堺貼り紙・看板散歩/西高野街道、謎の看板
昔とまったく同じように掠れたままの看板に驚く。
ざっと40年ぶりに歩いた旧街道沿いの民家、この看板の下に見える貼り紙の政党など存在しなかった頃と同じように「子は宝 小さい時より」より他には何が書いてあったのか読めない状態が過不足なく残っていたのを見て、思わず息が洩れる。
少し引いてみるとこんな感じ。左側、自治会の掲示板並みの好ポジションを占めていることがわかる。
新しい情報が重宝されたり古いものがわざわざ修復復元されて保存され有難られたりということならわからないでもない。しかし、伝えようとしていたはずのメッセージさえ読み取れない中途半端な状態のまま、こんなものが残されているとは、一体どういうことなのだろう?
高野鉄道、現在の南海高野線*1は、当初この街道沿いに敷設される計画だったと聞いたことがある。しかし、当時はまだ賑わっていたらしい界隈のヒトビトの強い反対にあって計画は潰え、現在の場所に作られることになった。まさかそんな時代から残り続けて来たわけではないだろうけれど、この街道沿いの町々がどんな時間を過ごし続けてきたのかちょっと見当がつかなくなるような、不思議な看板だよなぁ。
それとも僕の記憶違い、40年前には読み取れていたメッセージを忘れてボケた感想を抱いただけなんだろうか。それはそれでありそうな気もするのが困りモノ\(^o^)/。
*1:cf. google:南海高野線