ポル・ポト

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 昨朝見た夢の一場面。例によって前後のことはよく覚えていない。

 

 天王寺動物園近くの広場だろうか、ヒトダカリが出来ている。何かと思って近づいてみるとポル・ポト毛沢東が将棋を指している。周囲を囲むヒトたちは、何かを囁き合っているような気配を立てているのだが、言葉は聞き取れない。何をどう考えてのことなのかはわからないのだが、二人に話しかけてみたような気がする。結構長い返事が二人から返って来たような気もするのだが、その中身はまったく覚えていない。けれど、何かヤバイな、ヤバイなという気分ばかりは躰にべっとりとこびりついていて、昨日はずっと気持ち悪かった。

 そういえば、分厚い将棋盤の脇には、

The learned are apt to despise the ignorant.

(学のある連中は無学なヒトビトをすぐ馬鹿にしちゃうんだよね)

と、英語の参考書にでも登場して来そうな文言が記されていたような気もする。形容詞に定冠詞の「the」がついて名詞化するとか何とか。しかしなぁ、なんだかこの二人をめぐるアレコレに変につきづきしくて厭な文句だと思ったのだ、たしか。

 

 それだけの場面なのだけれど、記憶にあるかぎりこの手のコンビが夢に登場して来たのは初めて。まず僕の夢に登場するようなタイプのヒトたちではない。奇妙なもんだ。こういう奇妙な夢を見ると、「夢のお告げ」みたいなことをついうっかり考え込んでしまいたくなったりしないでもない。

 

 関係ないのだけれど、

……そもそも、クメール・ルージュの指導者のポル・ポトマラルメランボーを読み解く仏文学の教授だったし、センデロ・ルミノソの指導者のアビマエル・グスマンはカントの空間論について博士論文を書いた哲学の教授だったんですから(笑)。

Les yeux clos: 果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか はてなブックマーク -  Les yeux clos: 果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか

と、ポル・ポトマラルメの研究者だったというような類の話をネットでは見かける。ググってみると(cf. google:ポル・ポト マラルメ)そのへん、すぐに確認できる。以前には僕もなんとなく信じていて、ひょっとして「与太」だかtwitterだかに書き込んだことがあるような気がする。けれど、どこで最初にその話を読んだのか聞いたのか、どうにも思い出せない。ということはつまり怪しい話ぢゃないか。

 ウィキpを見ると、

……奨学金で、パリへ留学。エコール・フランセーズ・デ・ラディオ・エレクトリシテで2年間の技術コースを受ける。フランスには1949年9月に到着した。留学中にポル・ポト共産主義者になり、新生のクメール共産主義グループに参加した。……(大幅に中略)

ポル・ポトは試験に3年連続失敗し奨学金を打ち切られたため1952年12月に船でフランスを後にし、1953年1月14日にカンボジアに到着した。ポル・ポトは、チャムロン・ヴィチェア(Chamroeun Vichea)私立高校で歴史の教師として働き始める一方、民主党で活動を行っていた。……(略)……しかし、パリ帰りのインテリでありながら政治教育、イデオロギー教育を受けられず、幹部やリーダーとして昇進できなかったことに深い恨みを抱いたようである。(以下略)

「ポル・ポト」(Wikipedia) はてなブックマーク - ポル・ポト - Wikipedia

といった具合で、おフランスざんすに関わるのアレコレはあるものの、文学や詩への関わりは確認できない。英語版 はてなブックマーク - Pol Pot - Wikipedia, the free encyclopediaでも同じような具合だった。もちろん、ウィキpの記述がどこまで信用できるかどうかというアレもありはするけれど、ネットに見られるマラルメの研究者だったとする類の話、まぁ個人的に研究していたってくらいのことならないとまでは断言しにくい話ではあるけれど、《マラルメランボーを読み解く仏文学の教授だった》というあたり、かなり怪しいのではないかしら。

 マラルメとなると難解を以て鳴らす面倒臭いヤツ、その論者さんにしたっておブランショデリダにテル・ケルと、さらに輪をかけて七面倒臭い筋の固有名詞が頭に浮かぶ。そういう代物の研究者が反知性主義で虐殺独裁者となると、現実としてはさておき、お話としては、そこはかとなくニヒルな雰囲気も漂って興味津々いささかおもしろ過ぎるくらいのものなんだけれど、うーん、どうもそういう具合に世界は出来ていないみたい。だって、これくらいおもしろい取り合わせが本当に存在しているなら、伝奇ぢゃないや、伝記的研究では大々的にクローズアップされていそうぢゃないかしら。そうなれば、ウィキpにだって当然なにがしかの記述は現れて良さそうな気がしないかしら。結局、《試験に3年連続失敗し奨学金を打ち切られ》るようなタマがよく扱い得るもんぢゃぁございませんという身も蓋もないお話に逢着することになりそうだ。

 これだから現実はツマラナイというと今回は不謹慎か、まぁ現実は頭のてっぺんから尾っぽの先まで現実なのですね。いやはや。

 

 お金持ちがお金持ちであることをイバるネタにすれば嫌われる。そこいらへんの話は世間様に通じがいい。でも、オツムの回転具合がいいヒトがオツムの回転具合をネタにイバると嫌われるということは、言葉としてはさておき、実際的にはあんまり通じがよろしくない。そこいらへん、気をつけないと反知性主義なんちゅうもんはいつどこでも跋扈することになる。

 知識とか知恵とかいったものにもお金と似ているところがある。たんまり身につけているヒトたちはそうでないヒトたちを見下す傾向があるというのは、夢の中の英文通り学の有無にも当てはまる。でも、たんまり身につけるに至ったプロセスは、お金も知恵もしばしば当人たちが思い込んでいるほど当人の努力の賜物っていうものでもない。生まれた時代と場所、あるいは出会ったヒト、あるいははたまた生まれつき親が金持ちだったとか頭が良かったとか、要するにアレコレ偶然に恵まれた運の賜物だということのほうがずっと多い。というか根本的にはそれに支配されている。そこいらへんをわきまえないまんまエバっておれば、そりゃぁいろいろ悶着が起こるだろう。

 貧困に喘ぐヒトたちは、騒動を起こしたり革命を望んだりする、あるいは、政治的翼の左右を問わずそういうことを仕出かそうとするヒトに扇動されやすくなる。それと同じように、頭の良いヒトたちがむやみにエバる環境に暮らしていると、別に持っている知恵をお金みたいに毟り取られるってわけぢゃないけれど、いろいろ腹の膨れる思いみたいなものを抱え込むことはあって、ついつい不穏なことを考えるヒトたちが出て来るというのもかなりの程度仕方がない、というか至って当然のことなのかもしれない。困ったことだとは思うけれど、そこいらへん、エバっているヒトがまずあれこれ考え直してくれないとどうしようもない。お金と違ってホイホイ再分配ってわけにもいかない。というかお金の再配分だってなかなかうまくいっているとは思えないもんなぁ( ゚д゚)クレ。

 とかなんとか、オツムの足りないアテクシが考えても仕方ない。夢のお告げなんぞはやっぱり根本的にアテになりやしないのですね。いやはや、やれやれ。

 と、そんなこんなで、オツムが足りてあり余っている方はせいぜい考えてやってくださいましな。

 

とっておきの穴熊退治 (マイナビ将棋BOOKS)

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 他人様ヒトサマが指しているのを眺めているのは嫌いぢゃない。天王寺駅から天王寺動物園に至る一画にある広場では、たまに実際にのんびり将棋を指しているおっさんたちを見かけることがある。ああいうの、眺めているのは好きだなぁ。将棋のことはなーにも知らない、駒の動かし方すらちゃんと覚えていないのだけれど\(^o^)/。

 ところで「穴熊」って何?