本日の備忘録/「活字離れ」と「家庭の読書室」

 これ、とてもよく出来ているので、備忘録的にここにも埋め込んでおく。全画面表示でご覧になると、僕みたいな老眼爺ぃでもおおむねホイホイ読める。

 活字離れ批判の決定版というところかしら。

 

 実は前世紀「極私的脳戸」版の「与太」でも「活字離れ」を扱っている。だから、活字離れ論に対してうっかりデカい顔しての批判は出来ない。でもその論旨は、若者の活字離れなんていってるけれど、実はそもそも大人がロクに読んでいないんだから、そういう環境の中で子どもが読むわけないぢゃんというものだったんだからして大目に見ていただきたいところである。

 そもそも日本人一般が知識だとか教養だとかを獲得するために読書に精を出し始めたのは、近代もずいぶん後になってからのことぢゃないのかしら。『学問ノススメ』みたいなのが明治の早い時期にベストセラーになっちゃっていたりするから誤解があるのかもしれないが、こんな文章だって結構な昔に書かれていたんだしぃ。

 一体日本人は書物を読まぬ習慣になつてる。昔しは武士の高等教育は武芸であつて、唯の役人となるには筆算と習字さへ出来れば沢山であつた。書籍は学者の商売道具ときめ込んでゐたから学者以外の人間には全く無用であつた。況してや女わらべは草双紙を読むぐらゐで、此の草双紙や戯作本は堅木の家では遠ざけてゐたから、四民の上に位する堂々たる武士の家に書物が一冊も無いのは少しも珍らしく無かつた。

 代々此習慣がついてるから、中流以下は勿論、士族が大部分を占むる中流以上の家でも、特別に学問好き書籍好きの主人の家は別として、大抵な家でも主人の書斎の無い家がある。書斎の必要が無いのだ。去年だか一昨年だか朝日新聞に、現代家屋の図面が毎日々々載つた事があるが、書斎を特に設けた家は僅かしか無い。偶々あつても四畳半から六畳だ。四畳半ぐらゐで沢山なんだらう。ツイ此頃も或る建築雑誌に某紳士の新築家屋の写真が出てゐたが、書斎の写真を見ると、左に右く体裁は作つてあるが、肝腎の本箱の書物の憐れなのはお座がさめて了ふ。(写真でも能く解るのだ。)実際、此頃も或る懇意な男が、書斎を作つたから見に来て呉れといふので行つて見ると、三越で揃へたやうなケバ/\しいものが沢山陳んで、遺憾なく成金を発揮してゐるが、眼目の書棚に列んでる書物は神田か本郷の夜店で揃ひさうなものばかりで、数は五六十冊、値踏みをしたら三四十円のものだ。そんなものを列べて書斎で候も呆れて了ふ。

 夫れでも三四十円、五六十冊の書物のあるのは感心なので、中には一冊の書物も無い家がある。学校へ通ふ児童の本箱の外には本箱が一つも無い家がある。恁ういふ心掛では、書物を読まなくても頭脳が活溌に働く若い時代は好いが、三十となり四十となればドシ/\時代に遅れて了ふ。

 主人公さへ多くは此通りの不読書家揃ひだから、多くの家庭が書籍に遠ざかつて自づと時代に遅れるのは無理はない。

内田魯庵「家庭の読書室」(青空文庫) はてなブックマーク - 内田魯庵 家庭の読書室*1

 いつ書かれた文章なのか正確には知らない。でも魯庵先生のことだから明治後半か大正あたりぢゃないか。引用部分の直前には帝国文庫*2を買う買わないの話が出ているから、どんなに下っても1897年、つまりは明治30年より後ということはないだろう。

 昔のヒトはよく勉強したものだ云々で語られるのは、たとえば幕末の、福澤諭吉適塾時代を取り上げてみたり吉田松陰がどうたらこうたらだったりするのだけれど、そういう偉人さんを今どきの一般人と並べて云々してみたって、そりゃぁ比べ方がそもそもどうにかしているのであって、そういう時分の一般庶民と昨今の一般大衆を比べてみれば、読書や勉強以前に識字率からして昨今のほうに軍配が上がるのは確かめるまでもないくらいなのであって、そんな比較を持ち出すヒトの見識を疑うほうが知的には健全に決まっている。

 というわけで、活字離れ以前に活字への接近の史的な研究のほうが面白そうなんぢゃないかと思ったりもするのだけれど、そういう面倒臭いことはワタクシのレパートリーにないので、相済みませんm(_ _)m。

 

魯庵の明治 (講談社文芸文庫)

魯庵の明治 (講談社文芸文庫)

 
魯庵日記 (講談社文芸文庫)

魯庵日記 (講談社文芸文庫)

 

*1: 青空文庫の図書カードに曰く《この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します》。読む際には、そのへん、ご留意を。

*2:google:帝国文庫