「近日来演」……いつかは、とわかっていても、ということなんだな。
桂米朝ともなれば、いろいろ記事が書かれるに違いない。ここでは、小学生時代テレビを通してだけ夢中になっていたような者には、だれもが綴れるような個人的な感慨しか言葉にできない。内心の動揺は実は大きいように感じるのだけれど、そのあたりの言葉のとっかかりは見つからない。たぶん、みんなそんなものなのだろう。
現在、上方落語で演じられる作品には、米朝さんが先輩から口伝を受けたり、文献を調べたりして復活させたものや、事実上創作した噺(はなし)も多い。1時間を超える名作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」も、場面場面がバラバラに演じられていたものを米朝さんがまとめ上げた。(中略)
「落語とは、おしゃべりによって、お客さんを“違う世界”へご案内する芸であって、メーキャップも、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客の想像力にたよって、頭のなかに聴き手が作り出してもらう、ドラマである」。米朝さんは、2004〜05年に刊行された「桂米朝集成」(岩波書店)で落語への思いをこう吐露した。
あちらへ行ってこちらに戻って来るのは物語*3。こちらに来てあちらに戻るのが人生の物語。
アマゾンでの「桂米朝集成」での検索結果を見ているとマーケットプレイスものの中にはお手頃価格のものもまだあるみたいだ。
その他米朝関連のあれこれはたんとある。米朝の芸を収めた映像・音声類、古いものを注意深く選ぶと本格的に愉しめるのではないかと思う。
個人的なお薦めはこちら。
芸能をめぐる対談集。内容も(芸能に関心があれば)おもしろいが、交わされる言葉の音が興味深い。活字と化してもなお生きる言葉の音の不思議が何ともいえない。