その「わかりやすさ」、ちょっと疑ってみよう

 「わかりやすさ」の大切さなど今さら繰り返す必要はないのかもしれない。でも、どのようなやり方でどんな「わかりやすさ」が生まれているかはよくよく考えたほうがいい。とくに書く側ではなく読む側、話す側ではなく聞く側の立場を考えたときには。

 

「わかりやすい」マニュアルの話

 そんなことを考え込ませてくれるのが、「ユーザサポートでめちゃくちゃ感謝された経験について話す」(はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記) というエントリだ。

 書き手氏が企画したモデムは、野暮な段ボール梱包の他社製品と異なり、「カラフルな化粧箱」をパッケージにしたことで大売れする。しかし、添付されていたマニュアルはいかにも貧弱だったために、売れ始めてから電話によるクレームが殺到したという。そこで書き手氏は一計を案じる。

サポート電話がつながらないという販売店からの苦情をきいた社長が僕の机まで飛んできて怒鳴りつけられた*1。4人全員で電話を受けろ、サポート時間を延長して残業してでもできるかぎりの電話を捌け、それが客に対する誠意だ、と叱責された。そんなに激怒した社長を見るのは初めてだった。

いや、ぶっちゃけそこまでやっても無駄ですからやりませんと僕は初めて社長と喧嘩をした。強引に社長の指示を拒否して、ぼくがやったのはマニュアルのつくりなおしだった。サポートを1回線にしたことで浮いたスタッフひとりといっしょにわかりやすくてカラフルなマニュアルを大急ぎでつくりなおして登録ユーザ全員に発送した。また、それだけでは不十分だと考えて、当時、でたばかりのショックウェーブをつかって、音声と写真でモデムの接続と設定をナビゲーションしてくれるマルチメディアマニュアルをつくってユーザへ無料配布するCDROMに同梱した。

結果、どうなったかというと、配布して直後に大量の感謝の手紙がサポートセンターに届き始めた。買ったあとにもサポートされるなんて思ってもみなかった。パソコンを買って、こんなに親切な対応をしてもらったのは、はじめてだ。自分みたいな初心者にも本当にわかりやすいマニュアルでありがとうございます。など。

そしてサポートにかかってくる電話も急激に減り、たまにかかってきた電話も、みんな恐縮した電話ばかりになった。こんなに丁寧なマニュアルがついているのに、つかえないのは自分が悪いんだと思っているからだ。

実際には当時としては画期的にわかりやすいようにみえるマルチメディアマニュアルもケーブルをつなぐところをコネクタの写真から説明するあたりは衝撃的にわかりやすいが、Windowsの設定になるとやっぱりわかりずらく*2自動とはいいがたいつかいずらさだったんだけど、そのことも初心者のユーザには判別できない。だから、設定できないのは自分が悪いせいだと思いこんでメーカーへの不満は生まれない。

強調、引用者

 売り出す立場からすれば、なるほどこれは真似してみようと思える話なのかもしれない。しかし、消費者の立場からするとどうだろう。余計なギミックに誤魔化されていたということになりやしないか。知らぬが仏のおまぬけってことになっちゃいやしないか。

 

狐博士の陰謀

 実は、こういう余計なギミックによって「わかりやすさ」、少なくとも受け手が感じるわかりやすさの印象が増してしまうという話はいろいろあるのだ。たとえば、Dr. Fox effect*3*4

 大学生を相手に、一つのクラスでは、内容は支離滅裂、しかし話術、非言語的メッセージは巧みに、俳優が扮するドクター・フォックス(キツネ博士)氏が講義します。別のクラスでは、理路整然と、しかし話術、非言語的メッセージは控えめにしたドクター・ジャパン氏が講義します。講義終了後に、学生にそれぞれの先生の授業を評価してもらいます。

 どちらのほうが、いい評価を受けたと思いますか。

 ドクター・フォックス氏のほうです。なんと、内容についての評価点もドクター・ジャパン氏よりよかったのです。これは、ドクター・フォックス効果として知られています。内容さえよければ、発表のしかたはどうでもいいと考えがちな日本人には、ドクター・フォックス効果は教訓的ですね。

 ちなみに、授業評価の観点には、内容のよしあし、講義のしかたの巧拙、さらに教師の熱意の三つがあります。ドクター・フォックス効果は、内容だけよくても学生はついてこないという教訓を、教師に投げかけています。

(海保博之『学習力トレーニング』岩波ジュニア新書)

 実際の研究には「ドクター・ジャパン」という名前の人物は出て来ないようだけれど(^_^;、興味深い話だ。海保の紹介にしたがって考えると、「内容は支離滅裂」であっても、巧みな話術や派手なジェスチャーを駆使すれば、講義の内容についてさえ高い評価が得られてしまう。本当に支離滅裂であったとするなら、学生たちは一体内容の何がわかって高い評価を出したのだろう? 何も理解できたはずはないのに、理解できたと思い込んでしまったのだろうか。それとも先のマニュアルのケースのように、これだけ巧みな話術を介して行われる講義に、理解できないのは自分のせいだと誤って思い込んでしまったのだろうか。

 あるいは、これはちょっと何で目にしたのか、記憶があやふやなんだけれど、ウェブページの場合。テキストとはほとんど関係のないものであっても、画像が適宜配置されたページのほうが、わかりやすい、理解しやすいとの印象を抱くユーザが多いなんて話もあるみたいだ。僕たちがついつい見てしまう有名ブログのあれこれを思い浮かべてみると、たしかに内容とは直接の関係はないけれど、ちょっとしゃれた写真画像がそれとなくエントリに添えられているところって結構あるよなぁ。あれはわかりやすいという印象を醸し出すために用いられているんだろうか。

 

「わかりやすさ」を疑え

 このように見てみると、書き手・話し手の側から見た場合と読み手・聞き手の側から見た場合でそれぞれに異なった教訓が得られそうだ。

 書き手・話し手側にとっては、受け手に提示するコンテンツはそのコンテンツの充実のみではなく、提示の仕方そのものにも工夫を凝らすことでより効果的に受け手に受け止められるという教訓。

 そして、たぶんこちらがより一層重要になってくると思うのだけれど、読み手・聞き手の側からすれば、わかりやすいと思えた話であっても、それが本当に理解できたのかどうか、一度自分の頭で理路を確認し直すことが必要だという教訓だ。

 学校時代であれば、学習した内容を復習するということもあったかもしれない。ちゃんと復習するのであれば、狐博士につままれたまんまってことも避けられるかも。でも、社会に出てからはどうだろう? 読んだ内容は読みっぱなし、何となくわかった印象のままで済ませていたりしないだろうか? そういう状態に甘んじていると、わかったつもりになっただけで、実は狐博士にすっかり化かされていたということになっちゃうのかもしれない。見た目のファッショナブルなところに誤魔化されて、ナンセンスをありがたがるなんていうのも、実はこういうのと似た出来事なのかもしれんよなぁ。

 

「わかりやすい」話を耳目にしたら、その「わかりやすさ」が話のどういうところに由来するのか、一度は疑ってみる必要がありそうだ。

 

学習力トレーニング (岩波ジュニア新書 (468))

学習力トレーニング (岩波ジュニア新書 (468))

 

 最近のライフハック本と比べると地味な内容だけれど、対象読者層が中高生、判型のおかげもあって、どこでもさっさと読めて有益なんぢゃないかしら。

 

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

 

 "Fashonable Nonsense"。

*1:ママ。

*2:ママ。以下同様。

*3:cf. google:Dr. Fox effect

*4:cf. google:ドクター・フォックス効果