本日の備忘録/「只これ天にして、汝が性のつたなきをなけ」の巻

 今さらな与太を一つ。

 不尽川ふじかわのほとりをゆくに、みつばかりなる捨子のあはれげになくあり。此川の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐにたえず、露ばかりの命まつ間と捨置けん、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂よりくひ物なげて通るに、

  猿を聞人捨子に秋の風いかに

 いかにぞや、汝父に憎まれたるか、母にうとまれたるか、父は汝を憎むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、只これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。

野ざらし紀行 - Wikisource hatena bookmark*2

 芭蕉先生、捨て子を見捨ててゆくの巻。象だって仲間を見捨てないというのに、芭蕉先生と來たら……。

 

 たとえば、「『人助けランキング、日本は世界最下位』英機関 日本は冷たい国なのか ホームレス受け入れ拒否問題 (飯塚真紀子) - 個人」(Yahoo!ニュース) hatena bookmarkで取り上げられているようなアレコレに触れてなんとなく思い浮かべるくだり

 「隣人愛」のような伝統がない日本、まして近代的な意味での社会福祉の考え方もない江戸時代当時のこと、大金持ちでもない芭蕉先生であってみれば、この振舞いもそう責められたものでもないのよね、というような話とともに学校で習ったような習わなかったような\(^o^)/

 たしかに、こういう話、現在の日本人の冷酷につながる文化なのだと云い募ることで何かの免罪符みたいなものにしてしまおうという向きにはひょっとすると便利なものなのかもしれない。

 とはいえ、芭蕉先生の捨て子への態度のありようは、今日只今のヒステリックな日本的棄民具合とは隔たりが遠いものではある。「三ばかりなる」と見当をつける程度には子どもを見つめもし「袂よりくひ物なげて通る」程度の施しも抜かりない。もちろん、いずれにしても、これらの記述が本当にあったことだとして、の話だけれど。というのは、この条、話としてずいぶん出来すぎているように思えるからだ。

 

 現在、僕たちが目にするテキストでは、この条冒頭の「不尽川」は「富士川」と記されていることが多い。富士川では全然ピンと来ないのだけれど、「不尽」となると『竹取物語』の不尽山の「不尽」なのだからして、不尽川vs.捨子くんの「こよひやちるらん、あすやしほれんと」見えちゃうような「露ばかりの命」、つまり、いつまでも尽きないものvs.今まさに尽きようとしているもの、スケールのコントラストがパッと見えて來るようになる。で、何だか地名ドリヴンな書き方、ありのままを書いたというよりも、地名に喚起されてお話が出来上がったんぢゃないのかという気もして來る。

 加えて、詠まれた一句が「鳴く猿」という漢詩文の伝統的素材に目を向けたものになっていること。「不尽」であるかもしれない詩文の歴史につながっているのかいないのか、まるで芭蕉自身の俳諧こそが捨子であるかのように思えて來なくもない。つたなさがとは、実は自分の書き綴ったもののそれに他ならない。「いかに」は捨子についての問いである以上に、その時の芭蕉自身についての問いを杜甫なり西行なりに投げかけているみたいに見えてくる。

 というようなことを考えていると、この条、とどのつまりは、フィクションなんぢゃないか、あるいは相当する出来事が実際にあったとしても、話の意は自ずと別のところにあった、ってなことになるんぢゃないか。ならないかなぁ。

 

 芭蕉ほどのヒトが書いたものとなると、いろんなヒトがテケトーな解釈をアレコレ並べ立てて悦に入っていたりするんだろう。まぁ、これもそういうアレコレの一つ。テケトーに読み流されて然るべきものってことになっちゃうんだろうなぁ。う~ん。まぁ、いかにも素人っぽい妄想なのだろうと思いはするのだけれど、同じような妄想を抱くヒトってたぶんそれなりにいらっしゃるんぢゃないか。どうかしらね。そうでもないかなぁ、いないかなぁ、う~ん、\(^o^)/。

 

 芭蕉先生のは、ジーンズの尻ポケットに携行出來なきゃいけまっせん。

 

*1:「Category:Matsuo Basho」(Wikimedia Commons) hatena bookmarkから拝借。北斎画ということなのだけれど、具体的な出典は何なんだろ?

*2: ただし、引用文中のルビは引用者がテケトーに振った。