本日の海底隆起/戎島

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堺、戎島紡績所跡で眠るねこ様

 「海底が謎の隆起、海面10m超の高さに 知床半島の沿岸」(朝日新聞デジタル) はてなブックマーク - 海底が謎の隆起、海面10m超の高さに 知床半島の沿岸:朝日新聞デジタル「謎の海底隆起、300メートル超に 近くの町道は陥没」(朝日新聞デジタル) はてなブックマーク - 謎の海底隆起、300メートル超に 近くの町道は陥没:朝日新聞デジタルとの話、どうしたって連想は堺戎島のことに飛ぶ。

 しかし、元和の町割後、この『元禄二年堺大絵図』作製時までの最大の地形変化は、戎島の出現である。寛文4年(1664)8月*1、「俄然として一島嶼とうしょを湧出」すなわち海底の隆起現象が起きた。実際は、この戎島は市之町浜の北に接する半島状で、東西一町(109m)南北約三町(327m)の長方形を成し、その湾入を利用して新しい港湾がつくられた。(以下略)

中井正弘『南蛮船は入港しなかった 堺意外史』(澪標)、pp.68-9*2

といういつぞやご紹介した話。

 紹介した折にも《堆積し続けていた土砂がとうとう海上に顔を出しちゃったということかなぁとも想像してみた》とは書いた。実際一般には、

と考えられているみたいだ。大和川*3堆積物によって砂州が出来たと考えるのはやっぱりもっともなことだと思うのだ。けれど、やはりその折に記したことでもあるけれど、堆積物によって陸地が出来るような事態を指し示して《俄然と〜湧出》ってな感じで表現するのかどうか。昔のヒトのことだから……と考えないでもないけれど、「俄然」だけぢゃなくて「湧出」とセットになってるんだもんね。うーん、と未解決のまんま頭の中で転がしていたのだった。

 で、別に今回の知床での「海底隆起」と戎島の湧出が同じタイプの出来事だという証拠なんかな〜にもないのだけれど、《俄然と〜湧出》にこだわるとするなら、この《北海道の知床半島の海岸沿いに、1日の間に新たな陸地が出現した》ってあたり、すんごく気になる感じぢゃないか。《新たな陸地の規模は長さ300〜500メートル、幅約30メートルで、隆起の高さは10〜15メートルだった》という規模は、《東西一町(109m)南北約三町(327m)の長方形》と近いと見ていいのかどうかよくわかんないけれど、トンデモなく隔たりが遠いものって感じではないしぃ。

 現地を見た羅臼漁協の田中勝博組合長は「まだ少し動いているようだ」と話しており、町は現場付近を立ち入り禁止にし、釧路地方気象台に写真を提供するなどして情報収集を進めている。札幌管区気象台は「ここ1週間ほどの間に周辺で地震は観測されていないし、火山活動で何かが起きているというのもない。隆起の原因は分からない」としている。

「謎の海底隆起、300メートル超に 近くの町道は陥没」(朝日新聞デジタル) はてなブックマーク - 謎の海底隆起、300メートル超に 近くの町道は陥没:朝日新聞デジタル

という事の成り行き、その先が気になるってことでとりあえずφ(..)メモメモ。

 

 ついでながら、先に引いたツイート中、戎神の石像を海中より得たこと、のちに菅原神社に移されたことが記されているのだけれど、そもそも菅原神社だって元を正すと材木町の浜辺に流れ着いた菅原道真の木像を祀り始めたところに起源があったはず。あぁいうのって、昔は海難事故が多くて、貴重な品々が陸地に流れ着くことも結構あったってことなんだろうか、実際のところは。それとも縁起は何かと神秘的なほうがカッコいいからってんで、ムニャムニャムニャぁ……だったってことなんだろうか。浅草寺なんかも観音様が漁網にかかって云々みたいな具合だったし、目黒の行人坂だったっけかのとろけ地蔵も同じような云々だったよなぁ。そういうのってずいぶん多いんだろうか。たぶん、多いんだろうなぁ。調べる気はないけれど\(^o^)/、何となく気になる。

 

追記、ホイホイ補遺

 「知床の海底隆起、陸側の地すべりが原因か 専門家が調査」(朝日新聞デジタル) はてなブックマーク - 知床の海底隆起、陸側の地すべりが原因か 専門家が調査:朝日新聞デジタルという記事の存在、後になって気づいた。うーん、高低差が必要になる地すべりだとすると、戎島の隆起とは違うタイプの隆起ということになりそうだ。

 1664年頃の堺の地形を知っているわけではないけれど、地滑りが起こるような高低差があったという話は見聞きしたことがないし、大阪平野の成り立ちから考えて、そういう高低差があったことはなさそう。ひょっとして万が一、上町台地の南側につらなるほどほどの高台*4が……という気がしなくもないが、距離的にいくらか無理があるよなぁ*5。うーん。

 というわけで、やっぱり戎島は砂州なのだということになっちゃうのかなぁ。うーん、うーん。

 

南蛮船は入港しなかった—堺意外史

 

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 こちらは未見。

 

*1: 年月日原文縦書き漢数字。以下同様

*2: ただし、ここで参照されている史料が何なのか、ちょいと出典の記述から推し量りづらい。「堺港灯台起源沿革書」かな? とは思うんだけれど。

*3: これはうっかり。大和川が堺の海に流れ込むようになったのは、1704年の付け替え後の話だったのだったったぁ\(^o^)/。ってことは、ここでの堆積物は潮流に因るということか。

*4: 現在の大和川は1704年に作られた運河みたいなもん。現在は大和川によって分断されているけれど、本来、上町台地はずっと南のほうから現在の大阪市内に至る台地になっていた。今だって大和川以南にそういうほどほどの高台が連なっている。/つけ替え工事後の大和川でも、中流域あたりまでなら、20世紀に入ってだって地すべりがあったはずだけれど、そいつぁ何にしても17世紀の出来事とは関係ないよねぇ。

*5:cf. 【資料1】「1:25,000デジタル標高地形図」(大阪)から見える地形の特徴|国土地理院 はてなブックマーク - 【資料1】「1:25,000デジタル標高地形図」(大阪)から見える地形の特徴|国土地理院