格天井

浜寺公園駅一等待合室

 未明に見た夢。

 銭湯の脱衣場のような広間。ただし、番台もロッカーの類も、肝心の湯船もない。思い出せるかぎり出入口すらなかったような気もする。男湯女湯を隔てる建付けの木製の仕切りと高い格天井こうてんじょうは、いずれも年季の入ったもののように見える。とくに格天井はていねいに作られていて、天井絵こそないものの、壁と接する部分もどこかの城郭本の丸御殿か何かで見たような、きれいな曲面に仕上がっている。さらに広間中央部の天井には段を重ねた格天井がしつらえられ、天井の高さと広がりを感じさせるものになっている。一方、仕切りは、ほどほどの高さしかなく、うっかり間近で跳ねればその向こう側も充分に視野に収めることが出来そうだ。銭湯ならあっていいはずの鏡は仕切りになく、代わりに人物の絵と日本語であることはわかるのだが、何と書いてあるのか判然としない文字の並びの見える古い邦画のポスターのような紙が何枚か貼られている。人影は見当たらないのに周囲にざわつく気配が続いていて、気分は落ち着かない。

 いつからなのか、ずいぶん前からその広間の真ん中で立ち尽くしている。何かここでしなければならないことがあったはずなのだが、例によって思い出せない。どうしたものかと考えあぐねていると、市松文様状に格天井の板の部分がぱっくりと開いて、何本もの細い鎖がするすると降りてくる。鎖の先には紡錘形を2つ合わせたような握りがついていて、ちょうどそれが僕の目の高さでいっせいに止まる。この握りみたいなヤツ、どこかで見たことがある。一体どこで、どういう折にだったろうか。懐かしさについつい目の前のヤツを握り、ほとんど反射的に力を籠めて下に引く。とたんに轟音の響く気配がして、あたりの光景が歪み始める。

 

 そのあたりで目が覚めた。

 階下から母が手洗いの扉を閉める音。あぁ、ずいぶん昔の水洗、流す折にあぁいう鎖を下に引くことになっていたのだな、と懐かしい気分の出処に気づいた。

 ああいう手洗いでは水のタンクも少なくとも外装は木製であったような気がする。見た目は木製の四角い箱で、水圧の必要性からか天井近くに設けられていたものだ。現在のように低い位置に映されたのはどうしてだろうか。まさか時代が移るにつれて排泄物の量が減ったわけではないだろう。便器表面の加工技術が進歩して滑らかさが増したということなのだろうか。

 それはともかく、そういう水洗は実家にはついぞ設けられることはなかった。友人・知人宅、親戚宅でも思い当たる節がない。通った幼稚園や小中学校の手洗いは水洗ではなかった。それ以上歳を喰ってからとなると、そもそも鎖を引くタイプの水洗はなくなっていたのではないか。映画やテレビでも頻繁に見かけるようなものではないだろうし。とすると、何度となく接したことがあるような懐かしさは、いったいどうして湧いて来たんだろう。

 

 写真は浜寺公園駅一等待合室の窓。本文とはとくに関係はない。

 

銭湯は、小さな美術館

銭湯は、小さな美術館