訃報:ダグラス・エンゲルバート
[ICT]この人がいなければ、今のタブレットも無かった、ってことだよなあ。 / “Engelbart, inventor of computer mouse, dies at 88 - SFGate” http://t.co/nIAzPAJh5I
— Toshiyasu Oba (@tsysoba) July 3, 2013
今朝、 Toshiyasu Oba (tsysoba) さんの、このツイートを見てびっくり。亡くなったのか、エンゲルバート。
ダグラス・エンゲルバートの業績の詳細については、僕が書くといろいろボロが出そうなので、「ダグラス・エンゲルバート」(Wikipedia)など参照のこと。ざっと見た感じ、国内外を問わず訃報記事の見出しは「マウスの発明者」として彼のことを扱っている。全然間違いぢゃないけれど、彼の一番すごいところを読者に捉え損ねさせるミスリードなアレぢゃないだろうか。
とにかくまず、上のヴィデオで紹介されているアレヤコレヤがこの時代までは、いずれも存在していなかったというところに驚きたい*1。提示されるエディタはアウトライナーとしての機能も備えて、さらにハイパーリンクを作ったりたどったりできるって点では、今のエディタのたいていよりスゴイくらいだし。で、こういうインタフェイス全体がなければ、現在のの、僕らが当たり前に使っているようなコンピューティング環境はあり得なかった。マウスはそういうインタフェイスの一画を担っているに過ぎないのだ。
そういうインタフェイスの画期ばかりではない。その程度の話は「マウスの発明者」と大差ないかも。大事なのは、さらにネットワークを介してコンピュータが結ばれ「集団的知性」を形成するって大きなヴィジョンを持っていたことだ。
彼が大きな影響を受けたとされるヴァネヴァー・ブッシュ 「As We May Think」からたどって考えるなら、ブッシュのMemex*2をさらに拡張するために、インタフェイスの革新も考えられたんぢゃないかって感じぢゃないか。メメックスは、僕の素人理解だとどちらかといえば、既成の知識をいかに検索しやすくするかというところにウェイトのおかれたものであるように思える。それに対して、エンゲルバートが考えていたことはもっと積極的だ。たとえば上のデモののっけに登場するエディタのように、ユーザが各自知識のデータベースに生産的に関わることが考えられている。そういうデカいヴィジョンがあったってあたり、スゴイなぁと思うのだ。もちろん、大言壮語だけなら、そこいらの居酒屋を覗いてみれば用は済む。ヴィジョンをインプリメントしていくだけの知性と技術とを持っていたってのも大事なのだ。でも、ヴィジョンのない知性や技術なんて小煩いばかりの小賢しさに過ぎないでしょ? だから、まずはヴィジョン。
とにかくまぁそんなこんなで、見出しが「マウスの発明者」というのは、ずいぶんぢゃないかと思ったのだった。なんだか「フロッピーの発明者」なんていうどなたかのいっときの売り文句みたいぢゃないか*3。もちろん、キャッチーなコピーとしてなら、それはそれでわかるし、記事本文にはちゃんとした説明が出てることもあるんだけどさぁ。それにしてもなぁ、スティーブ・ジョブスのときの大騒ぎと比べると、うーん、と考えコンヂャうよなぁ。あのときは、今日的なインタフェイスが、まるでジョブスの生み出したものであるかのような話まで出ていたのになぁ。なんだかひどくアンバランスだと思う。
- マウスの発明者、ダグラス・エンゲルバート氏が88歳で死去 - ITmedia NEWS
- マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去 | TechCrunch Japan
- Computer Visionary Who Invented the Mouse - The New York Times
「Computer Visionary」って言葉があるかないかだけで、見出しの印象はずいぶん異なるもんだな。日本語にはどう訳すのが定番なのかしら。
- Home - Doug Engelbart Institute
ダグラス・エンゲルバートのサイト。
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このへんの話題の基礎知識としては、今でもこのへんがお薦めなんぢゃないかなぁ。英語が苦にならないなら、「tools for thought」(howard rheingold's)で全文無料で読める。僕は苦になるので、そっちは読んでないんだけど\(^o^)/。翻訳のほう、どっか文庫化してくれるといいんだがなぁ。