蒟蒻ってずっと蒟蒻だったんだろうか?/『コンニャク屋漂流記』をめぐるどうでもいい備忘録

 星野博美『コンニャク屋漂流記』 (文春文庫)、タイトルから、これは「蒟蒻問答」の六兵衛のことでも扱った本に違いないと中身を確かめもせずに買った、星野博美の著書、そういうお馬鹿な見当とは全然違うものだったけれど、何にせよ面白かった。

 同著者の『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)の、たとえば「ウプリウガイ」という地名の響きがずっと心に響き続けるような詩的感動さえあるような部分はさすがにそうそう出会えるものではないのだけれど、まぁそれは仕方のないこと、ああいう本は、著者の力だけではなく歴史的な偶然が重なるような仕合わせに恵まれて初めて生まれるものなのであって、毎度同じ著者に同じ感動を期待し続けるほうが間違っている。しかし、それでも著者の力量もまたバカに出来ないものであって、これはこれでずいぶん愉しんで読み終えてしまった。あぁ、もったいない。

 本書では、祖父の遺した手記と親類縁者の証言を手がかりに星野家のルーツを点検し明らかにする具体的な作業そのものが面白いのだけれど、ここではそのへんには触れない。2011年に出版された本書については、ネット上だけでもすでにいろんなヒトがいろんなことを書いている。僕にその蓄積を超えるほどのことが書けるわけない。気になる方はテケトーにググられたし(google:コンニャク屋漂流記)。

 当たり前と当事者が受け止めて来たアレヤコレヤが、もちろん何の前提もなく突然この世に現れたわけではなく、イチイチに歴史的背景が広がっていることが明らかにされて……、とまとめてしまうと却ってある種の紋切型に落ち着いてしまうのだけれど、その明らかにされる過程で、当たり前だと思っていたことが案外当たり前でなかったことが明らかにされる、つまりは紋切型を裏切る現実が明らかになるという繰り返しは小気味いい、くらいのことは申し上げてもバチは当たりませんかね。

 

 それはさておき、気になったのは、本書の主題とか表現のありようとかとは関係のない以下の部分。ほとんど根拠のない疑問なので、たいていの方からは無視されて構わないようなことなのだけれど。

 さて、うちの屋号の根拠となった肝心の蒟蒻こんにゃく屋とは、一体どんな職業だったのだろう?

 かんちゃんは以前、「昔はね、おでんしてたんだって。先祖のばあさんだっぺや。何代続いてっかはわからねえ」と言っていた。そのイメージに近いのではないかと私も想像している。

 興味深いヒントが川名登著『河岸』という本の中にあった。

 これは近世初頭、水運・陸運の物流ターミナルとして賑わった利根川水系の「河岸かし」、つまり川の湊、を描いた本だ。そこに利根川と江戸川が交差するあたりの境河岸における、明治四年当時の職業構成が載っている。

 河岸問屋や旅籠はたご、船頭、船持ち、料理茶屋といった交通関係に従事する人の割合は全人口の29パーセント*1。そして商業に従事する人の割合が33パーセントなのだが、水菓子屋、穀屋、魚屋、酒屋、下駄屋、傘屋、菓子屋、古着屋、足袋屋、素麺屋、筆屋……といった商売と一緒に「蒟蒻屋」が四軒登場する。

 またうちは「『コンニャクや様ともいひ、床や様ともいふ』といふ手紙がまいこんで来て、大笑ひしたことがあります」と祖父が手記に書いていたように、一時期床屋もやっていたが、「髪結かみゆい」も四軒あった。

 同じ本の中に、文政八(1825)年、渡辺崋山利根川を旅した時の記録があるが、行徳河岸の大坂屋でとった昼飯の代金が「代金八百文、こんにゃく六十四文」と書かれている。つまりこの時代、船で旅をする人にとって、小腹がすいた時に手軽に食べられるスナック的なものとして蒟蒻が存在していたようなのだ。

pp.209-10、強調引用者

 昔のヒトにとって「小腹がすく」とはどんな事態だったんだろうか。「小腹がすいた」状態が克服されねばならぬものだとして、その克服に、本当にコンニャクは適していたのだろうか。「コンニャク」と呼ばれてきたものは、ずっと昔から同じコンニャクだったのだろうか。

 当時の旅がどんなものだったのか、そのへん大雑把なイメージしか持たないから、いい加減な疑問なのだけれど、小腹がすいた状態でまず重要なのはカロリーを摂ることではないだろうか? コンニャクのカロリーがどの程度のものかは知らないが、たぶんほとんどナイも同然だからこそダイエットの文脈で登場しもするのではないか? もしそうであるとするなら、果たして当時のコンニャクは今日のコンニャクと同じモノだったのだろうか? ひょっとして、形状や質感は似ていても実態は別の、何かカロリーの高い食品だったなんてことはないだろうか? たとえば、黒蜜をたっぷりかけたわらび餅のようなものが「コンニャク」と称されたようなことはなかっただろうか? 明治のことはいざしらず、江戸期であれば、そうした甘味類の名を表立って口にすることがはばかられた、贅沢奢侈を嫌う時期なんて結構ありそうぢゃないかしら? そのへんから別のものを「コンニャク」と呼んだなんてことはないだろうか?

 google:こんにゃく 歴史でググっても、そういう話は出て来ないみたいだ。まぁ、ないんだろうなぁ\(^o^)/。現実は毎度つまらんわい。ぶー。

コンニャク屋漂流記 (文春文庫)

コンニャク屋漂流記 (文春文庫)

 

 僕が落手したのは、最寄り駅の天牛堺書店での単行本。異同は確認していないけれど、多少違ったって面白いに違いないぞぃ。 

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

 

  これはね、読まなきゃバチが当たる本よ、ホント。問題は文庫としては分厚すぎてGパンの尻ポケットに収まらんところだな。うーん。

蒟蒻問答(@S31.4.23)

蒟蒻問答(@S31.4.23)

 

*1:【引用者註】原文漢数字。以下同様。