コンピュータ時代の文章作法

 僕たちは今まで文章の書き方を、日本語の正確と文章構成からのみ考えてきた。でも今やだれもがコンピュータを通して文章を綴り、文面のみならず紙面構成をも書き手が自由にコントロールできるようになっている。そうなると、僕たちは字面のあり方や見た目のデザインをも考慮に入れた、つまり文書の仕様の一切をも視野に収めた文章作法を考えなければならないだろう。

 清原一暁、中山 実、木村博茂、清水英夫、清水康敬「文章の表示メディアと表示形式が文章理解に与える影響」(論文情報ナビゲータ、国立情報学研究所)によれば、

本研究では,印刷物による提示とコンピュータ画面の提示による文章理解の違いを調べ,わかりやすい文章提示の方法を検討した.文章の理解度を内容に関するテスト成績で調べた.その結果,表示メディアについては,提示方法によらず印刷物がディスプレイに比べて良いことが分かった.また,LCDがCRTよりも理解度において優れていることが分かった.さらに,すべての表示メディアにおいて,明朝体と比べてゴシック体の方が文章理解において成績が良い事を明らかにした.

抄録

という。もちろん、上のようなことは何となく日常的な実感としてはあったわけだけれど、それがはっきり検証されたとなるとまた話は別だ。文章作法が、より目的にかなった書面構成のための方法論だとするなら、どういうメディアを通して文章を提示するのかもまたその考察対象としないわけにはいかない。

 文章として優れたものであるためには、日本語の正確さや文章構成のあり方ばかりでなく、どのようなメディアを通すべきか、どんなフォントを用いるべきか、そういうことも視野に収めなければならない時代になっているといえるだろう。たとえば、僕たちは少なくとも紙の文面において明朝体をデフォルトと捉える傾向がある。傾向があるというよりも、もうそれは慣習なり文化なりというべきものになっているかもしれない。しかし、この研究結果を素直に受け止めるとするなら、この明朝体文化みたいなものの改革も考えるべきときに直面しているといえそうだ。

 これは漠然と想像するよりたいへんなことかもしれない。たとえば、教科書類は年齢の低い層を除けば、基本的に明朝体で印刷されている。よりよい理解をもたらすからといって、はたして一気に教科書のすべてをゴシック体に切替えられるだろうか。あるいは新聞・雑誌は? 個人的に書く文章であってもなかなかゴシック体で書くことに抵抗を感じる人だって結構な数いらっしゃるんじゃないだろうか。

 コンピュータディスプレイ上の文書の場合、視線はまず上方と左側が重点的にたどるといった話も今や広く知られるようになってきた。より人に読まれ、より深い理解を得ようとするなら、文章作法は言葉の組み立てのみならず、紙面やディスプレイ画面の構成すべてを対象としなければならない、そういう時代になったといえるのだろう。

 

エディターズ・ハンドブック 編集者・ライターのための必修基礎知識 (Editor’s Handbook)

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 そういうことをつらつら考えていると、僕たちに必要な文章作法は編集者の知恵を包括したようなものになってゆくのではないかと思えて来るがどうだろうか。