本日の備忘録/超還俗主義

 

 今朝(というか昼か\(^o^)/)、我がTLを流れて来たtweets。

 《遠いものの連結》という西脇順三郎の詩の要諦を語る言葉、《手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように私は美しい》という『マルドロールの歌』のチョ~付で有名な、シュルレアリスムのデペイズマン*1を先取りする直喩を思い起こした。

 縁の遠そうな言葉を結びつけることが詩歌のコツの一つになるというようなことは、実はシュルレアリスムを俟つまでもなく、たとえば日本でだって武野紹鷗*2も同じようなことを語っていたらしい*3。縁遠い言葉の結合は、詩歌を離れても日常的な散文を外れた人目を惹く表現の技術として普遍だということか。使い方の善し悪しはさておき。

 とかなんとか考えるともなく考えながらググっていたらば、へぇ~っという話に出喰わした。

 書き手加藤弘一は石井洋一郎訳『マルドロールの歌』の註釈多いことに触れ、他の訳者による翻訳に比して《最新の研究を参照しているという点でも石井訳に長がある》とした上で、例の喩についていた註を紹介している。

 注は細かい話がつづく中、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」というロートレアモンの代名詞となった比喩について「これら多様なオブジェの奇妙な結合は、何か雑誌の広告ページにそれらが一緒に載っていたことから出てきたもの」ではないかという説があり、近年それが実証されたという記述に出くわした。

 その後四十年間にわたって、この推測は裏づけを得られぬまま単なる予感にとどまっていたが、ルフレールの熱心な調査によって、実際にモンテビデオで発行されていた企業・個人名鑑の広告篇に、ミシンと雨傘、それに解剖台そのものではないが、外科手術の道具の宣伝が(ページは異なるが)同時に掲載されていたことが発見された。この名鑑の刊行は一八六九年で、『マルドロールの歌』全編の刊行はこの年の八月であるから、第六歌の執筆中にデュカスがたまたまこれを見てヒントを得た可能性はじゅうぶんにある。

 こんなことがわかったからといって、ロートレアモン評価が変わるわけではないが、トリビアではある。

『ロートレアモン全集』 イジドール・デュカス (ちくま文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOGhatebu

 そもそも『マルドロールの歌』はいろいろな典拠、それも過去の詩歌・文学にかぎらず通俗的なあれやこれやに基づく表現がテンコ盛りになっているらしい。とはいえ、あの有名な一節がねぇ、というのは、大した意味がなくったって心に留まるに違いない話だわね。

 で、トリビアにさえならないけれど、あぁ、遠いものの連結、現代においては広告から生まれて、詩で修業を積んで、また書名とかの宣伝効果狙いへとたっぷり悪趣味を身にまとって還っていったのですね。なんだか詩的表現の還俗ぢゃないですかね、とかいい加減なことを考えたり。

 

 あ、それから、今年は『マルドロールの歌』発刊150周年になるのかというのも、ついでながら。

 

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 僕も最初に読んだのが栗田 勇訳だったのでそいつを薦めたいところだけれど、新本が流通していないんぢゃなぁ。というわけでこれか。その他「ロートレアモン」のAmazon.co.jp検索結果。それにしても、この手の*4作品としては異例の翻訳の多さなんですね。これまた、へぇ~。そんなにみんな読むものなのかぁ。あれ? しかし、田中淳一先生の訳がないぢゃないか。う~ん。

 

*1:cf. google:デペイズマン

*2:cf. google:武野紹鷗

*3: 何で読んだのかさっぱり覚えていないのだけれど、たぶん80年代の『現代詩手帖』中の、西脇順三郎をめぐる座談だか鼎談だか、那珂太郎か鍵谷幸信かの発言ぢゃなかったかな。

*4: どの手だ?