中川イサト

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 7日、中川イサトが亡くなった。

 こちらのブログは、2022年3月19日に始められたばかり中川イサトの最期を伝えるために始められたブログだったのだろうか。一つ一つ記事をたどってみると、7日の死は唐突なものではなかったこと、いくらかは本人の選択みたいなものだったのかもしれないことがわかる。関心がおありの方は、近況報告~その1からだけでも、たどってお読みになられるがよろしいかと思う。

 

 初めて中川イサトを聴くようになったのは、高校時代。美術部の後輩だけれど、僕なんぞより絵もギターも歌もうまいNくん経由で知ってからだった。五つの赤い風船のギタリストだったと知ったのは、それからさらに遅れてのこと。実はずっと以前から音をなにほどか耳にしていたというのに、毎度我が身ののさくさ具合、情弱ぶりは呆れる他ない。

 中川イサトというと今では、アコースティック・ギターインストゥルメンタルの先駆け、草分けであったことが強調される。けれど、すでに当時、バート・ヤンシュ(Bert Jansch)やジョン・レンボーン(John Renbourn)の作品に出会ってショックを受けた後だったし、耳にしたのは『1970』、『お茶の時間』、『黄昏気分』、つまり歌を主体にしたアルバムだったせいもあってか、ギター演奏で大きく心を動かされることはなかったように思う。心に残ったのは、むしろ歌のほうだった。必ずしもうまいとは云えないヴォーカルが、シンプルな曲想とKinta*1の歌詞*2とに、とてもいい感じでマッチしている。今聴き返しても同じような感想を抱く。

 ソロギターの話ばかりになるに違いない訃報記事に対してことさら変わった話を書こうというようなつもりはない。中川イサトのシンプルな歌の気持ちよさはちゃんと知られるべきだし評価されるべきなのだと思う。

 『1970年』から。ハモりはなくてもいいなぁとも思うけれど、いい感じ。『お茶の時間』版もいいなぁ*3

 

 『お茶の時間』から。都会、街中の雪がこれくらい具体的な情景の中で歌われた作品は非常に珍しいんぢゃないだろうかという気がする。

 単純ではあるけれど、雪がちらつくのを目にすると、今でも条件反射的に頭の中で流れ出す歌だ。

 

 『黄昏気分』から。歌伴ギターのA7とD7(on F#)の繰り返しパタンが気持いい。

 

 さっと頭に浮かぶ歌を挙げてみると、そのときどきの気分で多少の入れ替わりはありそうだけれど、いずれにしても最初期の3アルバム収録作ばかりになる。『1970年』と『お茶の時間』は1973年のリリース。『黄昏気分』が75年。すべて70年代前半の作品。実際に耳にしたのは、3枚とも76年か77年か。ファンの類を自称するわけには到底参らない。とはいえ、10代半ばに耳にした音楽の類の、なんというんだろう、好尚への支配力みたいなものは、ずいぶん大きい。その生みの親が亡くなったという現実は、それなりに胸に応える。

 しばらくはいろんな話がネットにあがってくるのではないかと思う。GoogleTwitterはチラチラ覗いてみるべし。

 

1970年 +9

1970年 +9

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 「+9」はボーナス・トラックのことみたい。気になるところだけれど、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」とのこと。

 

 CDはマケプレもののみ。MP3かストリーミングが現実的選択ってことになるのかな。

 

 上に同じ。マケプレもの、さらに高し。うー。

 

Naturally

Naturally

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 これが遺作ということになるんだろうか。そういうアルバムが歌を中心にしたものになったというのは、ひょっとしたらただの偶然なのかもしれないけれど、そうだとしても……という気になってくる。

 残念ながら、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」。MP3もストリーミングも、今のところない。

 

RARE PERFORMANCE 1973~1975

RARE PERFORMANCE 1973~1975

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 歌を聴き込んでみたいということなら、これがあるぢゃないか!と思ったのだけれど、「再入荷見込みが立っていないため、現在ご注文を承っておりません」とのこと。あらま。

 

 赤い風船時代を除いたとしてもほぼ半世紀にわたる活動期間があったのだもの、いろんな音源や譜面、映像が出ている。「中川イサト」をキーワードとしたAmazon.co.jpの検索結果など参照されたし。

 

*1: この方のこともあまりよくわからない。中川作品にとって欠かせない重要な作詞家さんなのだから、もちっとネット上に情報があって良さそうなものだけれど……。「中川イサト」(Wikipedia)の「ソロ シングル」の作詞の欄に「上田憲一」の名がある。どちらもKintaの作詞とされていたものだったように記憶しているが、「上田憲一」が本名だということなのだろうか。「それからのロックマイウェイ令和編44 上田賢一の思い出」(末期ガンからの生還〜その時、僕は何を考え、何をしたか....)には、「上田賢一」という方(故人)が「キンタ」と呼ばれて登場する。《中川イサトさんの「プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3」もキンタの作詞》とさえある。どちらが正しい綴りなのかわからない。たぶんとにかく「上田けんいち」という方がKintaなのだろうとは思うのだけれど。

*2: 歌詞も別にエントリを立てたくなるくらいいいと思うんだがなぁ。うっかりまかり間違えば関西の松本 隆くらいになれたんぢゃないのかな、Kintaという方。関西のヒトかどうか知らんけど\(^o^)/

*3: 「その気になれば」(中川イサト、YouTube)