東京四十七士散歩(無計画篇)

 23日、商売柄(泥棒さんぢゃぁありまっせんが)、鼠小僧の墓に参っておこうと考えて両国へ。

両国、回向院鼠小僧の墓(合格祈願のスポットなんだけれど、知名度は

両国回向院、鼠小僧の墓

 都内有数の合格祈願スポットでありながら、メディアに紹介されることが少ないためか、訪れるヒトは割と少ない。天神様だけでは覚束ないヒトは、マスト巡礼。

 しかしなぁ、鼠小僧に参って合格を祈願するとはどういうことなんだ\(^o^)/

 ことのついでに、こちらも。

両国、回向院猫供養塔

両国回向院、猫供養塔

 で、そういえば界隈には吉良邸があったんだよな、と気まぐれで吉良邸跡へ。

吉良邸跡(元規模の86分の1)

吉良邸跡

 残っているのは元の屋敷の86分の1ほどの広さ(なのか狭さなのか)。それでも中に入ると吉良首洗井戸*1なんかがある。

 あぁ、せっかくこのへんまで足を伸ばしたのなら、もう少しテケトーに歩いてみるか……と歩き始めたのが運の尽き。

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一の橋

 吉良の首を打ったあと、四十七士が最初に渡った橋になる。怪我を負って歩けない者は、ここから舟に乗って品川まで行ったとかなんとかだったと思う。

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新大橋

 一の橋の通り(名前、知らない)に沿って歩くと、右手に新大橋が見える。ちょっと日が傾いて来たけれど、何となくこのへんを歩いているうちに四十七士の、文字通りの意味での足跡を辿ってみようかというアイディアが浮かんで来て、何となくさらに歩を進める。

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フォークロアセンター*2

 なぎら健壱の紹介で(かな?)有名なライブハウス。初期のたまが出演していた話も比較的知られているかしら。昔は一階が蕎麦屋だったけれど、今はフォークロアセンターのギャラリーになっているみたい。覗いていると泉岳寺にたどり着けないな、というわけで、覗かずに。

 今どうなっているかは知らないけれど、何億年も昔覗いたときには、ごくありふれた居住空間であった二階を改造というかそのままというかライブ会場に使っていた記憶がある。片岡義男の「気まぐれ飛行船」のテーマで使われていた、エタ・ベイカー(Etta Baker)*3の「One Dime Blues」を通して聞かせていただいたことを覚えている。ちょっと変わったマスターさん、今もお元気なのだろうか。こちらのことなど覚えていらっしゃらないだろうけれど。

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さらにずんずん進んで江東区芭蕉記念館

 江東区芭蕉記念館*4、このときは、すでに入館時間(16:30)を過ぎていて入館できなかった。というかまぁ、覗いていたら、四十七士の跡を本日中には辿れないよな、というわけでさらにズンズン。

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さらにさらに進んでいくと、左手に地図で有名な昭文社*5

その先をさらに行くと。

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萬年橋*6

 清澄公園*7を抜け、ちょっと細かい通りに入ると、

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旧村林商店*8

がある。戦災にも焼かれることなく残った建物として有名(なんだと思うんだけれどどうなのかな)。

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 1929年、だから昭和4年かな、の建築。そこかしこに時代らしい装飾が施されている。

 初代の永代橋は、討ち入りの4年前、1698年にできた。

 江戸期、いつ頃からか橋の袂がゴミ捨て場として使われていたなんて話もあるみたい。

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川下方面

 ゴミ捨て場には似つかわしくない夜景。写真の腕前が良けりゃぁ、もっと雰囲気のある出来になるんだろうけれど、そのへんはテケトーに脳内補正でもしていただければ\(^o^)/。

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鐵砲洲稲荷神社*10

中央小学校、2009年12月

区立中央小学校&幼稚園

 震災後作られた復興小学校*11の一つ。時代の雰囲気を伝えるカッコいい玄関口。

 初代のは1878年に建てられたそうな。現在の建物もそれなりに古くて、1927年、だから昭和2年のものだとか。震災はくぐり抜けられなかったが戦災にはなんとか耐えたということなのか?

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トイスラー館

 聖路加看護大学の創設者さんの記念館。にしてもどちらも傾いた写真になっちゃって申し訳ないm(_ _)m。

 芥川龍之介生家跡、浅野内匠頭邸跡などを尻目に……。

 このあたりで中村メイコ辻元清美をかけ合わせたみたいな70から80前半くらいの、でも矍鑠かくしゃくとした婆さんに、すれちがいざま突然挨拶されてびっくりした。全然知らんヒトなんだが。

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JR新橋駅前

 築地外市場、築地市場を抜けて、JR新橋駅。

 柳通りをがんがん南下して……

 さらにまっすぐ進んで……

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芝商店会*16

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聖徳せいとく大学*17

 田町駅前を通り過ぎ、札の辻。聖徳大学の、なんで、あんな妙竹林なてっぺんなんだ?

 少々前から写真を撮る頻度が激減している。もうへとへとのくたくたなのでカメラを水平に構えて保つ気力も失せてしまった\(^o^)/

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御田みた八幡神社

 三田の地名もひょっとすると、御田八幡神社*18由来だったりするのかな。というのは、素人の与太。

 ゴールの泉岳寺。もう拝観時間をとっくにすぎて、ただ暗い門を拝むばかり。

 吉良邸から泉岳寺までは、直線距離で、たぶん15kmないと思う。しかし、敵討ちのチャンチャンバラバラバラ、力を使い尽くした後、怪我なども抱えつつ、夜っぴいてここまで歩くのは大変だったろうなぁ。

 

今回の四十七士散歩の反省点

 とにかく計画なしの行き当たりばったりで始めたのはよろしくなかったな。

  • 思いつきで歩き始めるべきではなかった
  • 出発はもちっと早い時間にしないと見物できる範囲が狭くなるし、道に迷いやすくなる
  • 道は、記憶に頼らず、確認してから出かけるべきだった
  • 靴は軽いのにしておくべき(鉄板入りの重い安全靴を履いていたのは大失敗)
  • 江東区内は公衆手洗いはたくさんあるけれど、隅田川を超えると数が結構減るというか在り処がかわかりにくい(ので、これもできれば確認しておきたい)

 道のりのおおよその目安となりそうな場所は、脚註でググれるようにしておいた*20。場所をグーグル・マップなどでご確認になれば、四十七士散歩は再現可能だと思う。

 

歩く地図 東京散歩 2020 (SEIBIDO MOOK)

歩く地図 東京散歩 2020 (SEIBIDO MOOK)

 

  昭文社ぢゃなくてすみませんm(_ _)m。