広津和郎「崖」について、ほんの少し
共通一次試験がセンター試験に間もなく替わるかなという時分*1、現代文で出題された広津和郎の「崖」について。チョー付の以前に受けた質問、そのうちブログでも触れてみようと思いながら長らく放置していたのを書いてみる。
設問とは関係のない話だから別に受験生が気にしなきゃいけないところぢゃぁないんだけれど。以下の部分、作品にとって不要の部分であり、なくてもいい無駄、削除しちゃったほうがいっそスッキリしませんかね、という質問。
私はふと崖崩れのために落ちたかなり大きな石の塊が、道端にころがっているのを認めて、足を停めた。それは見たところ淡青色で、表面がすべすべしていて固そうであった。私はステッキでその石を叩いて見た。すると固そうに見えた石は、そのステッキの一撃によって、沢山の亀裂を生じた。私は興味を起して、そこに蹲んでその石を尚もステッキの先で叩いた。石はポロリポロリと、丁度方解石が欠けるような工合に気持よく欠けた。私は一種の愉快を感じた。そしてよく調べてみるとその欠けた面は赤い錆色を呈していた。私はそれが何という石かは知らないが、その錆色を見た時、その部分は屹度雨の水がにじんで、自然にそこに眼に見えない亀裂を生じていたに違いないなどと、そんな想像をめぐらしていた。
これはそれなりにもっともな質問かもしれない。作品は、結核の父親の療養生活中のちょっとした出来事を扱ったもので、道端の石の話などなくても粗筋には何の影響もないといえばないかも。学校で尋ねたら、広津がそもそも心境小説作家さんみたいなもんだから(?)、ただありのままを書いたんぢゃないのというような話になったらしい*3。ホントかしら^^;
ありのままを書くといったって、ありのままのすべてを書くわけにはいかない。そこにどうしたって取捨選択ということが生じる。だからそういう話では質問主の疑問が解消されないのは当然だわね。
この作品の粗筋は、肺病を病んで療養生活中の父親、順調に恢復中と見えていたところ、主人公が崖の上をウロチョロしているのを気に病んだせいで、ひょっとして体調を崩しちゃったかしら、あらま、ってなところになるかしら。で、
私は一年程経ったこの頃になって、ふとその時の父の喀血が、私があの岬の崖の上に立っていたのを見て、父があまり心配して胸を痛めたためではなかったかという事を考え出した。院長は何か過激の運動のためだと云ったが、併し過激の運動でなくとも、余りに烈しい心配などから、同じ結果を惹起することは確かにあり得るに違いない。殊に私の父のような極度に鋭い神経を持った人には、そういう事が一層ありそうに思われる。
けれども、そんな事を考え出すと、今更ながら或胸苦しさを覚えて、「あッ、あぶない」と云ったような不安を感じて来る。私はそれを始めて考えついた時、自分の身のまわりが、今更ながら急に顧みられるような気がした。
ibid. p.171
というふうに結ばれる。
で、実は本作中のアレコレって、ここで大雑把にまとめられる《見た目大丈夫⇒後で
でで、件の石もこの形に呼応しているよね?
私はふと崖崩れのために落ちたかなり大きな石の塊が、道端にころがっているのを認めて、足を停めた。それは見たところ淡青色で、表面がすべすべしていて固そうであった。私はステッキでその石を叩いて見た。すると固そうに見えた石は、そのステッキの一撃によって、沢山の亀裂を生じた。私は興味を起して、そこに蹲んでその石を尚もステッキの先で叩いた。石はポロリポロリと、丁度方解石が欠けるような工合に気持よく欠けた。私は一種の愉快を感じた。そしてよく調べてみるとその欠けた面は赤い錆色を呈していた。私はそれが何という石かは知らないが、その錆色を見た時、その部分は屹度雨の水がにじんで、自然にそこに眼に見えない亀裂を生じていたに違いないなどと、そんな想像をめぐらしていた。
ね?
堅固と見える日常もちょっと視点を変えればいつも崖の上に佇んでいるようなもの……と読めばタイトルの因って来る所以もわかるような。
もちろん、それでもこの部分が粗筋を構成するために是非とも必要かどうかについて議論の余地はあるのかもしれない。そこいらへんはあたしゃ知らん。でも、とりあえずは、表現の変奏みたいなものとして放り込まれたんぢゃないかと見ることは出来るんぢゃないですかね。というようなふうに質問には答えた記憶がある。満足のいく答えだったかどうかはわかんないけれど、本人は何かの気づきを得たふうだったから、とりあえず悪い答えではなかったんぢゃないかと思う。ついでに、ここに書き留めておく所以の一つってところ。
そこから先、このへんをさらにどう受け止めるのかには面倒臭そうなので踏み込まない。というかそんなに広津和郎に興味がない^^;。ただ、何にしても粗筋とかメッセージとかが伝わりさえすればいいというんぢゃぁ文学なんて詰まんないよね、というあたりはいつだって忘れないでいたいわねぇ。
そのうち書こう、そのうち書こうと思っているうちに、もう20何年かくらい経っちゃったんぢゃないか。ときどき思い出しはしていたのだけれど、手許に作品のテキストがなかったんだから、まぁしょうがない。たまたま先日、今破産で話題の天牛堺書店の最寄り駅店で『広津和郎全集 第一巻』を落手した。おかげで書いてみるかという気になった、というわけでまぁ。
広津和郎となるとほとんど読んでいないのでエラそうなことは何も書けないのだけれど、小説よりも随筆のほうがおもしろいんぢゃないかという感触。でも今どき新本はまず手に入らないんぢゃないかぁ。古本屋がなくなるということは、そんなこんなで新本以外の書籍との出会いの機会が一つなくなるということでもある。天牛堺書店の破産は、界隈のお若い方にとってこそ大きな損失だわよねぇ、たぶん。う~ん。