11月の夜空/11月の星空情報・天文現象 - 国立天文台その他

 もう11月半ばとあっては時宜を逸するにもほどがあるけれど\(^o^)/。

 系外惑星の解説が入るとは予想外の展開。ほら、あの星座の脇には斯々然々の惑星が……なんていう話が出来る。実際には目に見えないものが語り手の脳内ではくっきり見えているような語りってのはカッコ良さそうでもある。そんな機会、当方には思い当たる節さえございませんがぁ\(^o^)/

 系外惑星発見者のノーベル物理学賞受賞については、「2019年ノーベル物理学賞を宇宙物理学の3氏が受賞」(国立天文台(NAOJ)) hatena bookmarkもあるけれど、「2019年ノーベル物理学賞は,物理的宇宙論における数々の理論的発見に対してジェームズ・ピーブルズ教授に、 また太陽と似た恒星の周りを公転する太陽系外の惑星の発見に対してミシェル・マイヨール教授とディディエ・ケロー教授の3名が受賞した。」(一般社団法人 日本物理学会) hatena bookmarkのほうがいくらか詳しいというところか。

 しかしなぁ、ヴィデオの1分に満たない長さ、というか短さはなかなか切ないなぁ。

 

 こちらは毎度の仕上がり、たいへん結構。

 しかしなぁ、これも毎度感じることなのだけれど、

ってなあたり。星々を結ぶ線を示されてもなお、星座の名称通りのイメージが宙空に浮かび上がってなど来ないんぢゃないか。うお座とかおひつじ座とか、ふざけんぢゃないよ級のわけのわからなさ加減ぢゃないですかね。うお座なんかほとんど球が部分的に欠けちゃったカチカチクラッカーにしか見えないぢゃないですかね*1。おひつじ座は、どこでどう間違えると羊の姿が思い描けるんだかさっぱり見当もつかない\(^o^)/。あれは「へ」の字の左右逆様になったヤツに過ぎんわ\(^o^)/\(^o^)/。

 採録シナリオ(PDF) hatena bookmarkもある。ひょっとして使い回しのURLになっているのかな?

 

 「What's Up: November 2019 [Video]」(NASA Solar System Exploration) hatena bookmark採録シナリオ。

 水星の太陽前面通過はどのみち日本からは見られなかったのだけれど。

 水星なんて鼻糞にすら及ばないってな感じですかね。とはいえ、これのおかげで、このエントリを書きかけたまま放置していたことを思い出したのだた\(^o^)/。

 せっかく遅れたのだからして、12日夜のこれも挙げておくかぁ。《満月の夜だった11月12日午後10時ころ、長野県の東の上空に極めて明るい流れ星である「火球」が現れた。東京大木曽観測所に朝日新聞社が設置している星空ライブカメラが、その火球をとらえた。中部地方などでも目撃情報が相次いだ》とのこと。

 こちらは《A meteor falling near St. Louis, Missouri was captured on a home security camera, Monday, November 11》とのこと。車載カメラに捉えられた火球はこれまでにもたくさんあったけれど、防犯カメラにも捉えられる時代なんだな。ほへぇ~。車載カメラからのもご覧になりたければ、「Huge meteor lights up Missouri sky」(Guardian News、YouTube) hatena bookmarkをどうぞ。こちら、複数の映像を取り上げている。ただし、防犯カメラからのものが主体なのだけれど。

 

 来月は早めを心がけまっすm(_ _)m。

 

 

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 手帳は14日発売、年鑑は20日。もうそういう時節なんでございますねぇ。

 

*1:cf. 「カチカチクラッカー」はどうもローカルな呼称だったみたい。それとも、実家界隈に出回ったパチもんの呼称だったのかな? 「アメリカンクラッカー」(Wikipedia) hatena bookmark

本日のイメージ/Estudiantes mark return to stadium with giant lion hologram

 これはその場で見てみたかったなぁ。

 サッカーのこと、というかスポーツ全般のことはさっぱりわからないので勘違い(とくに固有名詞あたり)等があるかもしれないけれど、概要欄の英文をテケトーにまとめると、2005年来、安全性の問題から閉鎖されていたホルヘ・ルイス・ヒルシ・スタジアムを再開するに当って、アルゼンチンのサッカークラブ、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタが開いたイヴェントでのアトラクションってなことらしい*1

 ホログラムということになると、やはり現地で立体感を味わわないと話にならない。この規模と色彩なら、たとえば巨大キングギドラか何かで甲子園あたり、日本でもやらかさないものかしら。というかぜひともやるべきだわね。

 もう僕の頭の中では、怪光線を吐きながら甲子園の宙空を舞うキングギドラがはっきりと見えているのだけれど\(^o^)/。

 

 商品紹介の日本語が怪しすぎるのだけれど、4番目の商品写真みたいにからだに装着可能だというのはいいかも。両肩にホログラムのキングギドラはべらせて夜道を歩くのは愉しそうぢゃないか。

 

*1: 詳細は、Watch: Spectacular giant lion hologram opens Estudiantes stadium in Argentina hatena bookmarkでもあたられたし。当方、まだ読んでないのだけれど\(^o^)/。

本日の備忘録/類推の鐵コン筋クリート

 たいていのヒトにはどうでもいい話を一つ。

 或る詰らない何かの言葉が、時としては毛蟲のやうに、腦裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鐵筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の謎が、神祕に隱されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで來て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも經驗するところの、あの苛苛した執念の焦燥が、その時以來憑きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不斷に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神祕なイメーヂの謎を摸索して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁いて居た。惡いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻をし、最後に長く「クリート」と曳くのであつた。その神祕的な意味を解かうとして、私は偏執狂者のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫觀念にちがひなかつた。私は神經衰弱症にかかつて居たのだ。

 或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の會話を聞いた。

「そりや君。駄目だよ。木造ではね。」

「やつぱり鐵筋コンクリートかな。」

 二人づれの洋服紳士は、たしかに何所かの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の會話は聞えなかつた。ただその單語だけが耳に入つた。「鐵筋コンクリート!」

 私は跳びあがるやうなシヨツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機會を逸するな。大膽にやれ。と自分の心をはげましながら

「その……ちよいと……失禮ですが……。」

 と私は思ひ切つて話しかけた。

「その……鐵筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上の意味……僕はその、哲學のことを言つてるのですが……。」

 私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚したやうな表情をして、私の顏を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味が全で解らなかつたのである。それから隣の連を顧み、氣味惡さうに目を見合せ、急にすつかり默つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。

 到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。

「鐵筋コンクリートつて、君、何のことだ。」

 友は呆氣にとられながら、私の顏をぼんやり見詰めた。私の顏は岩礁のやうに緊張して居た。

「何だい君。」

 と、半ば笑ひながら友が答へた。

「そりや君。中の骨組を鐵筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一體。」

「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」

 と、不平を色に現はして私が言つた。

「それの意味なんだ。僕の聞くのはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗號。寓意。その祕密。……解るね。つまりその、隱されたパズル。本當の意味なのだ。本當の意味なのだ。」

 この本當の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。

 友はすつかり呆氣に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顏ばかり視つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を轉じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど眞面目になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその祕密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で逢つた男も、私の周圍に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。

「ざまあ見やがれ。此奴等!」

 私は心の中で友を罵り、それから私の知つてる範圍の、あらゆる人人に對して敵愾した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。

 だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、靈感のやうに閃めいた。

「蟲だ!」

 私は思はず聲に叫んだ。蟲! 鐵筋コンクリートといふ言葉が、祕密に表象してゐる謎の意味は、實にその單純なイメーヂにすぎなかつたのだ。それが何故に蟲であるかは、此所に説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣の表象が女の肉體であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は聲をあげて明るく笑つた。それから兩手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、嬉しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。

「蟲」(萩原朔太郎『宿命』 hatena bookmark*1

 「友人」の語る「中の骨組を鐵筋にして、コンクリート建てにした家」という定義は果たして正しいのかどうか。鉄骨と鉄筋の混同があるように思うんだけれど、っと、それはさておき、不意にある言葉が口をついて立ち現れ、そこから「私」とその言葉との葛藤が続き、しかじかの体験があって後、「私」はその場を離れるという構成からは、どうしたってマラルメ「類推の魔」*2を思い浮かべないわけにはいかない。朔太郎研究の類は全然知らないのだけれど、これ、やはり「魔」の影響の下に書かれているんぢゃないかしら? とはいえ、それにしても彼我の違いの、なんと大きいことか^^;。

 マラルメの「私」がなんとか言葉から主導権を奪還しようと悪戦苦闘した挙句の果てに、かえって現実の振舞いさえ言葉に奪われてしまったように見えるのと比べると、自分一人で何とかしようとはせずに他人様ひとさまを巻き込む傍迷惑っぷりには呆れ果てるより他対処のしようもない。こういう手合に電車内で出喰わしたなら、そりゃぁまともに取り合ったりはせずにスタコラサッサ逃げ出すのが正しい対応に決っている\(^o^)/。

 

 朔太郎先生(の「私」)の傍迷惑ぶりはさておき、特定の言葉が頭から離れずにオブセッションになっちゃうような頭の調子の悪さだけなら、結構多くのヒトが経験済みなんぢゃないか。

っと、僕も、2つの名詞に先日来取り憑かれ呪縛されている\(^o^)/。2つの語がなぜ頭に浮かんで来たのか、まったく見当がつかない。アナグラムっぽい組合せは口ずさんでみたい気もするが、口ずさんだが最後、うっかり電車内で「ドレスデンテレスドン、教へてくれ、その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗號」とか何とか云い出しかねない。ここはグッと堪えて一人耐え忍ぶより他ない。

 ドレスデン「ドレスデン爆撃」(Wikipedia) hatena bookmarkによって、テレスドンウルトラ怪獣であることによって*3、それぞれ容易に大規模破壊に結びつく。しかし、だからといってなぜ今僕がそんな物騒な共通点から2つの名詞を思い浮かべなければならないのか、そこいらへんに筋の通った理由があるようには思えない。というか、仮にたとえば精神分析的なアレコレで理解できるような理由があったとしても、そこいらへん、あんまり興味がない。

 ただひたすら、ドレスデンテレスドンドレスデンテレスドンドレスデンテレスドンドレスデン……と頭の中で、別段そうしたいわけでもないのに、唱え続けているだけだ。何なんだろうな、こういうオブセッションそのもの。音楽が頭について離れなくなる現象には、「ディラン効果」だの「イヤーワーム」だのの名前があるけれど、言葉がそうなる現象にはこれといった名前がないみたい。ということはひょっとして、特定の言葉が頭について離れなくなる現象、実はそれほど多くのヒトが体験してきたわけではないということなんだろうか。

 

 

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 この版だともうすでにマーケットプレイスものしかないのだけれど……。

 紙の新本だと単行本3巻、アマゾンでは揃わない。今ならマーケットプレイスコミックセットの3巻セットか、Kindle版『鉄コン筋クリート』まとめ買いかで読み通すというのがオーソドクスなのかもしれない。でも、松本大洋の絵となると新本で揃うとしても文庫で読むのでは断然ダメダメ、むしろ単行本より大きめの紙の本で読まなければつまらない。

 

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 コミックとは別に、これもとてもいい感じに仕上がっている。映画館の大きなスクリーンで見るべきアニメになっているが上映される機会はなかなかなさそう。次善としてレンタルすることも考えられるが、2度3度と見たくなること請け合いなので買ってもバチは当たらないと思う。

 

*1: リンク先は青空文庫版。各作品への個別のリンクはない。だいたいページ中ほど。

*2:cf. google:マラルメ 類推の魔

*3:cf. google:テレスドン ウルトラマン

本日の備忘録/「只これ天にして、汝が性のつたなきをなけ」の巻

 今さらな与太を一つ。

 不尽川ふじかわのほとりをゆくに、みつばかりなる捨子のあはれげになくあり。此川の早瀬にかけて、浮世の波をしのぐにたえず、露ばかりの命まつ間と捨置けん、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂よりくひ物なげて通るに、

  猿を聞人捨子に秋の風いかに

 いかにぞや、汝父に憎まれたるか、母にうとまれたるか、父は汝を憎むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、只これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。

野ざらし紀行 - Wikisource hatena bookmark*2

 芭蕉先生、捨て子を見捨ててゆくの巻。象だって仲間を見捨てないというのに、芭蕉先生と來たら……。

 

 たとえば、「『人助けランキング、日本は世界最下位』英機関 日本は冷たい国なのか ホームレス受け入れ拒否問題 (飯塚真紀子) - 個人」(Yahoo!ニュース) hatena bookmarkで取り上げられているようなアレコレに触れてなんとなく思い浮かべるくだり

 「隣人愛」のような伝統がない日本、まして近代的な意味での社会福祉の考え方もない江戸時代当時のこと、大金持ちでもない芭蕉先生であってみれば、この振舞いもそう責められたものでもないのよね、というような話とともに学校で習ったような習わなかったような\(^o^)/

 たしかに、こういう話、現在の日本人の冷酷につながる文化なのだと云い募ることで何かの免罪符みたいなものにしてしまおうという向きにはひょっとすると便利なものなのかもしれない。

 とはいえ、芭蕉先生の捨て子への態度のありようは、今日只今のヒステリックな日本的棄民具合とは隔たりが遠いものではある。「三ばかりなる」と見当をつける程度には子どもを見つめもし「袂よりくひ物なげて通る」程度の施しも抜かりない。もちろん、いずれにしても、これらの記述が本当にあったことだとして、の話だけれど。というのは、この条、話としてずいぶん出来すぎているように思えるからだ。

 

 現在、僕たちが目にするテキストでは、この条冒頭の「不尽川」は「富士川」と記されていることが多い。富士川では全然ピンと来ないのだけれど、「不尽」となると『竹取物語』の不尽山の「不尽」なのだからして、不尽川vs.捨子くんの「こよひやちるらん、あすやしほれんと」見えちゃうような「露ばかりの命」、つまり、いつまでも尽きないものvs.今まさに尽きようとしているもの、スケールのコントラストがパッと見えて來るようになる。で、何だか地名ドリヴンな書き方、ありのままを書いたというよりも、地名に喚起されてお話が出来上がったんぢゃないのかという気もして來る。

 加えて、詠まれた一句が「鳴く猿」という漢詩文の伝統的素材に目を向けたものになっていること。「不尽」であるかもしれない詩文の歴史につながっているのかいないのか、まるで芭蕉自身の俳諧こそが捨子であるかのように思えて來なくもない。つたなさがとは、実は自分の書き綴ったもののそれに他ならない。「いかに」は捨子についての問いである以上に、その時の芭蕉自身についての問いを杜甫なり西行なりに投げかけているみたいに見えてくる。

 というようなことを考えていると、この条、とどのつまりは、フィクションなんぢゃないか、あるいは相当する出来事が実際にあったとしても、話の意は自ずと別のところにあった、ってなことになるんぢゃないか。ならないかなぁ。

 

 芭蕉ほどのヒトが書いたものとなると、いろんなヒトがテケトーな解釈をアレコレ並べ立てて悦に入っていたりするんだろう。まぁ、これもそういうアレコレの一つ。テケトーに読み流されて然るべきものってことになっちゃうんだろうなぁ。う~ん。まぁ、いかにも素人っぽい妄想なのだろうと思いはするのだけれど、同じような妄想を抱くヒトってたぶんそれなりにいらっしゃるんぢゃないか。どうかしらね。そうでもないかなぁ、いないかなぁ、う~ん、\(^o^)/。

 

 芭蕉先生のは、ジーンズの尻ポケットに携行出來なきゃいけまっせん。

 

*1:「Category:Matsuo Basho」(Wikimedia Commons) hatena bookmarkから拝借。北斎画ということなのだけれど、具体的な出典は何なんだろ?

*2: ただし、引用文中のルビは引用者がテケトーに振った。