本日の備忘録/現実と虚構
明るくはあるけれど、どこまで行っても薄っぺらで代わり映えのしない単調な光景。眺めながら思い出したのが『レイダース 失われたアーク《聖櫃》』のラストシーン。
1分8秒過ぎあたりから、それは登場する。
箱がむやみに積まれているありさまは何となく冒頭ヴィデオの倉庫内と似ていなくもない。しかし、こちらの倉庫内に積まれた箱の中身の「トップシークレット」はずっとヴァリエーションに富んでいるようだ。
あれだけの破壊力を秘めていたそれも、様々な極秘機密のブツを集めた倉庫の中では、特別の緩衝材も用いられない粗末でチッポケな木箱の収容物に過ぎない――そんな暗示による結びは、娯楽作品としてはなかなか。十戒の石板を収めた聖櫃級のトップシークレットなんちゅうものは大国アメリカにはいくらでも存在する――フィクションではあっても、事の重大さを伝え得ている凝った締め括りだ、くらいのことは云ってみてもバチは当たらないんぢゃないか。
現実がもたらすヴィジョンの明るく単調な軽薄と、娯楽のためのフィクションが見せてくれるヴィジョンの暗くどんでん返し的な重厚とのコントラストに眩惑を覚える。軽薄の側には今なお「備蓄」されているはずの雨合羽みたいなものもあったりするわけで、まったくもって我が国のこの年の瀬の味わい深さ/浅さと来たら。
1981年作品。学生時代、バイト先の映画館で見たのだった。
『ポルターガイスト』なんかもそうだったのだけれど、あぁ、このあたりで何かおっかないもんが出て来るぞ、と場面の展開の予想は粗方ついちゃうのだけれど、ただ展開がこちらの予想を超えた圧倒的な物量と迫力で現れるおかげで、迂闊にも驚かされることになるのには参っちゃった。金のかけ方が違うってことなのかなぁ。邦画ではこうはいかないよなぁ、と嘆息した記憶がある。
というような感想はさておき、概略紹介としては「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(Wikipedia)でもどうぞ。飽き足らない場合は、「Raiders of the Lost Ark」(Wikipedia)に当たりますかね。こういう映画の御本家版ウィキpの扱いは、日本語版ウィキpのアニメの扱いに似た情熱を感じちゃうな。