本日の備忘録/《人間にとって猿とは何か》

 これ、そのまま信じて構わない映像なのだろうか。

 光量によって露光が自動的に変化しちゃうからこうなるという理屈は、わかる(ような気がしている)。明るければ、シャッタースピードや絞りを弄るものだとフィルムの頭では考えちゃうけれど、ディジタルヴィデオではコマ落とししてしまうというわけか。しかし、こういうありふれた変化で、こんなに光の捕捉具合が変わってしまうものなのか。

 フィルムからディジタルヴィデオへという技術的な変化は、僕のような素人にとっては「進歩」と感じられる。ところが、このような事例は、そういう感じ方を裏切るものだわね。撮影技術の「進歩」と呼べるようなものであれば、その結果として現実はより一層「ありのまま」に捉えられて然るべきだと、まぁ普通は考えちゃうんぢゃないか。ところがどっこいこのザマなわけだ。うーん。

 狐につままれたような気分。たぶん、目の前で餌が消えてしまう手品を見せられたサルの気分だな、これ。

 

 と思ったところで、弦の動きをギターのボディー内から撮影した映像を思い出した。ただし、上のヴィデオの説明とどうも話の辻褄は合わないのだけれど\(^o^)/

 「~STRINGSCAPES~」(Alan Gogoll、YouTube)のような映像だ。「コマ落とし」のタイミングと弦の振動周波数の合致とズレから、弦の揺れ具合の多様も見て取れる。ただ、画面全体は薄暗いのにこういう映像が撮れてしまうのでは話の辻褄が合わないのだけれど。反対に弦は充分に光を浴びていると思える「【ジブリカバー】やさしさに包まれたなら/松任谷由実 cover Finger Song Player」(Finger Song Player、YouTube)では、弦の振動が当たり前に撮られている。

 どうなっているんだろう? どういう設定その他の違いがものさし映像とギター弦の映像との違いを生み出すの? 常連諸賢の皆々様、どうかやさしくお教えを垂れてやってくださいましなm(_ _)m

 

おまけ

 嵐山モンキーパークいわたやま*1。新年になって当方のTLに流れてきた。テレビでも取り上げられたらしい。上のヴィデオを見て真っ先に思い起こしたのが、このサルの反応だった。

 興味深いのは、同趣の手品を見せられたサルの反応は一様ではないこと。

 個体による違いなのか種による違いなのかはこれだけぢゃわかんないけれど。

 ドゥ・ヴァール*2によれば、サルの反応は手品に対するものではないのだという。

ドゥ・ヴァールはこの動画をすでに観ていたようだ*3。「どう判断すべきか、迷うところだ」と、彼は言った。「手品そのものに腹を立てた、というわけではないのだろう。(動画を観るに、)人間がアイコンタクトをして、そのあと、手品をする手の動きが自分の顔の正面で行われている。こうした状況を、サルたちは非常に嫌うから」

サルは「手品」を理解できるのか? | WIRED.jp

 しかし、そうは見えないよねぇ。引用元の書き手さんも書いているけれど、何度見ても、これは手品に対する反応だよなぁ。

 ネット上には、ヒトによる手品(&手品まがい)への、サルばかりではない様々な動物たちの反応を扱ったヴィデオが結構あって、やはり「手の動きが厭だ」仮説なんかホイホイ棄却出来ちゃいそうな気がするんだけれど、どうですかねぇ。ダメですかねぇ。うーん。

 

 マジックの類を愉しむ風習(?)というのはいつ頃出来上がったものなのだろう。もちろん、文化史的な観点からも気になるのだけれど、動物たちの反応を見た後だと、進化論的な目で見て、いつ時分からマジックを愉しむ能力が芽生えるものなのだろうかというあたり。

 

 本稿、タイトルはデタラメなので、とくに気になさらないようにm(_ _)m

 

*1: リンク先はオフィシャル・サイト。

*2:cf. google:ドゥ・ヴァール

*3:【引用者註】上のヴィデオ中、1分40秒過ぎ少し前からのサルの反応。