蕎麦と鶉と鶏と

食通でも何でもないのでこのへんまったく自信などないのだけれど、どうなんだろう。

 

 幼い頃、普通の蕎麦屋でを喰った折にはたいてい鶉の卵はついてきていたような気がする。

 上京しての学生時代以降、ほとんどまともな蕎麦屋で喰ったことなどなかったが、どこで喰っても、うずらの卵を見かけた記憶はない。蕎麦屋だろうがコンビニやスーパーのザルとは無縁のざるそば、もりそば、いずれもだ。

 一度、鶏卵がついて来て驚いた記憶があるにはあるが、あれはいつどこででだっただろう。堺の「ちく」だったかな*1。旅行することもまずめったないので、他の地方ではどうなっているのかさっぱり知らない。

 

 というわけで、ググってみることになる。

 「知恵袋」界隈でも、おぉ、やっぱり話題になっているのだけれど、いかにも信用できなさそうな雰囲気の漂っている回答が多いなぁ。喰い物となると地方・地域でいろんなヴァリエーションがあっても全然おかしくないはずのところ、卵が入れば月見そばだからそれはもうざるそばとは云えないと断言してしまうようなタイプの回答もあって、言葉と喰い物、扮装の類を素人*2の知識で推し量るのは危ういなと改めて感じたりする。

 結局テケトーに信用のおけそうなリファレンスサイトを当たり直してみると、なるほどそういうことならありそうだというのが、「鶉蕎麦(うずらそば)とは」(コトバンク)hatebu。『日本の郷土料理がわかる辞典』(講談社)と『和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典』(講談社)とからの二つ記述が掲載されているが、いずれも同じ文面。

大阪に本店のある和食店美々卯(みみう)」の名物料理で、うずらの卵を2個添えたもりそば。◇1925(大正14)年に美々卯を創業した薩摩平太郎が考案したものとされ、後に「うずらそば」として商標登録した。関西では、もりそばにうずらの卵を添えることがよくあり、そばつゆに混ぜて用いる。

 ただし、美々卯のサイトに当たると

大阪の蕎麦の名店『美々卯』を代表するメニューは、「うずらそば」です。

ふわっと湯気のたつ“あつもり”の蕎麦を、うずらの卵を入れた蕎麦つゆで味わいます。

温かい蕎麦から立ち上る香りと、出汁の味、うずらの卵の味が一体となり、至福のひとときを過ごしいただけます。

美々卯 本店 -蕎麦Web-hatebu

と、通常の冷のもりそばではないらしい*3。喰ったことないなぁ。

 でもまぁ、「美々卯」が起源となって大阪を中心にざるそば、もりそばにうずらの卵を添える習慣が広がったのだろう、というような見当は立つ。

 ちょっと気になるのは、薩摩平太郎は美々卯を開業する前に、上にちらりと名前をあげた「ちく満」で修行していたという話があるあたり。ひょっとすると、うずらそば考案以前からちく満では鶏卵を添えていたということはないだろうか。

最初に考えついたのは「うずらそば」だったという。これは現在も、『美々卯』を代表する商品のひとつになっている。大阪の老舗蕎麦店『ちくま』と交流があり、そこの蕎麦に影響を受けて考案した。

虎視眈々--そばの散歩道hatebu

 引用中の《『ちくま』》は「ちく満」のことだろう。どういう影響を受けてうずらを添えるに至ったかという肝心のことが書かれていないから確言は出来ないけれど、どうかなぁ。別に地元だからというアレぢゃなしに堺の「ちく満」の鶏卵が「美々卯」でうずらの卵に化けたというのはありそうな気がするんだけれど。どうですかね。

 

蕎麦の事典 (講談社学術文庫)

蕎麦の事典 (講談社学術文庫)

 

 当たってみますかね。

*1: 司馬遼太郎『街道を行く』中の堺に触れたあたりでもちく満についての記述が登場する。実はかなり有名な店らしい。

*2: 生半可な「プロ」も含む。

*3:【復旧時註、というか「おまけ」】「大阪鍋物語・うどんすき」(財団法人 関西・大阪21世紀協会)hatebuに《名物となったのは温盛りのざるそばをふたつのうずら卵とダシで食べる「うずらそば」。もともと堺地方では、蕎麦を温盛りで食べる食文化があったからだ》との記述がある。うずらを添えるようになった経緯もちく満との関係も記されていないが、堺に蕎麦を温盛で食べる習慣があったとは、地元民なのに全然知らなんだ。お恥ずかしい。ついでながら、美々卯自体元を正せば堺にあった魚問屋だとのこと。