中山ラビ

 作詞・作曲中山ラビ、編曲・ギター安田裕美*1。中学生の頃、初めて耳にした中山ラビのアルバム『ひらひら』の作品中*2、たぶん真っ先にこちらの気分にぐっと入り込んできた歌だ。

 音楽的には何の複雑さも目新しさもないし、独立した詩としてこちらを圧するような言葉もない。バラバラにして聴いてしまうと、ずいぶんつまらない。けれど、歌は音楽でも詩でもない。歌は歌として歌われるべきだし、聴かれなければならない。そういう歌になっているのだと思う。中学生時代から何度も繰り返し聴き続けてきた歌だ。

 

 今月4日、中山ラビが亡くなった。 

 訃報記事に目を通しながら、何となく気になったことがある。

中山さんは1966年(昭41)にビートルズの来日公演に行き、高校の英語の授業でボブ・ディランの歌と出会った。69年に第4回関西フォークキャンプに自費で参加して、京都の円山公園野外音楽堂での打ち上げコンサートでボブ・ディランの歌を歌ってライブデビューした。

ボブ・ディランから大きな影響を受けて「女ボブ・ディラン」と呼ばれ、アルバイトをしながら関西を中心にライブ活動を続けた。72年12月にファーストアルバム「私ってこんな」でメジャーデビュー。87年を最後にアルバム制作とライブ活動を停止して、88年長男を出産後は音楽活動を完全に停止した。

97年(平9)に音楽活動を再開。また、東京・国分寺の喫茶店ほんやら洞」を77年から経営し、自ら接客もしていた。

中山ラビさん死去「女ボブ・ディラン」女性シンガー・ソングライター - おくやみ : 日刊スポーツ、2021年7月5日付記事から

 なんだかボブ・ディランBob Dylan)の影響ばかり強調したような記事や記事の見出しが目についたことだ。上の記事はその典型で、「ボブ・ディラン」の名前がやたらと繰り返されて、斜め読みしかしない読者なら、うっかりそちらの訃報記事だと勘違いしてしまいそうだ。たしかに影響は大きかったに違いないだろうけれど、当時のフォークに関わったヒトたちにとって彼の影響力はたいてい大きかったのではないか。「歌手の中山ラビさん死去 ボブ・ディランに影響受ける」(共同通信)なんて見出しを目にすると、ひどく胡乱なものに見えてしまう。たとえば、吉田拓郎にとってのボブ・ディランみたいなことを思い浮かべてみればいい。影響をまったく受けずに独自路線を突っ走ったヒトが一体どれくらいいたのか。

 

 たしかに、ボブ・ディラン作品を日本語化したものもいくつか中山ラビのレパートリーにあるし、ライブデビューもボブ・ディラン作品だったことが知られてもいる。しかし、だ。ことに上の「わかれ」同様『ひらひら』に収録された「ドアをあけて」などは、安田裕美による飄々としたアレンジもあいまって、ボブ・ディランの元歌「Open The Door Homer」を忘れても何の痛痒もなく聴ける日本語の歌になっている*3。このあたりになると強い影響を受けたに違いないとしても、日本語の歌として消化/昇華されている点に触れなければ正確な評言にはならない。

 このエントリを書いている時点ではYouTubeボブ・ディランのオリジナルは無料公開されていないのだけれど*4、他のアーチストのカヴァーがいくつも公開されている*5。元歌はザ・バンド(The Band)を従えた作品で、決して出来の悪い作品ではない。『ベースメント・テープス(Basement Tapes)』に収録されているので、興味のある向きは当たられたし*6*7

 「ドアをあーぁけて、いつもの声がほら」なんて日本語、よく出て来たもんだなぁと、初めて耳にした折はもちろん、今だって感じる。言葉の意味と音が音楽にきれいに重なっていて、とても訳詞ベースで組み立てられたなどとは信じられない。こういう言葉の生理をわきまえた扱い方は、外国人アーチストの誰彼から影響を受けたとか何とかでは説明のつかないものだろう*8

 こうした言葉の扱いの興味深さは、もちろん中山ラビ自身の作品にもよく現れている。逆にいえば、中山ラビの側にあった日本語の扱い方がボブ・ディランの歌を見事に日本語の歌へ馴致したのだといえるのかもしれない。

 トーキング・ブルースの発展型、ほとんどラップの先駆型だと云ってみたくもなるのだけれど、そこいらへんはこちらの思い入れの過ぎる評言か。「善男善女」の読みが耳に障るのだけれど*9、それはこちらが、ある意味「乾いた道路」で「へばりつく足跡を探る」タイプの人間であるせいかもしれない*10。というような個人的なアレコレはどうでもよろしい。とにかく、まずは言葉の組み立て具合のカッコ良さったら。

 ナンセンスと踵を接するような言葉が音楽に支えられながら、くっきり響く歌になる。他にないとまではいわないけれど、そうそうアチラコチラに転がっているわけではない。加えて、しっかりした歌唱と魅力的な声質で聴けるということになると、これはもう貴重だといわなければならない。

 

 とあれこれ書いてみて思い起こすのが及川眠子の言葉だ。あるべき影響関係とはどういうものかという話にもなるだろう。

……なんせ1970~80年代のバンドマンたちはほとんどビートルズローリング・ストーンズの真似から入り、フォーク・シンガーたちはボブ・ディランに影響を受けています(笑)。私自身も、中山ラビや加川 良の詞に影響を受けて、まず彼ら彼女らの真似から始めた。たとえ真似から入っても、才能のある人たちはみんな、やっていくうちに自分自身のオリジナリティーを作り出しています。

及川眠子『ネコの手も貸したい――及川眠子流作詞術』(リットーミュージック、2018年、p.36)

 及川眠子の現在の作品にどのような具体的影響が残っているのかちょっと見当もつかないけれど、たとえば、たかじん「東京」、Wink淋しい熱帯魚」や高橋洋子残酷な天使のテーゼ」のどこかでかすかに中山ラビの歌が響いていると妄想してみるおもしろさはあるかもしれない。ホメオパシーのレメディーからネタ元分子を探し出すような、隠微な独り遊び的愉しみ(違

 気になる方は、続くスレッドも 当たられるべし。泣ける(T_T)。

 

その他

 ネットから訃報関連その他の記事をいくつか拾っておく。

 

 

 

 自分が果たして中山ラビのファンだったかといえば、まずそんなことはなかったのだと思う。学生時代には、渋谷のジャンジャンでのライブに通いもしたのだけれど、いくらか熱心に聴いていたのは『ひらひら』から『会えば最高』までの間だけだ。加藤和彦と組んだあたりからは、ついていけない気持ちのほうが大きくなってしまった。活動再開以降は、こちらの生活がどうしようもない状態に陥ってしまったために、そのうちなんとか……と、うかうか時を過ごしてしまった。というわけで、中山ラビについて突っ込んだ話ができるだけの資格も能力もない。

 けれど、それでも10代後半から20代前半、何事にも熱中することの少ない自分がそれなりに夢中になったシンガー・ソングライターだった。というわけで、これくらいのエントリを書いても許されるのではないかと思う。

 

 中山ラビ入門盤としてはこれということになるか。中山ラビといえばこの1枚しか知らないが、それでも充分インパクトがあったというヒトもいるんぢゃないか。

 

会えば最高

会えば最高

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 何だかマケプレ価格高騰中みたいだけれど。星 勝アレンジ。

 その他、「中山ラビ」でのAmazon.co.jp検索結果

 

 これを読んで作詞家になれるのかどうかはよくわかんないけれど。とにかく話が具体的なのがいい。ただし、中山ラビや加川 良からの影響がどのようなものであったのかは、上に引いた以外説明されないので、そのへんは誤解のありませんように。

*1:cf. google:安田裕美。このヒトも昨年、同じく72歳で亡くなったばかりだ。

*2: 中山ラビの歌を初めて耳にしたのは、たぶん1974年のNHK出演時の歌唱だったのだと思う。途中からしか記憶にないのだが、「川にそって」の終わり近い演奏がいくらかたるんで響いた後、「ドアをあけて」が気持ち良かったのだった。

*3: ついでに、『ひらひら』では作詞作曲のクレジットからも忘れ去られていたというあたりはアレだけれど。

*4: プレミア会員向け有料公開のはある。

*5:cf. 「bob dylan open the door homer」のYouTubeでの検索結果

*6: ちなみに上のヴィデオ中の、ボブ・ディラン(画面中央でマンドリンをヴァイオリンのように構えている人物)も顔を出している写真は、『ベースメント・テープス』のジャケ写になってたヤツ。

*7: ついでながら、ボブ・ディランの「Open the Door Homer」もまた、Jack McVea「Open The Door, Richard!」(リンク先はYouTube)にインスパイアされたという話があったりもする。こちらはボブ・ディランの歌とは逆に「ドアを開けて中に入れてくれ」というOpen the doorになっている。中山ラビの歌では、説教臭い「いつもの声」の主がドアを開けて室内に入ってくる。同じくドアを開けるにしても、いろいろあるわけだ。だからどうしたという話でもないのだけれど。

*8: このへん、中山 容の影響を別途考えなきゃいろいろわかんないところもありそうだけれど、手近なところに手がかりはなさそう。というわけで、とりあえず措くしかない。

*9:cf. 「善男善女とは」(コトバンク) 

*10: 中山ラビ作品の歌詞には、日本語の用法やら読み方に怪しいものが他にも登場する。たぶん、そこいらへん、調べたり考え抜いたりする以上に、自分のセンスを信じて言葉を用いていた結果だろう。多少の当たり外れなど、ファンは気にしないんだけれど、新しいファンを増やす邪魔にはなってきたかもなぁ。