火星探査50周年

 JPLYouTubeチャンネルで8月20日に公開されたヴィデオ。

 火星探査50周年なのだそうな。正確には50週年とひと月かしら。

 こういう場合の「探査」の意味はどういうものなのか知らないけれど、マリナー4号*1の火星へのフライバイを以て「探査」の嚆矢と見ているようだ。だから、50年前に火星の地上でゴソゴソ動くメカがあったわけではない*2。打ち上げは前年1964年、フライバイが65年7月。

 それにしても「マリナー」という言葉の響き、もうめちゃくちゃ懐かしいぢゃないですか。別に当時火星探査に興味を抱いていたわけではなくて、そんな高尚なことを考えていたはずもないわけで、たぶんテレビやラジオでその名前が頻繁に反復されたから、というだけのことなんだろうけれど。

 

 宇宙遊泳50周年に火星探査50周年。さらに69年の月着陸だって、もう4年ほどで50周年。だからどうしたというアレではない。とはいえ、昨今の宇宙開発ネタの、たとえばメディアでの取り上げられ方の少なさ、その少ないヤツからしてどうもおまけであることを超えていささか五月蝿いニッポンチャチャチャつきだというのがなんだか宇宙を宇宙と感じさせないヒトの卑小さを感じさせてくれて、いやはややれやれとため息をつきたいくらいの気持ちは動く。自分の子ども時分は実に宇宙宇宙していた時代だったんだなというような感慨めいたものが、どこからか湧いて来なくもない。

 20世紀に花開いた技術革新の類は素人目に見てもたいがいは目覚しいスピードで進歩していったように見える。それと比べると「宇宙開発」は、進歩、というよりもどことなく牛歩に近いように見える。もちろん、領域の通に云わせればアレヤコレヤの目覚ましさがあっての今日なのだということになりはするのだろうけれど。このあたり、自分の子ども時代、要するに60年代の、SFモノの、比較的近い将来を設定して宇宙に進出する未来を描いていたそのあたりの映像がしっかりと頭に刷り込まれてしまった分、感じなくてもいいはずのコントラストを感じてしまうということだってあるのだろう。牛歩と感じてしまうのは、そういう個人的な嗜好が娯楽に大きく偏っていたという心理的な問題にすぎないのかもしれない。

 

 実のところは、純粋な知的好奇心ではトンデモナい巨額の予算を動かす力にはならなかったということなのだろう。最大の「牛歩」の原因は、東西冷戦の終了。巨大な憎悪と猜疑心みたいなものが宇宙開発の原動力だったというのは、シニカルに考えたとしてもちょいと情けないような気がしないでもないが、これはこれで人類らしい歴史の進み具合なのだということなのか。うーん。では、純粋な理論的技術的観点が、もし無制限の予算によって鍛え上げられていれば事は大きく違っていたのだろうか。そんなことはまぁ僕が考えたって意味ないですけれど。

 

 今年は冥王星のフライバイをニューホライズンズが遂げたわけだけれど、50年後、まず間違いなく僕が生きてはいない頃、冥王星の地上を探査ロボットたちがやっとこアレコレ活動している時代になっているんだろうか。それとも、人類が知的好奇心に急遽目覚めて事がトントン拍子に進んで、火星のテラフォーミングくらいのことは始まっていたりしやしないかしら。始まってないかなぁ。始まっていたとしたら、知的好奇心によるよりも人類に迫り来るピンチか何かのせいだったりするんだろうか。うーん。いよいよ、僕が考えたって意味ありませんねぇ\(^o^)/。

 

 と、これだけぢゃつまんないので、今年になってからの火星関連情報リンクでも作ってみる*3

 

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)

 

 まずは古典ということで。故小笠原豊樹(岩田 宏)訳というところもポイントが高い。

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

 
火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

 

 未見だけれど、評判はいいみたい。リドリー・スコット監督で映画化が決まったとか何とかの話もある。早く読みたいぞ。近所の書店状況、どうにかなってくれ。さもなければ、アマゾンで買っちゃうぞぉ\(^o^)/。

 ついでながら、海野十三「火星探険」(青空文庫) はてなブックマーク - 海野十三 火星探険海野十三「火星探険」(えあ草紙) はてなブックマーク - 火星探険 -えあ草紙-も。

*1:cf. google:マリナー4号

*2: うんとお若い方にはこういうことも註しておいたほうがいいんだろうなぁ、そろそろ。

*3: 【復旧時註】すでにリンク切れもあるが、面倒なので放置してある。ごめんちょ。

*4: 実際には他国の科学(技術)上の成果にだって日本の報道が自国の科学(技術)上の成果に割くよりもずっと長い紙面というか頁面を割いているのだけれど。あと関連記事のところを見ればわかるように、ちゃんとマメに関連話題をフォローしてることがわかるしぃ。日本のだと関連記事の類のリンクを見ると、というかないことだって多いのだけれど、「関連」の括りが大雑把過ぎたり整理が雑だったりでツカエネーって感じること、多くありません?

*5:【復旧時註】共同通信の記事へのリンクはオリジナルのエントリでも貼り忘れていたかNYTの記事へのリンクと勘違いしたままだったみたい\(^o^)/。共同通信のオンライン記事はとっくの昔に削除されていると思われるし……というわけで、この部分はおバカを晒したまんまになっておりますm(_ _)m。