本日のSong/空に小鳥がいなくなった日

 YouTubeでたまたま出喰わした懐かしい歌。

 谷川俊太郎*1の詩に、林 光*2の曲、歌は上條恒彦*3、コーラスはシンガーズ・スリー*4。編曲はだれなんだろう? はじめて耳にしたのは70年代初め頃。調べてみると72年*5の6、7月のNHKみんなのうた」で流されていたらしい。たぶん、それで聴いたのだろう。最初に耳にしたヴァージョンでは、「ヒトに自分がいなくなった日」で始まる連が割愛されていたはず。「海に魚がいなくなった日」の連もなかったかな*6。現在の「みんなのうた」がどうなっているかは知らないが、5分程度の放送時間中に2曲流されるという構成を考えると、6分超の全曲を流していたはずもない。さらにブリッジとか間奏とかも割愛されていたんだろうか。そのあたりになると、もう記憶は覚束ない。

「空に小鳥がいなくなった日」は、他に三善 晃*7、一柳 慧*8外山雄三*9信長貴富*10、松下 耕*11などが曲をつけている。他にもいろいろな方が作曲していらっしゃるみたいだ*12。林 光の作品も三善ら同様合唱曲にもなっている。ひょっとすると「みんなのうた」ヴァージョンにそちらが先行しているのかもしれない。調べりゃわかるんだろうけれど、そこいらへんにはあんまり興味は湧かない。もともとの詩のシンプルなところは、フォーク風の「みんなのうた」ヴァージョンが一番活かし得ているように思えるからだ。が、そういう感じ方は十代の最初期にこの歌に接したという個人史的な事情によっているだけのことかもしれない*13のだけれど。

 聴きながら旧約聖書中のバベルの塔の話を何となく思い起こす。別に原詩がバベルの塔の話を下敷きにして書かれているなどと主張したいわけではない。あくまで何となく思い起こしたという話。

 全地は同じ発音、同じ言葉であった。時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

創世記(口語訳) - Wikisource*14

 改めて引いてみると、なんだか「空に小鳥がいなくなった日」はバベルの住民のテーマ・ソングだったんぢゃないかってな気がしてきちゃう。つくりつづけた道路も港も公園も聖書の記述には登場しはしないけれど、塔建設の一環として作られていたに違いないのですね。ダメですかね。うーん。

 歌を聴いているだけではわからないが、「ひと」と聴こえる部分、原詩では「ヒト」とカタカナ表記されている。歌の語り手は、人間を仲間としてというよりも客体として突き放し観察対象として眺めているかのようだ。そして、「ヒト」は何が起ころうとも「道路をつくりつづけた」し「港をつくりつづけた」し「公園をつくりつづけた」し「未来を信じつづけた」し「歌い続けた」わけで、要するに《彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ》得なかったと見ている。過去形で語られる言葉はまるで未来からやって来た何者かが、現在に対して残した預言のようだ。すでに成就してしまった預言。だからこそ、何事も難じなどしていないし特別な危機感を煽るわけでもないのにもかかわらず、歌は不吉な響きを放つ。

 で、全体としては、環境破壊が主題であるというよりも、ヒトの文明のとどめようのない不気味な様が提示されているというわけだ。ほんの少しばかり面倒な転調を含みながらも、メロディーやバックがやけに明るく力強いことも、かえってその止めようのなさを強調しているように感じられる。

 

 さて、半世紀後の現在、改めて預言が正しかったか考えてみるとどうなるか。現実還元的に考えると、「森にけものがいなくなった」んぢゃなくて森のほうがなくなってけものは人里へと下りてきたりしているとかなんとか小煩いケチはつけられるかもしれないのだけれど、詩の言葉をそういうふうに読むのは意味のないことだろう。当たり外れというよりも心当たりがあるかどうか。そう見ればまた違った答えが現れて来もするのではないか。

 

 今歌うとすれば、もう少ししょぼくれた歌い方もあっていいか。預言の成就を妨げられずに来たことを「知らずに歌い続け」るのは、どんどん難しくなって来ているというひねりを加えた感じか。

 そうなるとアレンジも変えてみたくなる。NHKの『みんなのうた』テキストの譜面では《C⇒Gm7》の繰り返しで始まっているけれど、このあたりギターで弾き語りを考えるなら、play keyとしては《A⇒Em7》に代えてCapo3くらいにしたほうが全体のコードも押さえやすくなりそう。ついでにAは、3弦6フレットと4弦7フレットだけを押さえるオープンハイポジションのA(9)、Em7は3弦7フレット、4弦5フレットで5弦はミュートの同じくオープンハイポジション、でもって力強いコードストロークではなく、ひょろひょろとしたアルペジオのパターンを考えると、緩い感じのイントロが出来上がるという感じか。

 

 再生ページのコメントを読んでいたら、今世紀に入ってから「みんなのうた」のラジオ版では何度か再放送されたような話が出ている。ちょろっと調べてみると、今年も6、7月「発掘プロジェクト」という企画で取り上げられていたらしい。

 歌詞は「発掘プロジェクト」のものであっても譜面とは別ページに原詩の表記や改行がわかるように提示されるべきぢゃないかという細かいケチはあるし、譜面の読みやすさはどう考えても紙のほうが上なのだけれど、発作的に譜面が欲しくなっちゃったんだから他に仕方ありませんね。というわけで、Kindle版を入手してしまった\(^o^)/。

 なお、紙のほう、残部僅少のようだからご注文なさるならお早めに。

 

*1: google:谷川俊太郎

*2: google:林光

*3: google:上條恒彦

*4: google:シンガーズ・スリー

*5:cf. 「1972年」(Wikipedia)。72年といえば『成長の限界』が出版された年、翌年には『日本沈没』、『ノストラダムスの大予言』がベストセラーにもなっている。今から思えば、高度経済成長も停滞し終末感が濃厚に漂い始めた時代だということになるんだろうか。

*6: 手許に適当なテキストがないので、表記は『広報うぶやま』No.592、2018(平成30)年12月、ページ番号で10ページ目、PDFページで6/8の囲みの中の転載に拠った。

*7: google:三善晃

*8: google:一柳慧、まだ聴いたことがない。

*9: google:外山雄三、これも聴いたことはない。

*10: google:信長貴富

*11: google:松下耕、これも聴いていないなぁ。

*12: ググってみると、他にもプロの作曲家にかぎらず、アマチュアシンガー・ソングライター風のヒトが自作曲をつけたものまで複数見当たる。

*13:cf. 「Opinion | The Songs That Bind」(The New York Times)。日本語記事としては「大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている」(FNMNL)あたりか。もっとも、1972年、僕は14歳にちょっと足りなかったのだけれど。

*14: ただし改行を改めた。