さてここで問題です。この三角形は何でしょう?
ありゃぁ、っと思ったのだった。
この写真は、「Palestinians condemn France attacks」(Reuters、YouTube) の結びの映像からのキャプチャ。世界各国の首脳たちがテロ抗議の行進に参加したぞ、と報じられたその首脳陣が集まっている人だかり部分。ネタニアフもいればアッバスも並んでいる、PLOまでが今回の「France attacks」への抗議のデモ行進に参加するというのは確かに大きなニュースではあって、かつて少なくとも西側の報道では過激派扱いされていると見えなくもなかったヒトたちの変容に感慨を覚えないでもないのだけれど、それ以上にしてやられたかもなと感じたのが最後の映像だったのだ。
各国首脳の行進となると、
という構図で報じられるものがほとんどであって、上の写真のように鳥瞰した映像はまずない。タイトルが「World leaders join mass Paris march to honour attack victims」なんてな具合だからして、
フランス各地で11日、テロに反対するデモ行進や集会が行われ、仏国務省によると同国全土で史上最多の370万人が参加した。首都パリ(Paris)では、世界各国の首脳ら数十人が率いるデモ行進などに、約160万人が参加。「自由」や「シャルリー」などと叫びながら街を練り歩いた。
パリの街を埋め尽くす群衆、160万人参加の反テロ集会 Aerial shots of Paris mass rally - YouTube 、強調引用者
というような映像と《世界各国の首脳ら数十人が率いるデモ行進などに、約160万人が参加》というような情報を他に頭に入れていたりすると、「世界各国首脳ら」が先頭に立っていて一般人の行進はその後に続いてでもいるに違いない、セキュリティも大変だろうに実に堂々と大したもんだ、とうっかり感心したりしてしまいそうぢゃないか。というか、まぁそれに近いようなことを迂闊な僕なんぞは想像していたのだった。
もちろん、街頭にリーダーたちが集って立つとなれば、セキュリティ関連が大変であることには変わりなく、やっぱりそれなりにエラいなことであるに違いないんだけれど。それでも、なーんだ\(^o^)/って気になっちゃいますわねぇ。この際、この三角形を内緒にしたまま、世界のリーダーたちが行進したぞと報じたアレコレは嘘つきもいいとこだと申し上げておきたいですね。
その他あれこれのメモ
- 「ムハンマドの風刺画(1)−−フランスのメディアはなぜ火中の栗を拾うのか」(fenestrae)
これは先日も取り上げたヤツ。
- 池内 恵 - フランスで宗教規範への挑戦を続けることがなぜ深い意味を持つのか、分からない人には、いろいろな分からない理由があると思うが...
面倒臭いけれど、イスラム関連で池内氏の語るところってハズレがまずない。これは必読級ということでお薦め。ただ宗教ってどれもこれもここで語られるようなある種の排他性を持っている/持っていたということも事実なんぢゃないかと思う。それがどういうふうにある程度柔軟な態度をも採るようになったのかは考えておいていいことなのかもなと思った。すぐさま世の中をアレコレ変えるような力にはならないかもしれないけれど。
- Cäsi on Twitter: "フランス2テレビの政治ジャーナリスト「私はCharlie ではないと言っている人たち、デモに参加しなかった人たちこそをテロ対策として追跡し、彼らを社会に統合させなければなりません」←表現の自由はどこにいってしまったの!? http://t.co/Vl2wZlZHJ2"
こういう話も出て来て、あぁもうフランスも9.11のメリケンみたいにパトリオット・スイッチがパチンと入っちゃったんだなぁとも思うし、「表現の自由」は国家の統合と分かちがたいところで認められているんだから、これも成り行きとして当然出てくる主張なのかもしれないとも思う。要するによくわからん。
- Cäsi on Twitter: "シャルリ・エブドテロを免れた漫画家リュズ:「我々は例えば平和の鳩のようにある価値感が象徴化されることに対して闘ってきた。ところが今我々自身が象徴化されてしまった。死んだ仲間達はこのような全体一致の賛美は望んでいなかっただろう」 http://t.co/B5UUJjIA3f …" 、Cäsi on Twitter: "シャルリ・エブド社リュズ「今や誰も彼もがシャルリ・エブドの象徴を利用している。ところがシャルリ・エブドの風刺画とはまさに誰もが利用できるタイプのものではなかったんだ。我々自身があべこべに象徴化されてしまった状況で、今後新聞を続けていくのは難しい。」"
とはいえ、これはよくわかる考え方。上記の疑義とはまた別に受け止められるべき主張だなぁ。リュズ氏はたまたま編集会議に遅刻して難を免れたヒトなのだそうな。
- CNN.co.jp : 仏シャルリー紙最新号、ネットで700ドル超も
社会のシャルリ・エブドへの扱いのこれまでを考えれば、たしかに馬鹿げた事態が生じているということなんだろうなぁ。こういう熱狂ほどカートゥーン的な軽みから遠いものはない。
- CNN.co.jp : パリ大行進に政府高官不在、米ホワイトハウスが不手際認める 、東京新聞:「オバマ政権にがっかり」 パリ大行進 米首脳級不在:国際(TOKYO Web)
いささか紋切型の感想になるんだろうけれど、そういう役割を日本のトップは期待されていないのだなぁ。もちろん、国会周辺のデモを止めさせよう、そんなものは「テロ」だと語るようなヒトたちの集まりなんだから、参加する気はもとよりなさそうだけれど。そういうところで西側諸国との価値観の違いがものすごくクッキリとしていることは心に留めておいたほうがいいんだろうなぁ。うーん。
あれこれググりながら、『アラキリ(Harakiri)』誌もシャルル・エブドから出ていたことに触れている記事に出喰わして思い出したのがこれ。これ、『アラキリ』に連載していたとトポールの作品をまとめたもの。中身のいくばくかは「『マゾヒストたち』 ローラン・トポールの作品 ( イラストレーション )」(空閨残夢録) に掲載されている。ご覧になればわかると思うのだけれど、笑いを誘いもする一方でなにがしか「普通」のヒトの神経を逆撫でするところのある作風。
自由がなぜわざわざ大切にされるべきなのかといえば、ヒトはしばしば自由に不愉快を感じ、潰してしまいたいという欲求に突き動かされるからだろう。だれもが大切にしたいと常に思い続けるようなものなら、わざわざ自由の尊さを説く必要はない。他人様のアレコレに不愉快を感じるときにこそ、自由は重んじられなければならないものとなる。そういう気持ちのよろしくないところへの堪え性ってのも自由の重要なところだということを思い出させてくれる作品集かもね。
高校卒業の折に美術部の後輩さんから賜ったのだけれど、火事で焼いちゃったんだよなぁ。うーん。