Growing Up with Gadgets

 以前Growing Up with Gadgets - USAのタイトルで2013年2月に公開されたヴィデオ。一度削除されて見られなくなっていたのが、知らぬ間にタイトルを変えて再公開されていた*1。僕のように英語の聴き取りが困難な場合は、採録シナリオに当たるかヴィデオの自動生成英語字幕を利用するかすればいいと思う。

 細かい英語理解はさておき、さっとひと通り見ただけでも、昨今身のまわりで喧伝されるICTの教育現場への導入議論とはいくらか違う光景を見せてくれるものになっているように思う。学校シーンで行われているアレコレは、日本でも話題になるようなアレコレと大差ないようにも見える。それに対して、家庭やアウトドアでの用いられ方のチャーミングなこと。電子教科書みたいなダッさい使い方ではなくて、自分で見出した問題を自分で解決するというディジタル・ガジェットに相応しい用い方がなされている。

 実際のところ、喧伝される電子教科書のような旧来メディアの代替としてはディジタル・ガジェットの機能は、持ち運びの便以外、見劣りすることが多いのではないか。

 たとえば、「紙ノートとタブレット端末の使用が学習時の認知負荷に及ぼす影響-脳波を用いた検討-」(PDF、コクヨS&T、センタン、広島大学大学院総合科学研究科) はてなブックマーク - 、どこを経由してたどりついたんだか、もう忘れちゃったのだけれど、この序論に紹介されていた先行研究が興味深い。

 これまでにも,電子デバイスと紙デバイスの使用が文章理解や記憶に与える影響を調べた研究において,紙ノートの優位性が指摘され ている.例えば,Noyesand Garlandは,PC のディスプレイに表示された文章を読む場合と,紙に印字された文章を読む場合とで,文章の理解度,読む速さ,知識の定着度を比較した.その結果,理解度や読む速さにデバイスの違いは観察されなかったが,知識の定着は紙条件の方が高かった.他にも,内容理解や理解効率,メタ認知において,紙が電子デバイスよりも優れているとする結果が報告されている.

 また,“読み”だけでなく,“書き”行動についても,紙の優位性を示す知見が報告されている.Mueller and Oppenheimerは,大学生を参加者とし,ラップトップコンピュータを用いて授業内容をメモした場合と,紙ノートを用いた場合とで,記憶テストと理解度テストの結果を比較した.その結果,ラップトップコンピュータを用いてメモを取った場合のほうがメモの量 が多く,記憶テストでは両者の間に大きな違いは観察されなかった.しかし,理解度テストの成績はラップトップコンピュータよりも紙ノートのほうが高かった.この結果から,著者らは,紙ノートは一度にメモを取る量が限られており,情報を自分なりに要約してメモを取る必要があるため,授業内容に対してより深い処理がなされ,結果として理解度も高かったと結論づけている.

序論

 どうかしら。CRTや液晶ディスプレイに表示されたテキストへの理解度が紙のメディアに劣るものであることは、「コンピュータ時代の文章作法」*2で同様の問題を扱った論文を取り上げたことがあった。常日頃、この手の論文をまめに漁っているわけではないし、こうした研究は、率直に云えば私たち素人にとって半ば以上実感の追認以上のものとは感じられないので、アレなんだけれど、それでも教育へのICT導入の機運が盛り上がっちゃってる昨今のことを考えると、「※個人の感想です」を超えたファクトというかエビデンスというかがあることの意味は小さくないよなぁ。

 いずれにしても、こういうのを目にすると、紙の本の代替(電子教科書とか)ってのはディジタル・ガジェットにとっては分の悪い役どころで、リファレンスや記録、さらにクリエイティブのためのツールとして活用することこそ考えられて然るべきなのではないかと思えて来る。要するに、自分で問題を見つけ出して解決を模索するためのツールとして使ってこそ、ということだ。エマちゃんと若い親父さんを見ているとそう思えてくるよねぇ。

 

マインドストーム―子供、コンピューター、そして強力なアイデア

マインドストーム―子供、コンピューター、そして強力なアイデア

 

 パパート曰く「自動車は馬車の改良から生まれたわけぢゃない」。活字本を模倣して新しい教育メディアは生まれない。コンピュータを用いた教育を考える古典だと思うんだけれど、いつまでたっても入手しやすい判型にならんですねぇぃ。う~ん。

*1: ご覧になればわかるように、ヴィデオ中では旧タイトルがそのまま用いられているのだけれど。

*2:現在未復旧。