本日の備忘録/盛衰

20220402144954

所用の道すがら、2022年3月末だか4月頭だか

「2021年拾遺/セイタカアワダチソウ」で取り上げた空地だった場所。今はもう地鎮祭だかなんだかのテントも片付けられて、基礎工事というのかな、そういうのが始まっている。というわけで、あったかなかったかのセイタカアワダチソウの天下はあっさり終わってしまったわけだ。

 ご近所情報によると、お若いご夫婦が越してくるとかなんとか。界隈一帯住民の平均年齢がいくらか下がることになるのなら結構。

 

 写真のほう、なんだかずいぶんブレボケだし、曇天で画面が暗くなったのをGIMPで明るくすべくいじったおかげで空が白抜けしてしまった。そこいらへんは乞うご容赦。

 

 ところで、「2021年拾遺/セイタカアワダチソウ」へのmachida77さんのブクマコメントで紹介していただいた「生物との共生を考える(セイタカアワダチソウの盛衰)」が面白かった。書き手は森下郁子*1生態学系の先生のようだ。たぶん、話の大筋は信用して読んで間違いない。でもって、セイタカアワダチソウの衰退は、地域の植生やらヒトやその他の動物の関係やら……いずれか一点に原因があるというのではなく、それらの絡み合いによって生じるということらしい。なるほど、風が吹いて桶屋が儲かる生態学ならではの話の展開。

 ただし、実家界隈のセイタカアワダチソウに「盛衰」の話がそのまま当てはまるかどうか。モグラやネズミの地中での活動の痕跡みたいなものを目にしたこともないし、セイタカアワダチソウの後にススキやオギが入り込んできたといったこともなさそうだ。見落として来ただけだろうか? あるいは、モグラやネズミ、ススキやオギの代役を果たしている生物がいるのだろうか? もしそうだとすれば、何だろう? ススキやオギの代役はただの空虚なのかもなぁ。

 

立ち読み課題図書、その他

 近代進化論批評ってなもんがあるんですか。

 

 ハヤカワ文庫なら実家界隈にだって入って來るかなと思いきや、だ。堺東くらいまでは出かけてみないとダメですかね。ぶー。

 

CRACK OF DAWN

CRACK OF DAWN

Amazon

 大象體操(Elephant Gym)、こんなの昨年出してたのですね。テレっと見落としていた。しかしまぁ、カラッケツのスカンピン、のちほどYouTubeで音源漁りしてから考えますかね。うーん。

 

*1: リンク先はWebcat Plus

「最近出来た大学」とはどこか/Voices Of The Old People

 過日、母との会話。

――ウクライナ侵略の報道で、これまで見ぃひんかった先生とか出て来はるけれど、慶應のなんとかいう女の先生とか*1、ほれ、最近出来た大学のやっぱり女の先生とか……、ウクライナが終わったら出て来はれへんようになるんかな。今が書き入れ時やな。そやけど、なんてゆう大学やったっけ、最近出来たやつ? 国立の」

――国立で、かぁ?」

――ほれ、自殺者が増えて難儀してはる……」

――自殺者で国立ゆうたら筑波やけど、最近とちゃうしなぁ」*2

――そやそや、それや、筑波大や*3

 80代も半ばを過ぎてしまうと筑波大学も「最近」出来た大学になってしまうのだな。

 もうお一方、「慶應のなんとかいう女の先生」は、慶應でもSFCのほうではなかったっけか。筑波大学と比べれば、そちらのほうがずっと最近になって出来たんだがなぁ*4。と、そのへんは反論せずにグッと呑み込んだけれど。

 と考えながら、しかし、SFCって筑波大と比べなくったって結構「最近出来た」って印象が自分にはあるかもなぁ、というような気がしてきたのだった。あれだって出来たのは1990年、今を去ること32年前。「最近出来た」なんてうっかり口を滑らせれば、もう本格的爺ぃ扱いされても文句は云えない。まぁ、せいぜい気をつけないと。鶴亀、鶴亀。

 

Bookends

 「Voices Of The Old People」収録。邦題「老人の会話」だったっけかな? ガーファンクルがニューヨーク郊外だったっけかの老人ホームを巡って、爺さん婆さんたちの会話を録音し、サイモンと二人で編集して制作したとかなんとか。ミュージック・コンクレートというふうにも受け取られるのかもしれない。でも、単語を基礎単位としてではなく、会話の中の話を単位として作られた*5、一種の詩のようなものというふうに僕には聞こえる。

 それとは関係ないけれど、「空耳アワー」で「老人の会話」がネタにされたことがあって、これが傑作なので大いに推しておきたい。「Voices of Old People Simon & Garfunkel Japanese Phrase」(moe y、YouTube)がそれだ。ただし、紹介されている「ママ、醤油、ママ、醤油、走っちょる」に対応するはずの英文、たぶん原文通りぢゃないんぢゃないか。「I must show you, I must show you, なんとかかんとかpicture」とかぢゃないか? Sugerとかはさすがに出ていないんぢゃないですかね?

 

*1: たぶん、wikipedia:廣瀬陽子だよね?

*2:cf. wikipedia:筑波病

*3: ということは、wikipedia:東野篤子かな?

*4: あと、ついでながら、東野教授も、出身学部は法学部だけれど慶應大学だし、旦那様はSFC総合政策学部の准教授を務めておられるのですね、ウィキpに当たったところによると。へぇ~。

*5: 入澤康夫に「売家を一つもつています 作文のおけいこ」という作品がある。単語ではなく仏作文の教科書に掲載された例文を単位にしてそれらを選び並べ替えて作ったものだという。ここではあぁいう感じを思い浮かべている。入澤作品のほうが遥かに手の混んだ仕上がりだと思うけれど。

2021年03月28日のSongs/眠る、面影

 2021年03月28日にYouTubeで見聞きしたPV、MV類から。

Ora Cogan - Sleeping

 Ora Cogan、例によって例のごとしで全然知らないヒト。

  • ORA COGAN

     オフィシャル・サイト。トップページ下部にSNS類アカウントページへのリンクが並んでいる。Bioが見当たらないので、そこいらへんをいぢってのテケトーな説明もどきを拵えられないのが面倒。って、拵えるつもりなどもとよりございませんがぁ^^;

     しかし、Bioに目を通すと、本当はそんなはずないに決まっているのに、そのアーチストさんの作品のなにがしかがわかったような気分になるのはなんでなんですかね。

  • 上記サイトの、2020年5月1日記事2020年10月11日記事に「Sleeping」収録アルバム『Bells in the Ruins』について簡単だけれど、今ひとつよくわからない解説が出ている。
  • Stream Ora Cogan music | Listen to songs, albums, playlists for free on SoundCloud

     SoundCloudのアカウントページ。公開されている音源はYouTubeより少ないくらいのものだけれど、いくらか興味深いのは1曲ごとに、作者が自認するジャンル名が記されていること。オルタナティヴ・ロックだとかダーク・ウェーヴだとかサイケデリックだとか、果てはフォーク・アンド・シンガーソングライターだとか、なかなか落ち着きがない。音だけ聴いていると「ドリーム・ポップ」に分類してもバチは当たらなそうな作品もあるしぃ……。音楽の様式みたいな観点からの分類ならば、少なくとも「シンガーソングライターなんちゅう分類はあり得ないわけで、爺ぃにはわけがわかりませんですぢゃ。ケホケホっ。

     もう卓袱台返し的に、全部「フォーク・ロック」ってことでよくないか、という気もしてくるしなぁ。

  • Bells in the Ruins | Ora Cogan

     Amazon.co.jpでは、収録アルバムが見つからない。正規音源はBandcampその他で。

     例によって例のごとく、Stream Ora Cogan | Listen to Bells in the Ruins playlist online for free on SoundCloudBells in the Ruins - YouTubeで一通り試聴できる。

  • google:Ora Cogan

     カナダのヒトらしい。カナダってなんか変だよね。グールドもカナダだし、ジョニ・ミッチェルニール・ヤングもカナダ。この3人だけでも何か線で結べそうな感触があるけれど、どういう線で繋げばいいものか、ちょっと見当がつかない。

 

Lycoriscoris - Omokage (面影)

 ググってみると、Lycoriscorisというアーチストさん、どうも有名な方らしい。でも、たとえば、「lycoriscoris」(moph records)にあるような紹介記事(だよね、たぶん)を読んでも、門外漢としてはさっぱりわからない。たぶん、有名で実力も評価されているアーチストさんなのだろうという、ボンヤリとした印象が残るだけだ。何となくお前さんはこんなところに立ち寄らずに門外漢のマんま過ごしてくださいね、とドレスコードみたいなのに引っかかっちゃって追い出された気分にもなる\(^o^)/。

 とそのへんにケチをつけようというのではなく、では何をどう書けば自分はいくらかなりとも紹介記事を読んだ気分になれるのだろうか、というあたりが気になったというところか。

 

 ネット上に音源がある以上、結局聴けばそれで充分ではないかといえばいえてしまいそうな気がしないでもない*1。もしそうだとするなら、聴かずにはいられないようにリスナーを唆すような言葉が書かれるべきだということになるのかな。

 そう云ってしまえばえらく当たり前のことのようにも思えるけれど、どういう言葉でそいつを実現すればいいのかは、相変わらずよくわかんない。はてさて。

 

 ダンサブルなリズムが基調にちゃんとあるんだけれど、一つの強烈なビートが全体を支配するのではなく、複数のリズムのうちにズレを孕んだ同期のある気持ち良さ、とか、いい加減な言葉を考えてみたりするのだけれど、そういうんぢゃないよなぁ。うーん。

 

  • google:Lycoriscoris

     これいっちょで済ませちゃうと手抜き感が漂い出ちゃうけれど、オフィシャル・サイトの類が見つからないのと、検索上位が少なくとも今のところ代表的なSNSアカウントページになっているし……ということで、実用上これで問題も間違いもないんぢゃないかな。

Chiyu

Chiyu

  • Anjunadeep
Amazon

 「Omokage」収録。例によって例のごとくで、「Chiyu」(Anjunadeep、Lycoriscoris-Topic、YouTube)のプレイリストで一通り試聴できる。ただし、ボーナス・トラック(?)部分の「Shizumu(沈む)」が2曲目と同一音源になっていて、そこんところはCDを踏襲していない。この部分は「Shizumu (Extended Mix)」(Lycoriscoris、YouTube)と差し替えて聴かれるがよろしいぞい。

 ボーナス・トラック(?)部分が不要なら「Lycoriscoris - Chiyu ( 治癒) [Official Album Continuous Mix]」(Anjunadeep、YouTube)で、という手もある。ついでながら、この再生ページの概要欄(英文)が今のところ紹介文として最初に目にするものであっていいんぢゃないかという感じ。アーチストさんの音楽について多少なりとも触れてなくちゃヤダよね、やっぱり。

 

*1: そんなことはむろんない。聴き逃すとバチが当たる部分の指摘であるとか、作品の構成や奏者の技のさえのどのへんに注意すべきなのかとか、使用楽器がどうしたこうしたとか……挙げ始めればキリがないんだけれど。それだって聴けばわかるだろ、と無理無体なことをおっしゃる方もいらっしゃるんだけれど。けれどけれど。うー。

中川イサト

ameblo.jp

 7日、中川イサトが亡くなった。

 こちらのブログは、2022年3月19日に始められたばかり中川イサトの最期を伝えるために始められたブログだったのだろうか。一つ一つ記事をたどってみると、7日の死は唐突なものではなかったこと、いくらかは本人の選択みたいなものだったのかもしれないことがわかる。関心がおありの方は、近況報告~その1からだけでも、たどってお読みになられるがよろしいかと思う。

 

 初めて中川イサトを聴くようになったのは、高校時代。美術部の後輩だけれど、僕なんぞより絵もギターも歌もうまいNくん経由で知ってからだった。五つの赤い風船のギタリストだったと知ったのは、それからさらに遅れてのこと。実はずっと以前から音をなにほどか耳にしていたというのに、毎度我が身ののさくさ具合、情弱ぶりは呆れる他ない。

 中川イサトというと今では、アコースティック・ギターインストゥルメンタルの先駆け、草分けであったことが強調される。けれど、すでに当時、バート・ヤンシュ(Bert Jansch)やジョン・レンボーン(John Renbourn)の作品に出会ってショックを受けた後だったし、耳にしたのは『1970』、『お茶の時間』、『黄昏気分』、つまり歌を主体にしたアルバムだったせいもあってか、ギター演奏で大きく心を動かされることはなかったように思う。心に残ったのは、むしろ歌のほうだった。必ずしもうまいとは云えないヴォーカルが、シンプルな曲想とKinta*1の歌詞*2とに、とてもいい感じでマッチしている。今聴き返しても同じような感想を抱く。

 ソロギターの話ばかりになるに違いない訃報記事に対してことさら変わった話を書こうというようなつもりはない。中川イサトのシンプルな歌の気持ちよさはちゃんと知られるべきだし評価されるべきなのだと思う。

 『1970年』から。ハモりはなくてもいいなぁとも思うけれど、いい感じ。『お茶の時間』版もいいなぁ*3

 

 『お茶の時間』から。都会、街中の雪がこれくらい具体的な情景の中で歌われた作品は非常に珍しいんぢゃないだろうかという気がする。

 単純ではあるけれど、雪がちらつくのを目にすると、今でも条件反射的に頭の中で流れ出す歌だ。

 

 『黄昏気分』から。歌伴ギターのA7とD7(on F#)の繰り返しパタンが気持いい。

 

 さっと頭に浮かぶ歌を挙げてみると、そのときどきの気分で多少の入れ替わりはありそうだけれど、いずれにしても最初期の3アルバム収録作ばかりになる。『1970年』と『お茶の時間』は1973年のリリース。『黄昏気分』が75年。すべて70年代前半の作品。実際に耳にしたのは、3枚とも76年か77年か。ファンの類を自称するわけには到底参らない。とはいえ、10代半ばに耳にした音楽の類の、なんというんだろう、好尚への支配力みたいなものは、ずいぶん大きい。その生みの親が亡くなったという現実は、それなりに胸に応える。

 しばらくはいろんな話がネットにあがってくるのではないかと思う。GoogleTwitterはチラチラ覗いてみるべし。

 

1970年 +9

1970年 +9

Amazon

 「+9」はボーナス・トラックのことみたい。気になるところだけれど、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」とのこと。

 

 CDはマケプレもののみ。MP3かストリーミングが現実的選択ってことになるのかな。

 

 上に同じ。マケプレもの、さらに高し。うー。

 

Naturally

Naturally

Amazon

 これが遺作ということになるんだろうか。そういうアルバムが歌を中心にしたものになったというのは、ひょっとしたらただの偶然なのかもしれないけれど、そうだとしても……という気になってくる。

 残念ながら、「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」。MP3もストリーミングも、今のところない。

 

RARE PERFORMANCE 1973~1975

RARE PERFORMANCE 1973~1975

Amazon

 歌を聴き込んでみたいということなら、これがあるぢゃないか!と思ったのだけれど、「再入荷見込みが立っていないため、現在ご注文を承っておりません」とのこと。あらま。

 

 赤い風船時代を除いたとしてもほぼ半世紀にわたる活動期間があったのだもの、いろんな音源や譜面、映像が出ている。「中川イサト」をキーワードとしたAmazon.co.jpの検索結果など参照されたし。

 

*1: この方のこともあまりよくわからない。中川作品にとって欠かせない重要な作詞家さんなのだから、もちっとネット上に情報があって良さそうなものだけれど……。「中川イサト」(Wikipedia)の「ソロ シングル」の作詞の欄に「上田憲一」の名がある。どちらもKintaの作詞とされていたものだったように記憶しているが、「上田憲一」が本名だということなのだろうか。「それからのロックマイウェイ令和編44 上田賢一の思い出」(末期ガンからの生還〜その時、僕は何を考え、何をしたか....)には、「上田賢一」という方(故人)が「キンタ」と呼ばれて登場する。《中川イサトさんの「プロペラ市さえ町あれば通り1の2の3」もキンタの作詞》とさえある。どちらが正しい綴りなのかわからない。たぶんとにかく「上田けんいち」という方がKintaなのだろうとは思うのだけれど。

*2: 歌詞も別にエントリを立てたくなるくらいいいと思うんだがなぁ。うっかりまかり間違えば関西の松本 隆くらいになれたんぢゃないのかな、Kintaという方。関西のヒトかどうか知らんけど\(^o^)/

*3: 「その気になれば」(中川イサト、YouTube)