堺市中区、雨降り日記(仮)
またしても堺市中区の中ほどは雨。
— neanderthal yabuki (@nean) September 26, 2020
気象庁 | 雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト) https://t.co/dIQ8qvDRfd による。 pic.twitter.com/Q1mnjHxgvs
その後*1も相変わらずなのである。
何が何でも中区中ほど、どうにもこうにも雨が降る。
— neanderthal yabuki (@nean) September 27, 2020
気象庁 | 雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト) https://t.co/dIQ8qvDRfd による。 pic.twitter.com/egVnD5oG3G
ここ最近、一日たりとて怠りなし。
堺市中区、さすがに今日は降らないんぢゃないかと思ったアタシは甘かった。
— neanderthal yabuki (@nean) September 28, 2020
気象庁 | 雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト) https://t.co/dIQ8qvDRfd による。 pic.twitter.com/t35woSdYXj
昨日もまた。
堺市中区の中ほど、本日午前も雨降り?
— neanderthal yabuki (@nean) September 29, 2020
堺のハズレはよく晴れて、日射しは暑いくらいなんだけれど。
気象庁 | 雨雲の動き(高解像度降水ナウキャスト) https://t.co/dIQ8qvDRfd による。 pic.twitter.com/7CiQGogyR7
今日も今日とて。
一日、雨雲がずっと表示され続けているというのであれば、まず間違いなくナウキャストの不具合だと断定できそうなのだけれど、実際にリンク先から堺市をクローズアップして観測/予測再生していただければ、たぶんご確認いただける通り、中区上空に雲が表示されない時間もある。降っていなくとも降っているかのように表示してしまうという単純な不具合であれば、日永一日雨降り表示になっていそうなものではないか。もし不具合があるとすれば、そのへんなんだか面倒臭い不具合なんだろうな。
そういえば……と、中区で思い出した写真を一つ。
「隠自治会」ってなんかカッコいいぢゃないですか、隠れキリシタンみたいで。 pic.twitter.com/WiPxaCx7B1
— neanderthal yabuki (@nean) August 18, 2015
カッコいいかもしれないけれど、隠れてなどいないのに庇に書かれた「隠自治会館」の文字列……、まるで「私は怪しいものではありません」と口にする怪しい人物みたいでもあるんぢゃないか。
それだけではない。「隠自治会館」の後半部分、パッと見には塗装が剥げかけているだけと見えなくもない様子、じっと目を凝らしていると何やら雲が描かれているようにしか見えなくなってくる。この堺市中区において雲を表看板に掲げるとなると……陰謀論脳が否応なく発動せざるを得なくなってしまう。
考えられることは唯一つ。ここ「隠自治会館」とは世を忍ぶ仮の姿、而してその実態は公然秘密結社「隠自治会」の気象兵器開発研究所に他ならないのである。気象庁のナウキャストが捉えていた雨雲は、ここが日々たゆまず研究開発している降雨兵器の実験がもたらしたものだったのだ。つまり、ここが毎日堺市中区に雨をもたらしていた原因、その正体だったのである。たかだか人工降雨のごときが気象兵器などになるか覚束ないような気もするが、いやいや侮ってはならない。樋口毅宏『さらば雑司ヶ谷』の読者であれば、人工降雨がピンポイントで相手を死に至らしめることさえできる強力な武器になることを知っているはずだ。
しかし、公然秘密結社「隠自治会」の正体は、そして人工降雨兵器によって実現せんとする目的は何なのか? いよいよ問題の核心に迫りつつあることを感じ手に汗を握り、読者諸賢よ、次号を待て!
なぁんてないい加減なことを書いていると、地元原住民の方からお叱りを賜っちゃいますわね。すみません、すみませんm(_ _)m。
というわけで真面目な話も付け加えておくと、「隠」という地名の由来は、公然秘密結社なんぞとは当然のことながら全然関係ない。たとえば、「晴美台近辺の地名のはなし」によると、次の3つの説があるそうである。
ついでながら、cf. google:陶荒田神社。
また「黄金のまち堺から聖山高野山へ 第2回【後編】」(まちあるき/堺・南大阪の地域情報)によれば、上の1.、2.の説に加えて、《大阪夏の陣で敗北した豊臣方の大野道犬(おおのどうけん)が、この地に隠れたという説》が挙げられている。大野道犬については、google:大野道犬 に当たられたし。
【2020年9月30日補遺】念のために「隠」について、森田兼夫『堺の歴史探索 地名あれこれ』(堺商工会議所、1999年)にも当たってみた。上に挙げた1.、2.の説に続けて《……大阪の陣の時に徳川家康がここで
なお、いずれもそれぞれの説の出処についての記述がなく、さらなる裏は採れていない。こういうのはちょっとアレだわねぇ。
そういやぁ、地下の巨大秘密銭湯の件はどうなったんだ?^^;