ここのところのうだうだ/玉葱の稔りはどう表現すればいいんだろう?

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 母の入院先界隈。これも堺市内。

 実家で過ごした幼児期の記憶を刺激する風景かもなぁ。もちろん、違いはいろいろあって、たとえば、

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のようなものは突っ立ってなどいなかった。代わりにあったのは「釣瓶つるべ」。右のようなヤツだ。ネットでの説明の中には「梃子の原理を利用して井戸水を汲み上げる」みたいなのもあるけれど、どうなんだろう? もし梃子を応用ということなら固定した柱が支点となるはず。ところが、つるべのついた横棒のどの部分に支点を設けるかは、いろいろ眺めているとずいぶん多様であるみたいだ。もし、梃子を応用したということであれば、釣瓶がついている側が短くなっていてそのおかげで、水がたっぷり入って重くなった釣瓶も楽々持ち上げられるというようでないとおかしいのではないか。ここはむしろ多少力が必要になったとしてもたくさんの水を素早く汲み上げることに力点が置かれていたんぢゃないだろうか?

 いつ頃から撥ね釣瓶を見なくなったんだろう? 「つるべ」といえば「笑福亭鶴瓶」が連想されるようになったあたりかしら?

 関係ないが、いつだったか足立区のどこだかを歩いていて撥ね釣瓶を見かけたことがある。東京で見たのは後にも先にもそのときだけだけれど。

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 で、まぁ玉葱なども、と書いて、玉葱の稔りはどういうふうに表現するのがいいんだろう、そこいらへん、よくわかってないよなぁ>自分。「たわわ」というと枝にぶら下がる成熟した果実という感じになる。「みのる」というのも草木の別は問わないにしても実にこそふさわしいように感じる。辞書にだって《草木や穀物などが実を結ぶ。また、実が熟する》ってな説明が出て来る。「ぷっくりと膨らんでいる」だけでは、収穫間近の気配は伝わりにくそうだし。

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 近辺の家屋にはこういうのも目立つ。さすがに、少数になってはいるけれど。それでも、古い農家の結構を残したものはそこそこあって、見飽きない。

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 こういう、ほどほどの古び方、結構カッコいいぢゃないか。

 

 それにしても、病院そのものはずいぶん不便なところにある。最寄りバス停から、先日気づいた近道で5分、知らなければ10分少々。実家最寄りバス停から病院最寄りバス停までが10分くらい。実家最寄りバス停あたりから病院が運営する無料送迎バスもあるが、たいていじいさんばあさんでいっぱいなので、どうしても遠慮せざるを得なくなっちゃう。

 病室からは景色もロクに見えないというのに、どうしてまたこういう病院を選んだんだろう。うーん。

 

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 またボソボソと読んでる。今から読もうというお若い人は、まず「補章」を読んだうえで最初へというのがいいかもなぁ。