直前期小論文講座その4/事実への意味づけってのが大事

 がんばってるのにダメダメな答案のパタンっていくつかあるのだけれど、その中でも比較的目につくのが事実を列挙してあるだけのヤツ。毎日、新聞も読んでいるんだろうし、テレビだってメモを取りながら見ているのかもなぁ。でも「意見」「考え」が求められている問題なのに、いっくら主題にまつわる事実ばかり具体例として挙げたって、それだけじゃ問いの求めに応じたことにならない。それ以上に重要になるのは、事実が持つ意味を明らかにすることだ。実はそこのところこそが「意見」なり「考え」なりの出発点となるもの。ただ「意味を明らかにする」って云い方自体、通じにくいかもしれない。というわけで、ちょっとがまんして先に読みを進めてほしい。

 

例題

 抽象的な話をしていても分かりづらいだろうから、ここで一つ例題を。書かなくてもかまわないから、とりあえず自分なりの答えを考えてみよう。

 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

 昼前の東京・山手線の電車。座席はほぼいっぱいで、立っている人たちがちらほら。と私の斜め前の席に座っている若い女性がコンビニの袋からお弁当とお茶を取り出し、悠々と食べ始めた。あたかも自宅の茶の間にいるがごとし。

 車内で化粧する女性は、珍しくはない。若い層に多いような気がする。なかには、ひざの化粧バッグを開けて、一から本格的に取り組む人もいる。他人の目など、まったく気にしていない。下校時の電車で、身をくねらせて、制服の上着を脱ぎ替える女子高校生を見た同僚もいる。昔は駅のトイレがこの種の更衣室だったものだが、と彼の妙な嘆息。

 むろん、男性にもいくたの類例あり。彼らは、自分の周りに見えない障壁を張り巡らせている。透明な殻の中に一人ひとりが閉じこもり、外の世界との接触を絶っている。座った彼もしくは彼女の前に、かりに疲れた老人が立っても、彼らの目には映らない。だから席も譲らない。

 電車内で携帯電話をかけていた若い女性が、中年男に殴られた。うるさくて気に障ったのだという。ほかの乗客が止めに入り、男は警察に突き出された。少々酒を飲んでいた。最近、そんな事件があった。男がとがめを受けるのは当然だが、傍若無人な携帯電話族が増えている(この例はともかく)のも事実。彼らの多くは、殻の中の自分の声は周りには漏れない、と錯覚している。

 この間まで、日本には以下のことばが存在したように思う。〈人目がうるさい。人目を忍ぶ。人目を避ける。人目をはばかる。人目を盗む……〉。そして、人目を引いたり、人目に立ったり、人目に付いたりすることは、人目がうるさいから、と戒める風があった。

 人目ばかりを気にしなければならない社会は、むろん息苦しい。といって、人目に余る振る舞いが横行する世の中も、もう少し何とかしたいと思う。

朝日新聞天声人語」)

問い 本文を参考に、あなた自身の具体的体験を交えつつ、「人目」に対するあなたの考え方を600字以内で述べよ。

(三友堂病院看護専門学校・一部設問省略)

 

すぐさま「ダメ/いい」じゃんを決めない

 この問題、やさしいようでいて看護という志望領域を考えた場合、いろんなことを考えさせられるものになっている。なぜ「体験」を語らせるのかなんてことを考え始めると、志望者の適性まで見てみたいと考えている出題者の意図がうかがわれもする。でも、ここではそこには立ち入らずに一般的な小論文への対処ということで話を進める*1

 

 で、ここで考えて欲しいのが事実の意味づけなのだ。

 こういう問題で、一番目につく答案のパタンは、「携帯電話」あたりの話を引っ張り出してきて、自分も似た経験を持っているぞと体験談を語り、筆者のいうように、もうちょいと人目を気にすべきだ、みたいなことを書いてお茶を濁すヤツだ。つまり、自分の意見がない。もちろん、電車の中で飲み食いするのは素晴らしい、携帯電話も大声でかけりゃぁいいじゃないか、なんて書いてたら単に非常識なヤツってことで終わっちゃうから、それよりはマシかもしれんけどね。そういうイイ/ワルイをさっさと決めちゃってる答案って、いかにもものを考えてないなぁ、ってふうに見える*2

 だって、そういう答案には、事実をていねいに見直すっていう姿勢が欠けているんだもん。事実が持つ意味を考えるというのは、思考の第一歩。この課題文だって、電車内での化粧や着替え、携帯電話の使用に「自分の殻に閉じ籠り人目を気にしていない」考え方がうかがわれるっていうふうに意味を解読しているわけだ。

 でも、こういうところが一番考察の面倒なところ。新聞のコラムや社説の水準だと、割とこういうところを簡単に済ませちゃってる。だから、いくらでも突っ込みを入れることができちゃうのだ。たとえば、ちょっと考えればわかることだけれど、お化粧や着替えって本当に完全に人目を気にしない人ならしないことでしょ? 何らかの意味で人目を気にするからこそ人は化粧もするし、着替えもする。携帯電話だって、まぁ人と話をしているって点をとってみれば、自分の殻に閉じ籠っていると極めつけられるモンでもないでしょ? とすれば、天声人語が語るあれやこれやの事実に対して、ちょっと違うんじゃないかって疑問を持てもする。でもって、ちょっと違った意味づけも可能になってくる。

 

 化粧や着替えは、たぶんこれから会う彼氏とか友だちのことを気にしてするんでしょ?つまり、自分の知り合いの「人目」を気にしてる行為だと捉えられる。もちろん、電車内の知り合いじゃない人たちの「人目」に関しては、天声人語の筆者がいうように、ろくすっぽ気にしていないと整理できちゃうかもしれない。そうしてみると、たとえば日本人論みたようなのに割としょっちゅう顔を出す、ウチ/ソトの分け隔てみたいなちょっと古典的な話にだって結びつけられるわけ。こうした化粧や着替えは《伝統的な日本人の考え方・振舞い方に因るものだ》と意味づけられるかもしれない。

 ウチ/ソトの分け隔てというのは、日本人は自分の属している集団(家族・会社・学校・国家・クラス・顔見知り……その他いろいろ)では親密な関係を作りたがるけれど、反対にそうした集団に属さない人、他集団に属している人に対しては、無関心であったり冷淡であったり、あるいはしばしば敵対的であったりするってやつだ。まぁどんな民族だって大なり小なりそういうところはあるけれど、日本人にはとくにそういう傾向が強いんじゃないかって話。そういうのを思い出せれば、天声人語に取り上げられた事実は、一見若い者の放縦と見えて、実は日本人の伝統的行動様式みたいなのがかえってよく出てるもんだ、と考えられもする。知り合いである「ウチ」の人目はすんごくはばかってるくせに、電車内の知らん人、「ソト」の人目はまぁどうでもよろしいってわけだ。

 そう考えると、天声人語筆者の思いはわかるけれどって場合なら、人目を気にすべきだってだけじゃない主張を提案することもできるし、あるいは単純に、筆者の主張は人目の捉え方として粗雑だと批判しながら自分の人目論を展開できるかもしれない。狭い人目に囚われることなくより広い人目に気をつけるべしというような折衷案もあり得るだろう。自分の経験を取り上げるにしても、電車の中での似たような事例じゃない取り上げ方だってできるでしょ? 狭い身内の人目に縛られているくせに、広い公共空間での人目は気にしないって話は、別に電車内にしか転がっていないわけではないもん。

 

 で、そういう事実の意味づけ具合の部分こそ、受験生の思考力と教養がバレちゃうところになってる。ここいらへんはただ新聞記事に出てる時事的な事実を収集したり社説を読んだりするだけじゃぁ、大したことが書けないってところなのだ。ときどき勘違いしている人がいるんで念のため。あんまり本を読まない人にはカッコよく見えちゃうかもしれんけれど、社説はあくまでジャーナリスティックな文章なのだ。アカデミックな考察が要求される小論文学習で参考とするには不向きであることって多いのだ。新聞なら、せめて文化欄の署名記事を参考にしてくれぃ。とくに中堅大学以上のところを狙ってる諸君にはそう云っておかんといかんと思う*3。でもって、意味づけって、「ウチ/ソト」みたいな、意味づけ頻出語みたいなのを知っているかいないかが大きくものを云うものなのだ。

 

意味づけのための言葉を採集すべし

 じゃぁそういう部分、どうすれば何とかできるだろう? といえば、大急ぎってことなら、まぁ現代文の教科書や入試問題、とくに評論・批評や硬めのエッセイ類の本文を読み直すってことになる。あるいは、本当はこれが一番マシかな、各自の志望学部学科系のいろんな大学の小論文過去問の課題文を読むこと。全部が全部、受験生に好都合ってわけじゃないけれど、限られた時間のなかで安上がりに効率よく事実に対する意味づけの言葉を身につけようとするなら、そういう受験のための素材に眼を向けるのがいいんじゃないかしら。

 読書家を自認する諸君の場合なら、自分の好きな書き手さんが事実をどんなふうに評価していたのか、そこいらへんを振り返って見られるとよろしい。ただし、小説なんかじゃだめだよ。作家さんのエッセイ類(作家さんによっては小論文向きじゃないケースもあるんだけどね)を振り返ってみるべし。

 そういう文章は、たいてい事実の列挙なんかにはなっていないはずだ。しかるべき事実が取り上げられていても、文章の展開の中心になる部分では、事実の意味づけや他の書き手の意味づけに対する批判的な意味づけが行われている。そういうところでどんな言葉が用いられているか、自分にも使えそうだと思えるものを採集していくわけ。そういう作業をしてみると、改めて語彙力の重要性にだって目覚めちゃう人、出てくるんじゃないかぁ。

 

吉岡のなるほど小論文講義10

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*1: けれど、気になる人は自分なりにそのへんを考えておいてもバチは当たらないと思う。

*2:【復旧時註(2019年)】このあたり、すでに「携帯電話」というネタ自体が相当古くなっちゃったかもなぁ。今どき携帯電話を見かける折なんてほとんどなくなったも同然。スマート・フォン(スマホ)の時代だもんね。しかも、電車内、スマホで電話をかけている人もそうそう見かけるものではない。ほとんどみんなゲームとかツイッターとかやってんぢゃないですかね。しかしまぁ、そこんところはちょっと大目に見て頂くとして、先に読みを進めてくらはいましな。小論文への取組みの考え方そのものは今も通用するはずだもんね。

*3: だいたいからにして、新聞って別に勉強のために読むモンジャぁなくてさ、現代人なら読んでて当たり前田のクラッカーなんだぜ。そんなもん読んで勉強した気になっちゃうってのは困りモノ。まぁ、僕はネアンデルタールなので現生人類の新聞のごときは一切読まないのだが。