今朝*1見た夢。
一面の晴れ渡る砂丘、そこここに大きな穴が空いている。その穴から頭部と尾部の見えない大きな
砂丘に出来た蚯蚓の体液の黒い染みは、どんどんこちらに向かっても広がってくる。あの体液に触れたら大変なことになるぞ、早く逃げ出さなければ、と思うのだが、例によって躰がうまく動かない。それにしても、こんなに傷ついているのに、あの蚯蚓特有の厭な臭いがしないのはなぜなんだろう、どうしてなんだろう、あぁそうかそうか、これは夢なんだな、と思い至ったところで目が覚めた。あの蚯蚓がその後どうなったのか、とても気になる。そんなもの、気にしてもしょうがないのだが。
穴と蚯蚓という棒状の生き物の取り合わせは、素人目に見るとあからさまに性的な意味がありそうに思えてくるのだけれど、精神分析あたりだとやっぱりそんな具合に解釈されるんだろうか。蚯蚓が複数いるように思えたってあたり、「蚯蚓千匹」なんて言葉からの連想が働いていたりして/(^o^)\。鴉が蚯蚓を啄むなんていうのは、うーん、ある種の不能感か何かかな。砂丘の染み、つまり蚯蚓の傷ついた不能が自分に及ぶことを怖れているわけだ。蚯蚓のその後の運命を気にしているあたり、そこいらへん大いに怪しい\(^o^)/。とすれば、これもまた
夢は本来断片的な映像に過ぎず、たいていの場合は覚醒ののち数分で記憶から消えてしまうものだという。消えずに記憶に残るきれいなお話は、脳が勝手にそれらの断片を継ぎ合わせて立ちどころにテケトーなお話をでっち上げて出来上がるのだとか。そのでっち上げの具合に応じて記憶に残ることもあるとか何とか。例によって怪しげな脳科学のお話だ。そういう話を最近どこかのウェブページで目にした。話の当たり外れは素人の僕にはわからない。でも、なるほどそうなのかもなぁと思えたところもある。
やれやれ、こんなことを、なるほどそうなのかもなぁ、と感心してしまうというのは何かしら情けない話だよなぁ\(^o^)/。うーん。
*1: 世間的な標準に照らすと昼なんだけれど\(^o^)/。