本日の備忘録/Darwin's Missing Notebooks Returned

 上2つ、多少かぶるところもあるけれど、まずはφ(..)メモメモ。

 

「英ケンブリッジ大がダーウィンのノート紛失 進化論の考察メモ、盗難か」(産経ニュース)の件、謎を残した解決ということになるんだろうか。

 図書館によると、ノートを撮影するため00年に特別な保管庫から取り出した後、返還されていないことが01年の定期点検で判明。図書館は「誤った場所に戻した」のが原因と考えて通報はしなかった。だが捜索しても所在が分からず、最終的に「盗難に遭った可能性が高い」と判断した。

 おそらく2000年の撮影の段階で紛失、ひょっとしたらば盗難にあったんぢゃないかという判断が2021年になされたという妙竹林な事件。

 ケンブリッジ大学図書館からは以下のようなアッピールまで登場したのだった。

 よほどのショックだったんだろうな。

 戻ってきたのは何より。消え方や匿名の返還などは、いろいろ素人推理やら下衆の勘繰りやらを誘うけれど、そのあたり、ここでは取り合わない。まずはめでたし。

 こういうブツの値打というものがどのへんにあるのかよくはわからない。すべてのページが写真撮影され、内容的には元のノートに炙り出しその他の仕掛でも施されていないかぎりは、進化論に関する史料としての情報的な価値で考えられるような値打はもうないようなものぢゃないか。

 けれど、ヒトの遺した肉筆にはそういうところに還元できない魅力があることは確かなことのように感じられる。だって、上の動画なんぞを何度も眺めていると、何となく盗難犯であるかもしれない「X」の気分がわかってくるような気がして来ちゃうもんね。「生命の樹」のスケッチだって、見るからにチャーミングで、ずっと手許に置いておきたい気分になってもおかしくない^^;。

 

 ケンブリッジ大学図書館では、6月から12月にかけてDarwin in Conversationなる催しだかなんだかが開催されるのだそうな。さぞかし盛り上がるんだろうなぁ。

 というわけで、まったくもってめでたし、めでたし。

 

おまけ

 一通り書き終えたところで、ロイター日本語版からもヴィデオが公開されたのでついでに。

 

 「生命の樹」といえば、同年輩の爺ぃ世代なら、70年大阪万博テーマ館、太陽の塔内にあったもののほうを先に思い浮かべる方もいらっしゃるのではないか、ということでまぁ。

 

 

2021年3月27日のSongs/湖の遊園地

 2021年3月27日にYouTubeで見聞きしたPV・MVの類から。

 この日はデビッド・ボウイピンク・フロイドU2その他の定番的大物作品も聞いているのだけれど、これを書いている本日只今においてどうにもこうにもノレない。こちらの気分の問題、YouTubeの海外チャンネルで、ロシアによるブッチャの虐殺映像、屍体映像ばかり眺めているのがよろしくない。絶望的な無力感にどっぷり浸って陰々滅々の薄暗い気分*1の只中、本作がレクイエムのように響いたということか。というのはちょっと無理遣りな引っ張り方か。

 

 このヒトの他の作品を聴いてみると、マックス・リヒター(Max Richter)やヨハン・ヨハンソンJóhann Jóhannsson)を何となく思い浮かべないでもないところもある、ミニマルを通過した、いくらか軽い仕上がりの作風のBGM。分類してみるとすると軽めながら洗練された「ネオクラシカル」とかなんとかあたりに落ち着くのかな。分類がどういうところに落ち着こうが、鳴っている音に変わりはないのだけれど。

 

 毎度ながら、どういうアーチストさんなのか全然知らない。おまけに名前が「Clark」いっちょでは、検索キーワードとして雑に過ぎるから調べるのが億劫になっちゃう困った名前だなぁ、と思ったのだけれど、キーワードをgoogle:Clark composerとしてみたらば、一発でOK。

プレイグラウンド・イン・ア・レイク

プレイグラウンド・イン・ア・レイク

  • アーティスト:Clark
  • Deutsche Grammophon
Amazon

 「Playground In A Lake」(Clark - Topic、YouTube)で一通り試聴出来る。

 

 エントリのタイトルに日付を打って初めて一年を上回る更新の遅延に気づくというテイタラク。もうこうなったら、どんな遅れにも臆せずに、いっそのんびり更新してゆくぞ\(^o^)/

 

立ち読み課題図書、その他

 僕のTLでのウケは悪いんだけれど、西田亮介モノということで。この方の書き物、おもしろいと思うんだがなぁ。

 

 TLにてその筋のヒトがスゴいスゴいとおっしゃっていたので。執筆陣が素晴らしいのだそうな。値段がスゴいことくらいなら僕にもわかるんだがなぁ\(^o^)/。いずれにしても、ご近所の書店で御目文字叶うことはなさそうだけれど。

 

*1: しかし、考えてみれば、アテクシのような凡庸な一市民など、こういうデカい出来事にかぎらず何かにつけて無力であり、たとえば自分の生活においてさえ不如意のネタに事欠きはしないのだから、そういう感じ方自体が烏滸がましいというのが正しい受け止め方なんだろうな。と、うっかり迂闊にも気づいたりするとますます気分が悪いぞ\(^o^)/

本日の降霊術2.0/声と顔

 CoeFont、すでに『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日)で紹介されたらしいから、いささか今さらな話題かもしれないけれど、「降霊術2.0」*1関連の話題としても捉え直せるかな、ということでメモ。冒頭のヴィデオは昨年9月9日、2本目は今月16日に公開されたもの。局が違うのに、声帯摘出の患者さんの映像が被っているあたりがちょっとアレな感じだけれど、だいたいにおいて素直に興味深い技術だと思う。開発者さんが大学2年生の二十歳だっていうのも、話題としてはポイントが高そうだしね。

 

 2~4時間に及ぶ学習を通して、どんなことを学んでいるのかが気になるところ。ヴィデオではほぼ共通語のアクセント、イントネーションで事が進んでいる。個人的な癖や所謂「方言」の強い話者からの学習はどんなふうに行われるのか。行われている、あるいは行われ得るということであれば、降霊術2.0的には要注目ということになる(かな?)。

 細かいところはさておき、声帯を摘出せずとも、私たちは皆いずれ死者となり声を失うことになる。死者を召還するには声を再生する技術がどうしても必要になる。死者の生前をどのように学習させようと、それがただの文字情報としてしか再現されないとなると、どうしても物足りなさが残る。故人の肉声に触れることができるとすれば、話の内容以上に、故人のリアリティみたいなものが生まれるんぢゃないか。

 

 声には、そのヒトのかけがえない個性みたいなものが宿っている。これが再生される意味は、降霊術2.0にとって大きい(よねぇ、たぶん)。

 

ふろく

 CoeFontが降霊術2.0を聴覚から支える技術だとするなら、視覚面から支える技術の一つとしてDeepFakeを考えることが出来るかもしれない。というフリは無理があるか\(^o^)/。ディープフェイクと縁浅からぬスナップチャット(Snapchat)も、考えてみればウクライナの企業ぢゃなかったっけか*2。ちょっと陰謀論的なネタになりそうな/できそうな気配なきにしもあらずだけれど、ここではそのへんには取り合わない。

 ディープフェイク(DeepFake)か何かで、フェイクなゼレンスキー大統領が市民にロシアへの降伏を促すヴィデオが作られ、SNSその他で拡散されたとかなんとかいう話。すでに日本語報道でも取り上げられちゃったみたいだから、そのへんの説明は省いて問題なしか。

 「Bad Deepfake of Zelenskyy Shared on Ukraine News Site in Reported Hack」(Snopes.com)で取り上げられたのを目にしたときは、さすがに驚いたなぁ*3。そういうこともいずれはあろうとは思っていたけれど*4、まさかこれほど重大な局面で用いられるとはなぁ。

 どのくらいのヒトビトがこうしたイメージに惑わされるのかは、ちょっとわかんない。首周りのバランスがあからさまに不自然だし、声が本来の大統領のものとは異なって聴こえるし*5、躰が顔ハメ看板みたいに全然動かないってなあたり、落ち着きなくやたらと動くゼレンスキーとはまったく異なっている。だから、パッと見で違和感を覚える映像になっちゃってるように思える。けれど、そこいらへんは見出しを予め見ていたからそう感じたに過ぎないのかもしれない。戦火に脅かされる日常の中では、冷静な受け止めはむずかしいことだってあるだろうし。それとも、さすがに仕上がりが雑に過ぎて、騙されるヒトなどほとんどいなかっただろうか。

 いずれにしても、上のヴィデオを見ている限りでは、DeepFakeそのものには今のところさしたる技術的進歩はないのか、むしろ少なくとも本件に限っていえば劣化しているのかもな。と、とりあえず、びっくり記念にφ(..)メモメモ。

 

立ち読み課題図書、その他

 ご近所では相変わらず御目文字叶わず。いっそKindle版でさっさと……、と思わないでもないけれど、この厚さだと紙で読んでみたいぢゃないですか、と爺ぃは考えてしまうのですね\(^o^)/。

 

 へぇ~。あちらのヒトがこういうのを書くのかぁ。序文だかを書いているEric Sellandは、たしか吉岡 実の英訳なんかをしていたヒト。そのへんからたどって北園克衛に行き当たったって感じなんだろうか。これはどう転んでもご近所では御目文字叶いそうもないなぁ。

 

 

 

*1: 当ブログでの「降霊術2.0」をキーワードとする検索結果。

*2:【公開後註】 技術的につながるところがあるんぢゃないかといった程度の意味です。誤解されやすそうな表現になっちゃったかな。

*3: ちなみに、スノープス(Snopes)はファクトチェックを目的に立ち上げられたサイト。ページデザインの雑さ加減が、何となくサイトの素性を怪しいものに見せているように感じちゃうかも、だけれど、インチキ情報の悪質サイトというわけではない。詳細は「スノープス」(Wikipedia)あたりでも参照されたし。

*4: cf. 「本日の備忘録/ディープフェイクとか」、2019年。

*5: CoeFontが使われることがあれば、このあたりは危うくなるのかな。

本日の備忘録/盗作疑惑

 デュア・リパ(Dua Lipa)様の盗作疑惑となると気になるところ*1。気になるところではあるけれど、このへんについての基本的な僕の考え方は、「バベルの図書館の『あったかいんだからぁ♪』の狸2世」の頃とほとんど変わっていない。流行歌はやりうたは、一定の聴き易さが必要であり、したがって、リズムは4拍子系で調性も比較的単純でなければならず、口遊くちずさみやすいメロディが断然必要ということになれば、出来上がる歌の範囲はそれほど広いものにはならないだろう。まったくの同一の歌が偶然に出来上がる可能性はさすがに低いだろうが、かなり似ているかほとんど同一のフレーズが登場する程度のことは、そりゃぁそれなりの頻度で生じるに違いない。実際、「バベルの図書館……」で引用したヴィデオをご覧になれば、《独立して作られたとはとても思えない》*2と思えなくもない曲というかフレーズが続々登場してくることに驚くヒトがいてもおかしくはない。今回もそういう理解で問題ないんぢゃないか。

 以前、Led Zeppelinの「天国への階段」騒動の折の無罪判決理由を思い出したりもする。原告側作品も「天国……」も、そもそも、いうほどのオリジナリティなどないって話。たしかにそっくりに聴こえるんだけれど、似たようなのは他にもいくらだってあって要するにどちらもオリジナリティなんかないぢゃん、というお粗末様*3。無罪ってことでゼップの面々も喜んでいる、みたいな報道など眺めつつ、君ら、オリジナリティを否定されているというのに、そんなに喜んでおってええんかい? と感じたヒトも結構いらしたのではないかなぁ。

 で、今回の騒動も、とくにAdam Neelyの方のヴィデオを聴き流した感じだと、似たような作品は他にもあるみたい。したがってまた普通に考える限り結論としてもゼップのと似たりよったりなところに落ち着いちゃうんぢゃないのか。裁判そのものがどう転ぶかはわかったもんぢゃないけれど。

 

 何となく俳句の類題みたいなことも連想クイズ的に思い浮かべるのだけれど、五・七・五近辺の音数を守りながらとはいえ、無季だったり自由律だったり、語彙そのものだって時代とともに拡大していくあたりも考えれば、存外ポップソングのメロディよりも、表現の幅はずっと広く保ち続けることができるかもしれない。ってなことがある程度正しいとすれば、「ポップソング、第3芸術論」とか、書けちゃいやしませんかね。ま、ダメか\(^o^)/

 

Future Nostalgia

Future Nostalgia

Amazon

 他にストリーミング等あり。Amazonでは、Artikal Sound System「Live Your Life」そのものも収録アルバムも見当たらないみたい。探し方が悪いんですかね。

 

 

*1: 英語がササッと読めてしまうヒトには、「Dua Lipa Accused of Stealing Levitating in New Lawsuit」(Billboard)あたりが便利か。リパ様の訴えられた作品と訴えた側の作品、それぞれ音源が紹介されてもいる。未だ耳にしていないヒトにはなお便利。

*2: 前脚注で紹介したビルボードの記事に引用された訴状中の言葉。

*3: 裁判ではゼップ側弁護士たちが、いかに同じコード進行の曲がたくさんあるかを証拠として提示していたのが笑えたくらい。『メリー・ポピンズ』の「Chim Chim Cher-ee」(YouTube)まで引っ張り出していたんだもんなぁ。そこまでいくと、低音の下降くらいしか似てないでしょうにぃ、って感じなんだがぁ。