本日のお散歩/本法寺
稲荷を祀った狐にもさまざまな種類がありそのなかでも人間に福徳をわかつ
福狐 として白狐 だけが稲荷大明神の御眷属にえらばれる資格があると云われている。白狐は財物に恵まれることと人生の幸福を授かると語りつがれているが熊谷稲荷は白狐を祀った稲荷で江戸浅草本法寺と東北の弘前の津軽藩公が祀った二箇所だけしかないきわめて珍しい稲荷で江戸時代から霊験あらたかなお守札をだしている稲荷として世に知られている。
ちょっと日本語がでこぼこした感じだけれど、へぇーって話だなぁ。「世に知られている」のなら説明の用はないような気もするけれど、僕は知らなかったのだから、ありがたく承っちゃう。
本法寺は「はなし塚」でも有名。
「本法寺 はなし塚」あたりでググると、いろいろ解説が出て来る(cf. google:本法寺 はなし塚 )。オフィシャルな解説は、「はなし塚」(日蓮宗長瀧山本法寺)。オフィシャルな解説には、戦時体制下の話しか出ていないけれど、同様に戦時体制下に迎合した噺が戦後こちらに収められたとかなんとかいう話もあったんぢゃなかったっけか。どういうふうに世の中が変わっても、扱いの面倒なものは封印することに変わりなしということなんだろうか。とするなら、世の中の変化にもかかわらずヒトは大勢として大して賢くはなれないままだということなのかもね。
アクセスは「交通のご案内」(日蓮宗長瀧山本法寺)を参照されたし。界隈をなんとなくブラブラしていても、寺の塀を目にすればすぐわかるという感じ。
立ち読み課題図書、その他
タネンバウム大先生 といえば、僕みたいな門外漢にとっては、まず何よりも「アンドリュー・タネンバウムとリーヌス・トーヴァルズの議論」(Wikipedia)のことを思い浮かべる。こういう話、素人にはチンプンカンプンなのだけれど、しかし結局のところ、技術は純粋に技術的側面、あるいはその原理的な側面でのみ評価できないんだな、ってあたりが興味深い。RMSミーハーとしては、GNU Hurdが使えたりするとカッコいいのだけれど、もはや普及の可能性はほとんどなくなっているというところではないか。結局フリーなOSとしてはGNU Linuxのみが大きな力を獲得するに至っただけだ。そこいらへんを考えると、特定の技術が社会に受け入れられるには、あれこれ純粋ならざる条件ってのがデカいんだなというあたり、改めて考えたり考えなかったり。
それにしても、オープンソースウェアとかLinuxとかを全般的に扱った書籍って、めっきり見なくなっちゃったなぁ。
*1: 確認してみたら、寺のサイトに解説が出ていた\(^o^)/。cf. 「熊谷稲荷」(日蓮宗長瀧山本法寺)。