御徒町回春堂医院跡

御徒町回春堂医院跡、2011年6月

《neanderthal yabuki on Twitter: "御徒町駅近く。こんなところにもアーチ(風)窓があったのだった。これもやはり関東大震災期~復興期の建物なんだろうか? #okachimachi http://twitpic.com/5bv3ns"》と、写真を twitterに上げたところ、

との反応を賜る。てっきりアーチ窓があるんだから、復興期あたりの建物に違いないと決めてかかっていたのだけれど、こんなに駅近くなのだから、たしかにそうそう古いものが残り続けるのはむずかしいかもしれない、そもそもこれが回春堂医院/十仁病院跡だなんて、僕は知らなかったのだし、……。

 というわけでググってみたらば、「十仁美容の歴史」(十仁美容整形)hatebu*1アリ。「歴史沿革」冒頭左の写真を見てほしい。小さいからちょっとわかりにくいかもしれないけれど、上の写真と窓の並びがきれいに重なることがわかる。1931年となると、大震災からの復興期というにはちょっと新しすぎるか。

 とはいえいずれにしても、増改築を重ねつつも往時の面影を留めているところは、それなりにこちらの心を惹く。気になるのは、建築予定の看板みたいなヤツがぶら下がっていること。撮影したときには、迂闊にも気づいていなかったのだけれど、この窓の並びもそう長くは眺められないものなのかもしれない。

 そうなんだよなぁ。昨年の夏も、湯島界隈で解体中の古い家屋を目撃したのだった。家屋の内部の、たとえば透かし彫りのとてもチャーミングな長押なげしなんかも見えて、切なくなっちゃった。これ、みんななくなっちゃうんだよなぁ。

 けれど、そういう感傷に浸るのは傍観する余所者の目にすぎない。いつあるかわからない震災のことなど考えると「保護すりゃいいってもんじゃない」ことはたしか。せめてまだ残っているうちに足を運んで眺めておくしかない。

 

 御徒町からほんの少し足を伸ばして湯島界隈から秋葉原方面へと歩いてゆくと、他にも古い魅力的な建物がずいぶん残っている。

 たとえば、三連アーチ風窓の看板建築風店舗。

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 昔はこういう家屋が通りに軒を連ねていたんだろうか。そういう想像をめぐらせるだけで、街の様子が違って見えてくる。

 

看板建築
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 その後図書館で一通り読んだのだけれど、藤森が「看板建築」で取り上げているのは、後方の和風住居に洋風と見えなくもない正面を組み合わせた建築ではなくて、正面部分に凝らされた意匠を持つ主として銅葺きのものだった。ちょっと残念。

 

*1:【復旧時註】 もう本来のページは残っていないみたい。セキュリティ上の問題もあるようなので、このリンクは辿らないほうがいいみたい。m(_ _)m