直前期小論文講座その2/頼むから設問はじっくり読んでくれ!

 わかりきったことだ、と思いたいのだが、残念なことにそうではないのが設問の確認。

 たとえ設問より課題文や図表などの資料が先に提示されていたとしても、まずは設問を確認するところから作業は始めよう。

 問題が何であるのか、何をどのような条件の下で考えなければならないのか、は、課題文読解やデータの解読以上に重要。ここでしくじれば、課題文やデータがちゃんと読めたって高得点は望めない。

 今回はそのへんについてちょっとブッてみた。

 

標準的な問題の分析

 世の中でテクニックみたく云われているものだって、問いの求めをしっかり読めばおのずと導出される。たとえば、樋口裕一先生の「yes/noを書け」というヤツだってそうじゃないかなぁ。少なくとも標準的な「次の文章を読んで、××についてあなたの考えを○○字以内で述べなさい」といった問題の場合は。

 この場合、問いの求めは、

  1. 指定された文章を読む
  2. ××についての考察を提示する
  3. 上記2つの求めに応じていることを○○字以内の筋の通った文章にまとめる

の3つを要求している。

 まず、文章を読む作業。これは単にフィジカルな目を通す作業を意味しているわけじゃぁない。

 答案は設問に応じていることを明確に示したものでなければならない。とすれば、採点官が見たとき、「なるほどコイツはちゃんと文章を読んでいるな」とわかる答案になっていなければならない。「読む」という以上、何か文章の適当なところに触れているというだけでは不足がある。やはりきちんと読めていることを読み手である採点官にアピールしようとするなら、提示された文章のポイント、たいていの場合はそのメッセージを誤りなく捉えていることを示さなければならない。つまりは、文章の要旨を捉える必要が出てくる*1

 次に「××についての考察」を展開したいけれど、でも小論文の答案は、当然のことながら、「○○字以内の」一つのまとまった文章でなければならない。だから、最初に提示された文章の要旨を書き、それとのつながりなしに、「××についての考察」を展開したのでは、一貫した論旨を持たない文章になってしまう。要旨を提示し、なおかつ一貫したまとまりのある文章にしようとするなら、提示された文章のメッセージを捉え、それに対する賛否を出発点にして×× についての考察を展開するというのが、一番考えやすい手順だということになる。つまりは「yes/no」を軸に答案を構成することになるというわけだ*2

 もちろん、この対応がすべての設問に対して有効だってことにはならない。提示された文章がメッセージを伝えるところに主眼がないタイプのものだった場合なんかがいい例だ。メッセージじゃなくて事実が羅列してあるだけの資料に対して、賛成だの反対だの云ってみたところで、お莫迦なたわごとにしかならない。「私は木からりんごが落ちることに反対である」とかね。そういうお莫迦をやらかさないように、設問ごとに、どんなタイプの記述が求められているのか、忘れず確認しよう。

 

 他にもね、「小論文」と称する問題がいつだって君の「意見」を求めているとは限らない点にだって注意を喚起したい。「考えを述べよ」なら、意見が求められていると考えられるわけだけれど、中には「説明せよ」という問題だってある。そういうの、もう読み飛ばしちゃって条件反射的に自分の考えばかり述べてる答案って珍しくない。説明と意見の違いはわかるよね。いわゆる「テクニック」だけで条件反射的に答案を作成していると*3、そういう当たり前の日本語の違いを無視した答案を仕上げちゃうってことも生じてくる。だからして設問はちゃんと読んでくれよ。

 

高度な問題になるほど設問が重要な考察の糸口になることって多い

 たとえば、次の設問を見てほしい。

 アメリカ合衆国には、宗教上の理由から、自動車、電気、電話、テレビなどの使用を制限し、ほぼ300年前の暮らし方を続けている、アーミッシュと呼ばれる人々がいます。彼らの生活は、エネルギー消費が少なく、過度な情報に振り回されることなく、家族が強い絆で結ばれており、私たちに科学技術の進歩の意味を問いかけています。

 資料1はアメリカ合衆国ペンシルバニア州出身の実業家が自分の生まれ故郷のアーミッシュを郷愁をもって紹介している本からの抜粋、資料2は日本人のジャーナリストによるルポルタージュからの抜粋です。資料3-1と3-2はアーミッシュの生活の一部を示す日本人の写真家による写真です。

 これらの資料を参考に、アーミッシュの人々の生活を一つのモデルとして、君たちの生活と具体的に比較することによって、20世紀の近代科学技術の発展が現代の生活に与えた影響のプラス面マイナス面の両面についてそれぞれ考察した上で、21世紀の科学技術の発展と暮らしのあり方についての意見を記述しなさい。解答欄は1000字ありますので、その中に必ず、科学技術の発展が与える影響のプラス面、マイナス面、そして21世紀の科学技術の発展と暮らしのあり方の3項目がわかるように、記述しなさい。

(2000年慶應義塾大学環境情報学部、資料省略)

 設問は、資料の読み筋や答案構成を教えてくれる大切な糸口になることだってある。

 そもそもだいたい、小論文で読解なり参照なりが要求される資料って大学でのレポートをこなすために読まなきゃいけなくなるようなタイプの文献なんかに近いものだ。そういうのって、フツーならまずレポートの課題が先にあって、調べなきゃいけないこと、考えたいこと、とどのつまりは問題意識をはっきり持ったうえで読むことになるものだ。別にレポートの課題がなくたって、文芸書みたいのを読むんじゃないフツーの勉強や調べものってそーゆーもんでしょ? だから、よほどの例外的なケースでなければ、設問を頭に入れてから(つまり問題意識を明確にしてから)資料に当たるというのが常道であって、資料を先に読んでから設問を見るというのはむしろ奇妙なアプローチだということになるわけ。

 

 ここでも設問前半部は資料をどういう問題意識で読まなければならないのかが明記されている。《彼らの生活は、エネルギー消費が少なく、過度な情報に振り回されることなく、家族が強い絆で結ばれており、私たちに科学技術の進歩の意味を問いかけています》というところ。そういう内容を意識して読まなきゃいけないってわけだ。でもって、ということは、出題者は《僕たちの生活は、科学技術の進歩のために、エネルギー消費が多く、過度な情報に振り回され、おまけに家族の絆が弱まっている》って考えているということにもなるだろう。そうなってくると、資料を読みながら、科学技術の発展が与える影響のプラス面、マイナス面をどんなふうに考えればいいかについてもみえてくるはず。

 で、さらに設問後半。《解答欄は1000字ありますので、その中に必ず、科学技術の発展が与える影響のプラス面、マイナス面、そして21世紀の科学技術の発展と暮らしのあり方の3項目がわかるように、記述しなさい》を読めば、答案がどのように構成されなければならないかも一目瞭然だって具合。「3項目」がはっきりわかるように書くには、それぞれの項目にひと段落を当てればいい。で、全体の議論の概括を示す段落を冒頭に置く。そういう4段落構成の答案がくっきり見えてくる。機械的に字数配分すれば、それぞれの段落に250字程度割くことになる。冒頭の段落を少なめにして、問題点をクローズアップ、展望(結論)を語る第3、4段落に字数を割くといいだろうって見当もつく(人にはつくよね?)

 

 設問そのものを考えないと、何が本当に考えなければならない問題なのかを見失うことになる。どんな問題にも通用する解答パタンがあるわけではない。そういう当たり前のことをよっく考えてほしい。何が本当の問題なのかを考えるっていうのは、問題解決一般においても重要事項なのだ。

 

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

 

 問題発見——解決を考える名著。問題を解決するためには、本当に対処しなければならない問題をちゃんと見つけなければならない。そういうことがよっくわかる本。訳文はいろんな工夫がある割には読みづらいところもある。でも、不明点をとりあえずペンディングして読みを進めるとたいていのところはちゃんと理解できるように書かれている。入試小論文ではそんなに利用されることはないんだけど、それでも弘前大学などに出題歴アリ。

 とはいえ、受験生よりも指導者さん向きかな。

 

*1: それがすべてだとはいうわけではないんだけど、まぁ、一番間違いがないところだろう。

*2: yes/noを書くという云い方には、もう一つポイントがあって、はっきりとした命題を提示しなくちゃいけないというレポートなり論文なりの基本ルールをキャッチーな云い方にしているってところもある。そういう基本に則るかぎり、「yes/no」批判って、受験産業にありがちな足の引っ張り合いに過ぎないのだな。たしかに樋口モノの解説や解答例にはときどき首を傾げたくなるものだってある。けれど、そのことと「yes/no」っていうキャッチーな云い方への批判は別に考えなければならないんじゃないかなぁ。小論文だと指導者間の見解の相違みたいなことだってあるから、僕が首を傾げたとしても僕のほうがスットコドッコイってことなのかもしれないしぃ\(^o^)/。

*3: それって「テクニック」のせいじゃなくて使い手の問題だわね。