本所三笠町に住む旗本屋敷に、夜ごと家鳴りがし、天井からひどくよごれた大足がニョッキリ出る。足を洗ってやるとおとなしく引込める。たまりかねた主人は同僚と屋敷を交換したところ、足は現れなくなったという。
足洗い屋敷
なんだかわけのわからない話である。天井から足が現れるとなると、天井には大きな穴が開いてしまいそうだが、それでは雨が降れば大いに困る。冬など寒くてたまったものではない。穴の修理のための出費も馬鹿にならない。穴を開けるのではなく、天井から生えたような具合だったんだろうか。天井から生えてきた足を洗ってやろうなんぞという発想は、いったいどこから湧いて来たのだろうか。おっかなくはなかったんだろうか。「主人」の「同僚」、ちゃんと事情を知らされた上での交換だったんだろうか。もしそうなら、ずいぶん胆の据わった御仁だったということになるが……。
というようなことはさしあたりどうでもよくて、実は「本日の埋草/ねじれ電柱」*1を書きながら、何かもちっとエントリを飾るにふさわしいネタはないものかとググりながら、田中貢太郎「魔の電柱」(青空文庫)に行き合わせたのだけれど、これはすでに使ったネタだよなぁ、何となく好きな記述であるのだけれど……、っと何とはなしに「田中貢太郎日本怪談事典」シリーズの他を読み始めたところ、田中貢太郎「天井からぶらさがる足」(青空文庫)に出喰わした。短いものだから、以下に全文を引いてみる。
小説家の山中峯太郎君が、広島市の
幟町 にいた比 のことであった。それは山中君がまだ九つの時で、某夜 近くの女学校が焼けだしたので、家人は裏の畑へ往ってそれを見ていた。その時山中君は、ただ一人台所へ往って立っていたが、何かしら悪寒を感じて眼をあげた。と、すぐ頭の上の天井から不意に大きな足がぶらさがった。それはたしかに人間の足で、婢室 の灯をうけて肉の色も毛の生えているのもはっきりと見えていたが、その指が大人の腕ぐらいあった。山中君は怖いと云うよりもただ呆気 にとられてそれを見つめていた。と、二三分も経ったかと思う比、その足が烟 のようにだんだんと消えてしまった。
「足洗い屋敷」と話のネタがそっくりではないか。
山中峯太郎*2というヒトはよく知らないのだけれど、僕らの世代だと子ども時代にお世話になったというヒトもそう珍しくはないだろう。いろいろ面白過ぎる人生を送ったヒトだから、本所七不思議の類を知っていて貢太郎をカツイだ可能性、なきにしもあらずな気もする。しかし一方で、天井から足が現れるというのは、僕は上の二例以外知らないけれど、ひょっとすると日本の昔話の類を漁ると実は結構ある話のパタンなのかもしれないという気もする。広島の民話にあったのを山中が利用したようなことがあったか、そういう民話が山中の意識の底にあったために、天井から足が生えてくるようなヴィジョンを見てしまったということもあるかもしれない。そこいらへん、どんなもんなんだろう? 海外には、類例、ないものかしら?
*1:【復旧時註】未復旧。
*2:cf. google:山中峯太郎