「non-human person」ってどう訳すのかしら

 「non-human person」ってどう訳すのかしら。「人非人」というような不穏当な言葉を真っ先に思い浮かべてしまったのだけれど(^_^;)。

 ざっと目を通してみたかぎりでは、「非人間」というのがその訳語になっているみたいだ。これ、法律用語として定着したものなのだろうか。「非人間」といえば、「非人間的」というふうに思い遣りに欠けた残酷な扱いを示す言葉として用いられるのが普通だろう。そういう頭で、

 アルゼンチンの法律ではこれまで動物を「物」として扱っていたが、今回の判決では霊長類を「非人間」と解釈して法の対象になると判断。オランウータンにも生活権や自由権などの基本的権利があると認定した。

『世界初「オランウータンの権利」認める判決 アルゼンチン』(CNN.co.jp) はてなブックマーク - CNN.co.jp : 世界初「オランウータンの権利」認める判決 アルゼンチン

というような記述を読むと、どうもちぐはぐな感じがしてしまう*1。《霊長類を「非人間」と解釈して》みるまでもなく、ヒトは普通、類人猿を似てはいるかもしれないがヒトに非ざるサルと見なしているのであって、「非人間」と解釈することによって基本的権に属するアレコレが認められる、って何よ、ってなもんである。事態そのものについて以前に、判決の理路がさっぱり見えない訳語ぢゃないか。

 こういう具合では、ヒト以外の生き物に権利を認めるという考え方は不要なまでに奇っ怪なモノとして受け止められてしまうことになる*2

 

 でも、このへん、ちょいと調べてみるとわかるようにずいぶん以前から議論があったサブジェクトなのだ。ヒト以外の生き物ばかりではなく、これはたしか実際の裁判にもなったような薄らぼんやりした記憶があるが、自然の景物・景観にも権利を認めるべきだというような考え方で、メリケンの国立公園だかへの開発だかなんだかを差し止めよとかいうようなのがあったりしたはず*3

 生き物の件については、ここの常連諸賢であれば『論文の教室—レポートから卒論まで』あたりで扱われている話題でもあるからまったくご存じないということはないだろうけれど*4、景物にまで権利を認めよというあたりになると、かなり奇異な印象を持たれるかもしれない。考え方を順序立てて追ってみればそれほど奇異な話でもなくて、それなりにわかる話ではある。しかじかの環境が開発か何かで破壊されようとしていても、直接被害を受ける立場にいなければ当事者適格性がないから法的に差し止めを求める手段がない。景物を法人みたいなものと見なして後見人としてその権利を守るというように考え、何とかしようぢゃないか。大雑把に思い出せるところを書くとそんな具合だったんぢゃないかな。奇異に思う気持ちがきれいに消えるわけぢゃないけれど、まぁアニミズム的な立場から権利主張が行われているわけではなく、ざっくり云えば方便なんだろうということくらいはわかる。こういう考え方は、過去大学入試の小論文問題にも数回は顔を出していたはず。

 「権利」という言葉を使い始めると方便としての性格は忘れられ、あたかも以前からの理念としてある権利のように受け止められるようになるってあたり、細かな法的議論よりずっと気になるところだし、社会的な影響もアレコレ出て来そうなところなんぢゃないか。

 

 今回のサンドラ嬢の場合はどうなんだろう? 報道を目にしているかぎりでは、だれもがそうだと認められるような虐待の事実はないように見える。それにそもそもサンドラ嬢は《1986年にドイツの動物園で生まれたサンドラがアルゼンチンに来たのは94年》、生まれも育ちも動物園、アルゼンチンに来てからも早20年。ここでいきなり動物園以外の環境に置かれることが彼女にとってアリガタイことなのか迷惑なことなのかはかなり微妙な、というかやっぱりそいつぁ迷惑な話ぢゃないかって問題のように思える。30歳近い年齢がオランウータンにとってどれほどのものなのかは知らないのだけれど、ヒトの30歳よりは結構な高齢に当たったりしやしないのかしら。そういうとこいらへん、素人目で見ているかぎりでは、「専門的な視点からいって、生存権と動物の権利はすべての動物にある。(だが)動物の行動を人間化してはいけない。それこそ人間の特徴だ。我々は動物の行動を我々自身に例えたがるが、それは人類の生来の過ちだ」という動物園担当者さんの云い分に理があるように思えるけれどなぁ。

 

 それに何より、本当にオランウータンのことを思うのであれば、いろいろプライオリティのつけかたに再考の余地はありそうな気がする。

 動物園生まれ動物園育ちのサンドラ嬢の処遇をどうするか以上に、こういう本格的で大がかりな虐待のほうが関心を呼んでいいもののように思える。インドネシアの話までアルゼンチンの動物愛護団体が面倒を見る必要はないんだと云われれば、まぁそういうことなのかもしれないけれどさぁ。うーん。なんだかなぁ、という蟠りは消えない。

 

 たいていのヒトはよく知らないことに充分な関心を寄せることが出来ない。

 ホントに「森のヒト」なんだな、って感じ。こうも身近であれば、オランウータンのことが日常的な関心事になるけれど、日本で、たぶんアルゼンチンでも、普通に暮らしているかぎりで、こういう光景にはまずお目にかからない。動物園でかろうじて、というところだろう。

というようなオランウータンの様子をじかに目にする機会があったほうが、種としてのオランウータンを守るべきだと考えるヒト個体は増えるような気がする*5。今回の判決は、そういう機会をヒトの日常から奪う結果をも招きかねないところのあるものなんぢゃないか。とするなら、より大きな視野から見た場合、動物園に少数でもいるほうが、オランウータン全体の「権利」みたいなものは守られやすくなるように思える。

 けれど、ここで理念としての権利を持ち出すと、オランウータン全体はとりあえず視野の外に置かなければならなくなる。もしここに至るアレコレの憶測が当たっているとすれば、結果としてサンドラ嬢の幸福にもオランウータンという種全体の生き残りにも、今回の判決は益しない、むしろ逆にそれらを損ねるものだったんぢゃないか。

 

 傍から眺めてぼんやりと考えただけだからアレなんだけれど、だから実態からすれば看過出来ないような無知による勘違いだってあるかもしれないのだけれど、報道からするかぎりだと、ホントに大切にしたいモノを大切にするには、「人権」の有無以前に考えなければならないことはいくらでもあったというふうに見えるなぁ。

 

 えっと、で、それで「non-human person」ってどう訳すのがいいのかしらねぇ\(^o^)/。

 

参考文献、みたいな

 

オランウータンってどんな『ヒト』? (あさがく選書5)
久世濃子(くぜ・のうこ)
朝日学生新聞社
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*1: AFPやNHKのように「人権」という訳語を用いたことで、さらにトンテンカンチンな印象を抱かざるを得ない文面になっちゃってる記事もある。これは冒頭のヴィデオからするかぎり「animal rights」、「アニマル・ライツ」を使って表現されているものなわけで、いきなり「人権」とするのは大きな問題があるんぢゃないのか。そこいらへん「アニマル・ライツ」を使って注釈を加えるくらいのことがあって良かったんぢゃないかなぁ。そこいらへん周辺知識の普及はまだまだなんだろうなぁ。「オランウータンに「人権」認める NHKニュース」(はてなブックマーク) はてなブックマーク - はてなブックマーク - オランウータンに「人権」認める NHKニュースに並んでいるコメントを眺めているとそう思えてくる。僕だってろくな関心を抱いたことがないから、エラそうに云えた義理ぢゃぁないんだけどさぁ。

*2: このへん、「non-human person」という言葉を使ったからといってきれいさっぱりわかりやすいって具合になるというわけぢゃぁないことは百も承知している。ここで話しているのはあくまで記事の字面の話。

*3: 裁判のなりゆきは記憶から消えている。爺ぃですまんm(_ _)m。

*4: もっとも、あれは倫理学的議論であって法律論ではなかったけれど。

*5: この試みについては、「オランウータンに『iPad』を与えるプロジェクト」(WIRED.jp) はてなブックマーク - オランウータンに『iPad』を与えるプロジェクト « WIRED.jpに、このヴィデオよりは詳しい説明がある。