本日の落下/Choir falls through stage in China

 貴州省 *1畢節市*2での、リハーサル中の出来事。ステージ上には80人の合唱団員がいたのだけれど、怪我人は8人で済んだとかなんとかなのだそうな。

 他所の国の他人様の不幸を見てなにがしかの興味を覚えてしまうのは、まったくもって不謹慎、我ながら困ったものだと思いもするのだけれど、こうも見事な落下だとついつい取り上げてしまわざるを得ない気分になる。いつぞやの韓国でのシンクホールの映像も見事な落下ではあったけれど*3、これだけのヒトがきちんと並んで立ったまま整然と落ちてゆく光景には、申し訳ないと思いつつも独特の面白味を感じてしまう。

 勝手な想像ではあるけれど、BBCがこれを報じた背景には、やはりこの落下をなにほどか愉しんでしまう心の動きがあったのではないか。つまり、そこには人類普遍の心の働きがあるのではないか。そういう疑いが濃厚にあるような気がする。

 もしそうであるなら、そこになにか生存のための適応があった疑いも生じる。他人様の不幸を愉しむ適応とは何か、何事か。

 正確な記憶ではないのだけれど、柳田國男だったっけかが笑いの起源に敵を打ち倒したときの勝鬨かちどきみたいなのを挙げていた文章があったはず。そういうとこいらへんが、進化心理学っぽい感じで生き延びているのが、他人様の不幸を興味深く眺めてしまう感覚なのかもなぁ、みたいなことをぼんやり考えたりするが、果たしてどうか。

 

不幸なる芸術・笑の本願 (岩波文庫 青 138-5)

不幸なる芸術・笑の本願 (岩波文庫 青 138-5)

 

 笑いの起源みたいなヤツ何で読んだのかちゃんと覚えていないんだよなぁ。「笑いの本願」自体は俳諧か何かのお話だったでしょ?

*1: リンク先はウィキペディア

*2: 同上。

*3:【復旧時註】未復旧。