本日の埋草/註釈の彼方へ

 最初は、逆説的と見えなくもない表現にクスリと来たのだった。けれど、逆説を解き解こう考えているうちに、なんだかわけがわからなくなっちゃったのだ。

 

 註釈とは、読者にとっては未知であろうと思われる事柄を説明して、よりマシな議論の理解を図るためのものだ。だが、のっけから「言うまでもなく」となると、なんだかそのへんが怪しくなる。「言うまでもなく」とは、すなわち「説明不要の事柄だが」という宣言に他ならないからだ。それがとりあえず逆説的だといえば逆説的だということになりはするのだけれど……。

 

 本書*1における「第九」を取り上げる註釈はこの部分だけではない。ここからわずか7ページ先、次章末尾の註釈(1)も《言うまでもないがベートーヴェンの『交響曲 第九番 ニ短調 作品125《合唱》』である》との一文で始まっている。この繰り返しを考えれば、なおのこと、これが読者の知識不足を補うための註釈ではないように思えて来る。一体、何のための註釈なのか、気になって来るぢゃないか。

「この程度の知識は本書本来の読者なら当然知っているだろうが」というような仲間内への目配せのようでもあり、「まさかこの程度のことを知らないなんてことはないだろうな? もし知らないのであれば、今からでも遅くはない、とっとと踵を返し、本書を書店の棚に戻し、ベートーヴェンくらいは一通り聴き通し、然る後、改めて本書に向かい給え」というような脅し文句のようでもあって、なんだかよくわからない。

 こちらに何か読み落とし、読み誤りがあるのだろうか。まぁ結局そういうことに違いないんだろうけれど。う~ん。

 

※ ※

 

 年末になっても暑中の挨拶がページトップのまま、明日にはいきなり年賀挨拶というのでは、いくらなんでも間の抜けたお粗末様だろうということで、とりあえず。タイトルは毎度ながらインチキなのでお気になさらないでくださいm(_ _)m。

 

*1: 本書の正体をお知りになりたければ、ネタ元ツイートへのレスを参照のこと。