読書発電の可能性
読書発電所。水力で発電すれば水力発電所、火力なら火力発電所、原子力なら原子力発電所なのだから、読書発電所ならば読書によって発電すると考えるのはさほど不自然なこととは思えない。思えないけれど、そんな事態はあり得ない。
というわけで、どうしたってこちらの興味を惹かずにはいない名前である。
しかし、ちょろっとググってみると、なぁんだ、である。読書村にあるから読書発電所であるに過ぎないのだという。では読書村とはいかなる村か。その特殊な地名のよって来る由縁は? と、これもなぁんだ、別に文教政策に力を注いで、村民みなさん読書家揃いというような結構なお話が地名の背後にあるわけではない。毎度、現実とはつまらないもので、そもそも「読書」と書いて「どくしょ」ぢゃなくて「よみかき」と読むってことになってる。1874年に合併した《与川村(よがわむら)、三留野村(みどのむら)、柿其村(かきぞれ)の頭文字をとった》*3とのこと*4。
うー。これだから調べ物なんてするもんぢゃない。うー\(^o^)/。
かくなる上は、読書発電を発明せねばなるまい。
読書そのものからエネルギーを捻り出すのはなかなか難しい。むしろ、頭脳を使う活動とあっては消費するエネルギーが馬鹿にならない。頭脳労働に勤しむヒトは、全身分の20%から、多い場合は30%を超える酸素を脳で消費するという話を聞いたことがある。酸素を消費するとはすなわちエネルギーを消費しているということだ。だから、柄に合わぬ難しい本を読んだりすると知恵熱を出すハメになる、というのは嘘っぱちだが*5、とにかく読書はエネルギーを生み出すというよりも消費する営みであって、これを直接電力源とすることは難しそうだ。
読書そのものによる発電が無理だとすれば、読書に付随する何かを利用することは出来ないか。たとえば、ヒトは難解な書物を読むとき、思わず知らず貧乏ゆすりをしていないだろうか。我が事は知らず、にしても、
考えてみれば、似たような事例はすでにあるではないか。
圧電素子の利用、これである。貧乏ゆすりでは、ハイウェイどころかクラブのダンスフロアほどの振動も期待出来ないような気がしないでもないが、しかし、それはきっと気の迷い、貧乏ゆすりの癖がある図書館利用者専用の閲覧室を設け、その床に圧電素子を敷き詰め、図書館所在地界隈の貧乏ゆすりを癖とする読書人を一堂に集めれば、なかなかどうして馬鹿に出来ない発電量が誇れないとも限らない。起こされた電力は、売電を通じて図書購入費に回すことが出来る。そうなれば、貧乏ゆすりは、地域の文化向上に資するもの、恥ずべき癖ではなく誇り得る所作となって、ヒトビトを詰まらぬコンプレックスから解放することにもなるであろう。八方めでたしめでたしである。
なんちゅう具合にはならんのだろうなぁ。つくづく現実はつまらない。うー。
御父君との対談あり。
*1: ファイル:Yomikaki power station 2011-06.jpg - Wikipediaから借用。ライセンスについてもリンク先ページを参照のこと。
*2: ファイル:Yomikaki power station 2011-06.jpg - Wikipediaから借用。トリミングして使用した。ライセンスについてもリンク先ページを参照のこと。
*4: ただし、頭文字に「読書」の字が当てられた理由には、《文明開化のこれからは読書き算盤(そろばん)すなわち、教育が肝要というので「読書」の文字をあてた》(「20読書発電所」(日本の近代遺産50選))という話もあるにはある。
*5:cf. 「知恵熱」(Wikipedia)