本日の備忘録/気候変動と歌の終わり(仮)

 別にだからどうしたということで大騒ぎするつもりもないのだけれど、あぁ、これでまた、と思ったことを書き留めておく。

 

あはれ
秋風よ
こころあらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉ゆふげに ひとり
さんまをくらひて
思ひにふける と。


さんま、さんま
そが上に青き蜜柑みかんをしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまのはらをくれむと言ふにあらずや。


あはれ
秋風よ
なれこそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒まどゐを。
いかに
秋風よ
いとせめて
あかしせよ かの一ときの団欒まどゐゆめに非ずと。


あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。


さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

(大正十年十月)

佐藤春夫『我が一九二二年』(青空文庫)から*1

 謂わずと知れた佐藤春夫の「秋刀魚の歌」だ。「謂わずと知れた」と書いてはみたものの、しかしどうなんだろう、今のお若い方のどれほどが読んだ経験をお持ちなのか。少しばかり古風な音律と言葉遣いと感傷と、……お若い方たちが進んで読むには、作品の言葉自体が少々古びてしまったととりあえずはいえるんぢゃないか。そういう不安もないではない。

 もちろん、そういう古び方にもかかわらず、僕のような無教養な者であっても読めてしまうシンプルな組み立てがあって、しかもシンプルであるにもかかわらず、選ばれた言葉の組み合わせの巧みによって、辞書や註釈に頼らずとも、表現される感傷の質はニュアンスに富んでいるように読める。そのへんは「謂わずと知れた」名作の名作たるゆえんということになるんだろう。

 ところが、だ。冒頭に示したみたいにサンマが1尾6000円もしちゃうというような事態を迎えた現在、「謂わずと知れた」状態が今後も続くのかどうか、こちらに関しては不安を覚えたからといってもバチは当たらないんぢゃないかという気がする。

 「秋刀魚の歌」の中でサンマは、ともすると自己憐憫に流れちゃいかねないような感傷に、微妙なユーモアをもたらしている。おかげで感傷のベタベタした厭らしさがない。その点において凡百のメソメソ作品とは一線を画し得ている。では、サンマがなぜそのような効果をもたらしたかといえば、サンマが身近な、というか卑近な喰い物だからだろう。侘しい暮らしの中で、サンマでも喰うか、ってところが肝要。ここでうっかり国産天然鰻だとか絶滅寸前黒鮪の大トロだとかのご登場ということになっちゃぁ、この作品の一切合切はご破算になっちゃう。ということはつまり、1尾6000円という価格には、「歌」の魅力をぶち壊しにするにはじゅうぶんな破壊力があるということぢゃないか。

 

 今年の不漁がたまたまの、たとえばなにがしかの天候不良に因るものだとするなら、騒ぐ必要などない。来年になればなんとかなる。でも、サンマの不漁はここのところの傾向としてあるという感じだし、さらにその原因を考えると、たぶん一世紀やそこいらは回復しない可能性だってありそうだ。

 

 道東沖から親潮が遠ざかってしまったことが昨年のサンマ不漁の原因として考えられているらしい。

 「親潮」は小学校でも習う日本近海の代表的な寒流だ*3。寒流が日本から遠ざかっている、みたいな話を聞くと、気になってくるのは気候変動、地球温暖化とのつながりのアリやナシや。

 ここ数年の台風をめぐる報道を目にしていると頻繁に登場してくるのが、日本近海の海面水温の上昇だ。海上の熱から台風はエネルギーを得る。日本近海も以前より水温が上昇しているため、接近しつつも台風は勢いを増し続け、結果として日本に大きな被害をもたらすようになったとかなんとかいうヤツだ。

 つい先日発生した台風8号でも見られる以下のような図が、ここ何年かの台風報道ではしばしば取り上げられるようになった。

 こういう図を目にした方は多いんぢゃないか。こうした海面水温の上昇は、台風の類の大型化を引き起こす原因となるものとして前世紀末から地球温暖化をめぐるアレコレの一つとして語られてきたものでもある。僕のような素人には、寒流である親潮が勢いを失い道東から離れてしまうという出来事と日本近海の海面水温の上昇という出来事との間に関係があるように見えてしまう。もし地球温暖化親潮の流れの変化に関係があるとすれば、サンマが卑近な喰い物であるという事実の上に成立していたかもしれない「秋刀魚の歌」は、ますます読まれない作品になっちゃうかもなぁと思えてくる。温暖化それ自体は、もはやもとに戻せない現象としてあるからだ。「今日ではすっかり高級食材として食されるサンマだが、作品が書かれた当時は大衆的な喰い物としてヒトビトに好まれていた」みたいな註釈を読んだとしても、肝心要であるかもしれない微妙なユーモア、ペーソスみたいなものはストレートには感じ取られ得ないだろう。というか、そういう場合についてくるのが註釈というものだろう。結果として、詩的なチャームみたいなものはこれからの読者からは見えないものとなってしまうことになる(のかどうか)。あらまぁ、いやはや、やれやれだ。

 

 構成する言葉が古くなった結果として作品が読まれなくなってしまうってなことは別段珍しくもなんともない。けれど、一篇の詩作品が、地球温暖化に因るかもしれない魚の価格高騰によって決定的に古びてしまう瞬間を目の当たりにするなんていうのは、そう滅多あることぢゃないだろう。だからして、それなりに衝撃的な出来事ぢゃないかなぁ。そうでもないですかね。うーん。

 

 ついでながら……。

 先日解禁になった本格的なサンマ漁、棒受網漁による初水揚げがようやくあったとの報道。

 冒頭に上げたのよりずっとお安くなってはいるものの、このエントリの論旨を変更しなければならないような安さではないだろう。一貫360円は、下のヴィデオに登場する店では大トロと同じ価格なのだそうだ。あらま。

 

殉情詩集・我が一九二二年 (講談社文芸文庫)

殉情詩集・我が一九二二年 (講談社文芸文庫)

  • 作者:佐藤 春夫
  • 発売日: 1997/07/10
  • メディア: 文庫
 

 佐藤春夫、就中詩集となると紙の書籍でホイホイと買える状態ぢゃなくなっているのね*4。改めてびつくり。佐々木幹郎の解説ということでこれを選んでみたけれど、これもマケプレものしかござんせん。気候変動の如何にかかわらず、どのみち読まれなくなる詩人さんということになるのか\(^o^)/。佐藤春夫、格別の思い入れのある詩人・作家というわけぢゃ全然ないのだけれど、読まずに打っちゃっておくのももったいないぜぇぃ。

 

 

*1: 日本語テキストはそのままコピペしたけれど、引用の都合上htmlは大幅に手を入れた。

*2: ただし、番組中、水産研究・教育機構水産資源研究所の黒田 寛氏によれば、今年は親潮が道東に接近しており、サンマがいれば追々水揚げは増えるのではないかとのこと。

*3:cf. 「海水温・海流の知識 親潮」(気象庁)

*4:cf. Amazon.co.jpでの「佐藤春夫」の検索結果。「アマゾンすすめ商品」、あらまびつくり、上位はことごとくKindle版になっちゃってる。