東京貼り紙・看板散歩/行頭インデントなし、段落分けなしってのが日本語の伝統的文章表記なのかもしれないがぁ、

20120520131752

 むやみに他人様ひとさまの誤字にめくじらを立てるのは、アレなんだけれど、それでも子どもたちが日常的に接する、しかも自分たちの地元の(旧)地名にかかわるものということになると、これはやっぱり気になる。しかもこれ、昨日今日出来たもんぢゃないもんなぁ。ずーっと、誤字のまま子どもたちの目の前にあったわけだ。

 「柳島」という地名は、もう行政区画的には消滅しているのだけれど、施設や公園、横断歩道橋や架橋に名をとどめている。あっさり間違えられちゃァかなわない。そのへんをちゃんとしないでおいて、郷土愛とか愛国心とか云ったって、底の浅さは自ずと知れるというもんだ。

 たぶん、以下の議論も、子どもに変なモン教えるなよ、って意味では似たようなもんだと思う。

 

 ローカルな大学だからって、文章表記にローカルルールってのはどうかと思う。これが今回の主題。

 東北大学の黒木先生がこのところ、掛け算の順序問題について改めて熱く語っておられる*1。ポイントは、普遍的であるべき数学のルールが小学校特殊な教えられ方によって捻じ曲げられていること。数学のことはどんなに基礎的なことであっても、確信をもっては語れない僕であるから、その正しさを確言できないのだけれど、でも読んでるかぎりでは、掛け算の交換則を否定して教えなければならないとするヒトたちの議論はことごとく論難され尽くしているように見える。ローカルなルールがあれば、ローカルなお山の数だけ大将になれちゃうヒトは増える。威張りたがるつまらないヒトの需要に応じて、ローカルなご法度は繁茂するというふうに門外漢の素人からは見えてしまう。

 でも、ローカルなルールが不当にデカイ顔をしているのは小学校の算数の世界ばかりではないなぁ、と思うことが、こちらのホームグラウンドでも目につくことがある。たとえば、 「平成23年総合政策学部一般選抜前期日程・総合問題:解答例と採点基準」(岩手県立大学、PDFファイル)の3ページ、4の解答例をみてほしい*2。パッと見て異様な感じがしないだろうか。800字以内で自分の意見を語れ、という、一般的には小論文として課されるような問題への解答例だ。そうであるにもかかわらず、行頭一字分の空きもなければ、段落分けも一切行なわれていない。これって、やっぱりおかしなことぢゃないかしら?

 もちろん、長〜い論文の一部としてなら、800字を超える段落が設定されることもあり得る。でも、「論理立てて記述」*3しようとすると、800字もの独立した文章となれば、2つや3つの段落設定はむしろ必須の表現となるはず。おそらく出題者側からすれば一般的な記述問題の設問形式で問うているんだから、長さから勝手に想像して小論文っぽく段落分けするヤツのほーがどーかしてるぜとか何とか考えているのかもしれない。でもそいつぁどうかなぁ。800字もの長さで論理立てられた文章を書くとすれば、まず段落分けを行うことは論理を成立させる小主題の表現として段落は必須だろう。そいつを、それ自体疑問を感じないでもない記述問題のローカルルールを優先させてしまうってんぢゃ、Universityの名前が泣きまっせ。

 普通一般普遍的に行なわれる論文の記述においてパラグラフの設定って欠かせないもの。そういうことを今さら大学の先生方に説教する必要はないはず*4。でも、こういう解答例が公表されていると、岩手県立大学ではそうぢゃないってことのように思えてこなくもない。いや、同じ総合政策学部でも推薦入試小論文の解答例を見ると、総合問題のこの設問より短い制限字数700字以内って問題なのに、ちゃぁんと4段落構成の文章が提示されている。だから、そんなことはないはずなのだ。だからだから、岩手県立大学の先生方の頭の中では、書かれるべき文章の性格が同じようなものであっても、総合問題という名を冠しているならば、それに応じたローカルルールが存在しているのであって、一般世間に通用するような形式での文章は書かれるべきではないってふうに考えていることになっちゃう。全然考え方がUniversalぢゃない。これは改められて然るべき怪しげな土着民特有の習俗、文化人類学の研究対象ってふうに僕には見える。

 もうあとチョイで「明治100年」って表現が使える時代は終わる。明治は1912(明治45)年7月30日で終わっているからだ。だからして、いかに岩手が首都から遠く離れていたど田舎だとしても、もういい加減、ここいらあたりには文明開化の一つも起こっていていいのではないかって気になっちゃうよなぁ。古式ゆかしい日本語記述の伝統に従った段落分けも行頭のインデントもない文章を受験生に手本として示すのは止めようよ、ってことだ*5

 

 大学が出題した問題ばかりでなく、解答例や採点基準を公表するというのは、歓迎されてしかるべきこと。詳細は面倒臭いので省いちゃうけど、そのことによって生まれる社会的利益はとても大きいと思う。こちらとしては、入試正解の類の原稿依頼が減っちゃうから困るんだけれど、まぁそんなものは社会的には誤差の範囲だとため息つきつつ諦めてよろしい。だから、まずこの点において岩手県立大学を高く評価すべきだってことは動かない。でもさぁ、ってことはある。

 とりあえず、こういう批判が可能になるってことも、問題・解答例・採点基準公開のもたらすいいことの一つってことで、よろしくごめんなさい。

 

理科系の作文技術 (中公新書 (624))
木下 是雄
中央公論新社
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 パラグラフを重視した文章指南書の嚆矢、かな。

 

 最近のお薦め。たぶん、本多勝一『【新版】日本語の作文技術』(朝日文庫)に取って代わる文章指南書。『作文技術』は一文一文の書き方を考えるには極めて有用だけれど、段落を超える長さの文章については必ずしも素晴らしいとは云いにくい。文の書き方はもちろんだけれど、それを超えた部分も明快に指南している点で『100ページ』にアドバンテージあり。

 

*1:cf. 黒木玄 Gen Kuroki (@genkuroki) on Twitterhatebu/【復旧時註】現在も掛け算の順序問題関連のご発言は見られるが、当時の議論の見通しは「算数の教科書とその指導書の問題点」hatebuのほうがわかりやすいと思う。全部目を通すのはちょっと時間がかかるかもしれないけれど。

*2: 問題の方は、 「岩手県立大学 過去問題(推薦・一般・特別選抜)」hatebuから辿られたし。問題の中身については本論旨と関係ないので論評しない。基本的におもしろい問題だと思うけれど。/【第1次復旧時註】現在(2017年5月2日13時05分)当該ページは残っているが、肝心のPDFファイルはすでに削除されたのか、当該ページへのリンクはいずれも404エラーを返すようになっている。

*3:【復旧時註】リンク切れになってしまったPDF中のあった本問の狙いとか何とかいう部分に記されていた文言だと記憶しているんだけれど、正確ではないかもしれない。

*4: ピンと来ないヒトは木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)でも読みませう。

*5: 江戸期までの日本語の表記のあり方は、現在の段落分けから段落冒頭1字分インデントを取り去っただけではなく結構複雑なものだったらしぃ(cf. 屋名池 誠『横書き登場――日本語表記の近代』(岩波新書)の江戸期の手紙文についての記述など。)。けれど、ここではそこいらへんを詳細に扱う必要を認めないので、これでイイノダ。イノダコーヒー。