本日の備忘録/《人間にとって猿とは何か》 Part II

 これはなかなかになかなか。すでに有名な動画らしい*1が、僕はつい最近TLで流れてきた所謂パクツイみたいなヤツ*2で知った。

 目の前に餌があっても直ちには喰いつかない。どちらの手に餌が隠されているかを当てたケースにおいてのみ、喰らいつく資格が生じるというルール(?)に則って行動する。これは犬畜生くんの行動としては、大したものなんぢゃないだろうか。

 ちょっと気になるのは、「なぜかルールを理解してて」という書かれ方だ。これが、どういう事態を意味しているのかがわからない。ひょっとして躾や訓練の類をしたわけでもないのに、先天的に!自分の採るべきふるまいを知っていたということなんだろうか。って、まさかねぇ。そんなこと、万物の霊長様にしたってあり得そうもないぞ\(^o^)/。その他いろいろ細かな疑問は次々に湧いてくるけれど、大筋において翔太郎くんのエラさ、かわいさに異議を唱えるには足りない。

 いずれにしてもまぁ、冒頭ヴィデオの行動が訓練の賜物であろうとなかろうと、とにかくルールがわかりそれに則った行動が採れるというのは、大したもんだ。それにルールが理解できるのなら、ルール違反についても理解できるのではないか、でもって、ルールの認識の有無が実は、手品を目にしたサルの反応についてヒントになっていやしないかというあたりが気になって来る。

 

 先日の「本日の備忘録/《人間にとって猿とは何か》」、とくにその後半について国語屋稼業先生がコメント記事を書いて下さった*3。あ、っと膝を打ったのが、奇術の定義を確かめているところ。いつも僕はこういう基本をすっ飛ばすところがダメダメなんだよなぁ。おかげで、自分が何を疑問に思っていたのかがずっとクリアに見えてきたというか、考えるべき問題が何であるのかがくっきりと把握できた。

マジック(手品、奇術)の定義として「人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも『実現不可能なこと』が起きているかのように見せかける芸能」という定義がある(Wikipedia「奇術」*4)。

 この定義のポイントは演者の側からなされたものだというところだろう。そのために、奇術を考える上で本来不可欠な見る側の反応の意味を捉えそこねているように見える。少し見る側を大きく捉えて整理し直すと、本来一定のルールに沿って事態は推移するはずだという見る側の期待を裏切って、ルールを破った事態を演者が観衆の眼前に生起せしめ、観衆に不思議がらせるのが奇術であるということになろうか。ここで大切なのはヒトがサルに「見せかける」だけでは、話は出来上がらないということだ。手品・奇術の成功はひとえに鑑賞者であるサルが不思議がって愉しめるかどうかにかかっているはずだ。

 サルたちが直面した事態は、現れて然るべきブツが現れるべき場所に現れないというものだ。譬えていえば、自販機にコインを入れたのに缶コーヒーが出て来ないようなものだ。つまり、然るべきルールがあるのに、目の前の事態はそのルールを破っているという事態だ。そう見ると、ドゥ・ヴァールの見たヴィデオに登場する猿のように怒り出すほうが素直な反応だと思える。あるべきブツが消えてなくなってしまうというルール違反に対して怒っているわけだ。むしろ、不思議なのは、ブツが消えてしまったのを愉しんでいるかのように見えるオランウータンの子どものほうなのである。缶コーヒーが出て来ないことを、不当なルール違反、理不尽な運の仕打ちと見ずに、起こって然るべきことが起こらないという不可思議な事態だと見て*5愉しんでしまうとは*6、考えてみれば奇妙なことではないか。しかも、ヒトが手品を愉しむのとは異なり、ここにはこれから手品が行われるのだというような演者vs.観衆間の事前の了解、コンテクストがない。謂わばサプライズみたいな形で事はなされる。これを愉しめるとするなら、たぶん一般的な畜生くんにはまず見られないであろう高度で知的な振舞いが出来ているということにならないか。

 そして、もしそうであるとするなら、ドゥ・ヴァールのサルとオランウータンの子どもの間には、手品が愉しめるかどうかに関する霊長類内での進化論的知的能力の断絶が存在していると結論してもいいのではないか。

 

 そういうとこいらへん、改めて実験的にたしかめるにはどうしたらいいのか、みたいな、ますます僕が考えても意味のなさそうなことを考えていたところに出喰わしたのが、冒頭の柴犬くん。単に餌を隠した手の左右を当てさせるだけではなく、手の内の左右どちらからも餌が消失するパタンを加えて反応を見るとどうなるか。柴犬くんではなくて種々のサルで試してみるとどうなるか。そのへんで、手品を愉しむ能力を確かめられないかというようなことが、冒頭のヴィデオでヒラメイタのだが、いやしかし、よくよく考えてみると……*7

 

立ち読み課題図書、その他

 ダン・アリエリー、アントニー・ダマシオの名前も見えて……。

 

 ゆっくり再読しているのだけれど、相変わらずおもしろい。

 

*1: 「おやつ当てゲームに挑戦するも…苦戦する柴犬」(無料動画GYAO!)「このワンコ、すごく賢いんです 『ハズレたら食べられない』ゲームのルールを完全に理解している柴犬に驚き」(ねとらぼ)「『こっちだワン!』おやつ当てゲームのルールを理解してるワンコが賢くて超カワイイ」(FUNDO)約360,000もの「いいね」を集めた柴犬がこちらです | 笑うメディア クレイジーその他など。いずれも昨年1月下旬の記事。

*2: もふもふ動画 on Twitter: "なぜかルールを理解してて最高にかわいい柴犬https://t.co/phSihOUunl" / Twitter。出典アカウントを記しているわけだから、「パクツイ」と呼ぶのは適切を欠くのではないかとも思うのだけれど、一方で添えられた言葉も元々のツイートのものの一部を省略しただけのものにしているあたりはやっぱり「パクツイ」って感じぢゃないですか? 出処となるアカウントは表示されても、出典そのものであるtweetは閲覧者が自分で探さなきゃいけないシステムになっているんだから。

*3: 「進化論的に見られなかった、私のマジック論」(国語屋稼業の戯言)

*4:【引用者註】URLをちょいと改めた。

*5: なのかどうか?

*6: と見るのは擬人化が過ぎているだろうか?

*7: と、流行りに乗ってみたりして\(^o^)/