堺市中区、雨降り日記(仮)

 その後*1も相変わらずなのである。

 ここ最近、一日たりとて怠りなし。

 昨日もまた。

 今日も今日とて。

 

 一日、雨雲がずっと表示され続けているというのであれば、まず間違いなくナウキャストの不具合だと断定できそうなのだけれど、実際にリンク先から堺市をクローズアップして観測/予測再生していただければ、たぶんご確認いただける通り、中区上空に雲が表示されない時間もある。降っていなくとも降っているかのように表示してしまうという単純な不具合であれば、日永一日雨降り表示になっていそうなものではないか。もし不具合があるとすれば、そのへんなんだか面倒臭い不具合なんだろうな。

 

 そういえば……と、中区で思い出した写真を一つ。

 カッコいいかもしれないけれど、隠れてなどいないのに庇に書かれた「隠自治会館」の文字列……、まるで「私は怪しいものではありません」と口にする怪しい人物みたいでもあるんぢゃないか。

 それだけではない。「隠自治会館」の後半部分、パッと見には塗装が剥げかけているだけと見えなくもない様子、じっと目を凝らしていると何やら雲が描かれているようにしか見えなくなってくる。この堺市中区において雲を表看板に掲げるとなると……陰謀論脳が否応なく発動せざるを得なくなってしまう。

 考えられることは唯一つ。ここ「隠自治会館」とは世を忍ぶ仮の姿、而してその実態は公然秘密結社「隠自治会」の気象兵器開発研究所に他ならないのである。気象庁のナウキャストが捉えていた雨雲は、ここが日々たゆまず研究開発している降雨兵器の実験がもたらしたものだったのだ。つまり、ここが毎日堺市中区に雨をもたらしていた原因、その正体だったのである。たかだか人工降雨のごときが気象兵器などになるか覚束ないような気もするが、いやいや侮ってはならない。樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』の読者であれば、人工降雨がピンポイントで相手を死に至らしめることさえできる強力な武器になることを知っているはずだ。

 しかし、公然秘密結社「隠自治会」の正体は、そして人工降雨兵器によって実現せんとする目的は何なのか? いよいよ問題の核心に迫りつつあることを感じ手に汗を握り、読者諸賢よ、次号を待て!

 

 なぁんてないい加減なことを書いていると、地元原住民の方からお叱りを賜っちゃいますわね。すみません、すみませんm(_ _)m。

 

 というわけで真面目な話も付け加えておくと、「隠」という地名の由来は、公然秘密結社なんぞとは当然のことながら全然関係ない。たとえば、「晴美台近辺の地名のはなし」によると、次の3つの説があるそうである。

  1. 南北朝時代西高野街道を見張る場所に五本の松があって、丁度金剛山が隠れて見えなくなるので『金剛山隠れ』と名付けられた。「金剛背隠(せがくれ)」と呼ばれ、それが「金剛隠」「隠」となった。これがなまって『こごせかくれ』と呼ばれた説。
  2. 桃山時代に行われた豊臣秀吉の『太閤検地』の時に、隠し田があったから。
  3. 小高い丘になっていて、二上山三輪山)が隠れて見えなくなる場所だったという伝承もある。(陶荒田神社の神主だった大田田根子命三輪山の祭祀に招かれた伝承)。

 ついでながら、cf. google:陶荒田神社

 また「黄金のまち堺から聖山高野山へ 第2回【後編】」(まちあるき/堺・南大阪の地域情報)によれば、上の1.、2.の説に加えて、《大阪夏の陣で敗北した豊臣方の大野道犬(おおのどうけん)が、この地に隠れたという説》が挙げられている。大野道犬については、google:大野道犬 に当たられたし。

 

【2020年9月30日補遺】念のために「隠」について、森田兼夫『堺の歴史探索 地名あれこれ』(堺商工会議所、1999年)にも当たってみた。上に挙げた1.、2.の説に続けて《……大阪の陣の時に徳川家康がここでという説》が取り上げられていた。徳川家康が堺で隠れたとか堺で実は没していたとかいう話は、他にもある。それらのおかげで大野道犬との混同が起きたのかもしれない。興味がおありであれば、google:徳川家康 堺を当たられたし。

 なお、いずれもそれぞれの説の出処についての記述がなく、さらなる裏は採れていない。こういうのはちょっとアレだわねぇ。 

 

 

銭湯の女神 (文春文庫)

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 そういやぁ、地下の巨大秘密銭湯の件はどうなったんだ?^^;