本日のギターメモ/大貫妙子「カイエ」カヴァーの試み

 昔々の大昔、こしらえた大貫妙子「カイエ」のカヴァーを一つ上げておく*1。1分ほどの演奏なので、編曲演奏ともどもヒドいものであったとしても、聴いたからといって直ちにバチが当たるものでもないだろう。「カイエ(cahier)」はおフランス語で「手帳、ノート」の意。十数年前の極私的脳戸時代に出されていて然るべきだったかも\(^o^)/。用いた写真は、「本日のUS National Archives/Hiroshima and Nagasaki Effects, 1945」で触れた「Japanese Bride in America」から拾ったものだったんぢゃないかと思う。「カイエ」とは特段の関係はないm(_ _)m。

 バッハ(J.S.Bach)の「ブーレ(Bourrée、BWV 996)」*2の練習中、うっかり間違えた冒頭パタンが何となく大貫妙子「カイエ」の冒頭に似ていたこと*3を手がかりに、ものは試しと拵えたカヴァーということになるのかな*4。そういう成立事情なので、原曲アレンジへの配慮はほぼない*5。メロディだけをいただいて、あとはこちらが悩まずに弾けるように簡潔な組み立てしか持たないものに、かなりがんばって仕上げた。それでもちゃんと弾けないのだから、もうどうしようもないですね\(^o^)/。また、「ブーレ」が元になっているからというだけでなく、音数が少なくスカスカで、原曲の落ち着いたテンポも維持できなかった。結果として、原曲のモダンでありながら典雅な雰囲気は、考えていた以上に失われてしまったかなぁ。う~ん。追々音数を増やして落ち着いたテンポを取り戻してゆけるようにしたいところだけれど。

 と、そんなこんなで、とりあえず現在のところ、なんちゃってカヴァーということになる。そんなもんヒト前に晒していいものかどうかはよくわかんないけれど*6「空に小鳥がいなくなった日(歌伴試作)」の勢いに乗じてアップしてしまうのだ\(^o^)/。

 さしあたり、「ブーレ」がフィンガーピッカーのヒトにとってしばしばそうであるみたいに、ライブ前の指慣らしとして弾いてもらえる折でもあれば幸甚。指慣らしに向いているかどうかは、よくわかんないけれど\(^o^)/\(^o^)/。

 

 録音してみると、ふだんの自分の演奏というものが如何に脳内補正の行き届いた形でしか自分の耳に響いていないかがよくわかる\(^o^)/。タイミングやテンポ、一音一音の表情その他あれこれ、自分自身では斯々然々のように弾いたつもりになっていたところが、現実にはそう鳴り響いてくれてはいない。我が指どもの不帰順・不服従のおかげを以て、頭音と現実に聴こえてくる音との懸隔ぶりには絶望以外感じるべきものはないというわけで、とくに感想は求めないけれど、そんなものを他人様ヒトさまに晒して恥じない爺ぃの耄碌ぶりを哀れんでやってくれたまひ\(^o^)/。

 

カイエ

カイエ

  • アーティスト:大貫妙子
  • 発売日: 2008/01/23
  • メディア: CD
 

 1984年、音楽ヴィデオサウンドトラック盤としてリリース。リンク先ページには、ストリーミング版、mp3版の紹介もある。「カイエ」にはIとIIがあって、Iはジャン・ミュジー、IIが坂本龍一それぞれの編曲になっていたと思う。音の重ね方はいずれも美しい。

 

*1: 十数年前、旧「極私的脳戸/日々の与太」で、ちょびっとだけ触れたことがあるのだけれど、常連さんでも御記憶されてはおりますまいね。

*2: cf. 「BWV 996 bouree」のYouTube検索結果

*3: いうほど似ていないんだけれど。

*4: そういったわけで、play keyはEm。鹿苑寺、ぢゃないよ録音時のチューニングは、「一応スタンダードチューニング」でCapoは3フレット。「一応スタンダードチューニング」は5弦A=440Hzをちゃんと確認せず、テケトーにこんなもんかなといったあたりにしたチューニング。たいてい、半音から全音半くらい標準より低いチューニングになっている^^;。

*5: オリジナルのアレンジには、ジャン・ミュジーによるものと坂本龍一によるものとの2つがあるのだけれど、そのどちらであっても話は変わらない。

*6: とはいえ、ビリー・アイリッシュ先生によれば、「作ったら気に入らなくても全作品発表するに如かず」とのことらしいから、まぁよろしいとしておくべし。