 

おまけ

 どうも以下のヴィデオに登場しているのがSaya Gray本人らしい。他のヴィデオよりご本人がよく映っているということでまぁ。

 若手でこういうヴィデオに起用されるということは、ベーシストとしてそれなりの評価がすでにあるということなのかな。これまでに公開された2本の音はいずれもがベースを中心に構成されているあたりからしても、ベーシストとして追々いろいろ話題が出て来るんだろうな。

Fender エレキベース Player Precision Bass®, Maple Fingerboard, Buttercream

Fender エレキベース Player Precision Bass®, Maple Fingerboard, Buttercream

  • 発売日: 2018/06/20
  • メディア: エレクトロニクス
 

 ベースのことはさっぱりわかんないのだけれど、ヴィデオ中のベースはたぶんこれかな。ヴィデオが公開されたのも2018年6月だし。

 こういうときの褒め言葉がどの程度信用されるべきものなのかちょっと見当がつかないのだけれど、彼女の発言に加えてお値段を考えても入門者、初心者が取り組んでみるに都合のいい1台ではあるんだろうな。

 

*1: 小さめの音量で流れる日本語に注意されたし。

*2:【8月10日ホイ補遺】これお盆ネタなのかもね。そう書くとベジタリアン以上に冗談っぽく受け止められちゃう気もするけれど。/ホレ、胡瓜で精霊馬、茄子で精霊牛、割箸を刺して作るぢゃないですか。ズッキーニだって胡瓜のデカいヤツみたいなもの、カナダだとそっちで代用しちゃう日系人コミュニティがあったっておかしくないでしょ(おかしいかなぁ。う~ん)。細かい話は知らないけれど、馬は早く死者にこの世へ戻ってもらうため、牛はあの世とこの世の間、重い荷物を運ぶために用意するのだとかなんとか。でもって、死者に対して「ようこそ、私の世界へ!」となる。タイトルと歌には収まっていない日本語だけで、そう解釈するのは早とちりの原因ってな感じがしなくもないけれど、ヴィデオが公開されたのが盆の直前期だったりもするわけで、案外当たってませんかね。ダメかなぁ。う~ん。

*3: YouTubeではもう彼女のTopicが出来ている。cf. Saya Gray - Topic - YouTube

本日のSong/Sarah Jarosz - Johnny

 先日公開されたサラ・ジェローズ*1(Sarah Jarosz)の最新アルバムからのMV。

 最新アルバム『World On The Ground』全体は、すでに本人のYouTubeチャンネルから音源のPlaylistの形で公開されているのだけれど*2、紹介する時宜を逸しちゃってたというわけで、まぁ*3

 

 作曲・編曲・演奏、いずれも手堅いところに独特の声質の魅力が加わるというあたり最早動かないのかな。音楽的出自であるカントリー・ミュージックから少し離れて、「都会的」とか何とかいえばいいのか、洗練の度を増してもいる。ポール・クルーグマン(Paul Krugman)の金曜日コラムでSarah Jaroszを初めて知った頃の「Build Me Up From Bones」(YouTube)も、カントリー・ミュージックからの洗練は伺えたけれど、さらにそうした傾向が推し進められたというような。もちろんカントリーの趣は今も十分感じられるから、このへんは異論もありそうか。

 歌詞についてはこれからゆっくり読み込んでみるつもり*4

 

 それにしても、バックのアニメーションがなんだか奇妙。たしかに面白いご尊顔ではあって造形的に弄り甲斐もなくはないような気がしないでもないのだけれど、う~ん、しかし切り刻むような扱い方には抵抗を覚えちゃうなぁ。面白いけれど^^;

 こういうヴィデオになった理由ってどんなものなのかな? コロナ禍の只中、ヒトをひと処に集めてことをなすには憚りがあるというところなんだろうか。で、アーチスト本人ただ独りを素材にして、少人数、ひょっとすると独りのアーチストの手で弄り倒した映像を使って人目を引こうという戦略を、となると、どうしてもケッタイな仕上がりに……というような。そういえば、つい先日公開された「Molly Tuttle - Olympia, WA (Rancid Cover - Official Music Video)」(YouTube)もMVに登場するのはアーチスト本人だけ、あとは画像の適当な加工と切り貼りだけだったし、「Taylor Swift - cardigan (Official Music Video)」(YouTube)なども、いつもならうぢゃうぢゃとバックダンサーその他を従えてのご本人登場となりそうなところ、やはりアーチスト本人が登場するばかり、「Billie Eilish - my future」(YouTube)に至っては全篇アニメでアーチストさえ実写としては登場しない。もちろんそういうヴィデオはこれまでだって撮られたことがいくらでもあるわけで、わずか4例を以ってして断言するわけにはまいらないけれど、同時期に僕が愛好してやまないアーチストのPVに、アーチスト本人しか登場しないあるいは本人すら登場しないという傾向がコロナ禍によって生じている可能性くらい蝶々してもバチは当たらんでしょ。で、その他の細かな違いはアーチストそれぞれが使える予算の違いによるものだといえちゃうのかもな。と考えると、Molly姐さん、ちょっと切ない。

 

 と、そんなこんなで(なのかどうか)相変わらずSarah姐さんイカしてますわ。

 

World On The Ground

World On The Ground

  • アーティスト:Sarah Jarosz
  • 発売日: 2020/06/05
  • メディア: CD
 

 リンク先にCD以外のストリーミング、MP3、アナログ盤へのリンクもある。

 

*1: 「ジャロスズ」とか「ヤロス」とか表記されることあり。YouTubeで聴いているかぎりでは、Jaroszの「Ja」は「ジャ」「ジェ」あたりに近いように聴こえるけれど、自分の耳など信用できんしなぁ\(^o^)/。Wikipedia日本語版にも今のところ項目がない。というわけで、ここでの表記はテケトーなものでしかない。

*2: 当初は他の作品と同様、「Johnny」もジャケ写と音源のみのヴィデオだったのが、現在では冒頭紹介したヴィデオに入れ換えられている。

*3: ついでながら、「Johnny」については、「Johnny - Sarah Jarosz | Live from Here with Chris Thile」(YouTube)も公開されている。

*4: 例によってDeepLの翻訳にかけてみた。cf. DeepL翻訳