何度見ても唸るネーミング。 pic.twitter.com/Vrpw7nj03A
— neanderthal yabuki (@nean) October 30, 2014
そう思いません?
Chiakiさんから《@nean 山号が気になります》とのお声あり。
というわけで……。
.@chiaki25 ご注文に応じまして。
— neanderthal yabuki (@nean) October 30, 2014
「法界山 泉勝院」と読めますね。 pic.twitter.com/JiJxxgHlUf
これはたしかに挙げておくべき山号。 《やはりスケール感ありますなあ》 とChiakiさんがおっしゃるのも
そういうお寺だから、
超善寺の狸。
— neanderthal yabuki (@nean) October 30, 2014
「南無阿彌陀佛」 pic.twitter.com/VvHWuRNQvd
というように、お寺のお狸様も余所のお狸様とはそこはかとなく格が違うような気がして来ないでもない。
というようないい加減なことを書きつつ、寺の縁起の類、全然調べていないというテイタラク。一応の寺の起源歴史の類は、山門脇に堺市が立てた案内で語られている*1のだけれど、「超善寺」という名の由来は出て来ない。いざとなれば寺のヒトに訊ねるという手だってあるのだけれど、調べてみるとたいていの場合、見かけほどの趣に欠けるというのが世の常だもんなぁ。まだしばらくは調べる手間はかけずに、無知の愉しみを反芻することにしておく。
仏罰が当たっても知らんぞ\(^o^)/。
*1:《法界山泉勝院超善寺は、天正年間(1573〜91)住蓮社存誉貞公上人の開創で浄土宗知恩院に属します。大阪夏の陣(1615)の時、第二世の念蓮社専誉は、弟子を携えて大和に避難、塔頭長泉庵の開基浄専は、本尊阿弥陀如来像を背負い末寺の河内大ケ塚の善性寺に逃れました。大阪夏の陣後、現在地に専誉が再建しました。寺宝には木造阿弥陀如来・裾取地蔵・賓頭盧尊者・弁財天・開山存誉上人坐像、阿弥陀如来来迎図等があります。境内には超善寺井と呼ばれる堺第一の清泉があり茶の湯や酒造り等に利用されていましたが、戦後寺地の一部に熊野小学校が建ち、井蓋をして埋められ、運動場となっています。/堺と友好都市提携の中国連運港市美術館主席、王 宏喜氏揮毫の「三国聖賢図」12面(本堂の襖絵と屏風)及び田室幾朗画伯の核絶滅悲願の現代地獄極楽油絵100号二面が所蔵展観されています。また一名堺千躰大黒天の寺ともいっています。堺の桜の名所の一つとしても有名です。》。最後の二文の取ってつけた感はちょっとなぁ。最後から2つ目のは「別名堺千躰大黒天の寺」として冒頭に移動。最後の一文は最後で構わないけれど、「また桜の名所でもある」とでもするべし。