本日の読書感想文/人類とミジンコが似ているとして、

20150415012538

 基本構造がわかると、ミジンコとヒトとだって似ているって気がして来ないでもないでしょ?

 

 「本日の読書感想文/「感動」のポイントが見つからない場合の窮余の一策みたいなの(でもないかも)」*1で書いた話、例によって例のごとく、それどーなのぉ? というアレがあったのだけれど、実はそうそう特殊で変な話ではない。読書感想文は読む側からお話を考えるわけだけれど、逆にお話を書く側から考える教育が行なわれているフランスの例を見てみるといい。別に先のエントリ中の話が独創的で突飛な話ではないってことくらいはご理解いただけるんぢゃないかしら。

 物語の創作はどう指導されるのかその過程を見てみよう。ひとつのまとまった物語を作る場合には、物語がどういうものか、まず物語の「定義」を学ぶ。次に物語の典型的な「基本構造」を学ぶ。枠組みを理解したところで、与えられたワークシートに沿って幾つかの選択肢の中から内容の核を選びながら書く練習が行なわれている。ワークシートでは、最初の「状況設定」で「王・王妃・若い男・貧しい農夫・船乗り」などの中から主人公を選ばせ、次に何が主人公に欠けているか、何を達成しなければならないかを幾つかある項目の中から選ばせる。項目を見ると、いかにも物語にありそうな「智慧・知性・勇気・力」などが並び、敵対者の選択にいたっては「奇術師・悪魔・魔法使い・怪物」など典型的にパターン化されたものばかりが並ぶが、ここでもやはり物語というジャンルの規範への遵奉が第一と考えられているためであろう。五年生の児童に、「物語はどう書くの?」と尋ねると、まず物語を構成する五つの段階の名称をさらさらっと紙に書き、各部分の機能を説明しながら即興でお話を作ってくれた。その児童によれば、主人公が困難を乗り越えて問題を解決するのが物語であり、その過程で見方*2だと思った人に騙されたり、闘いに負けたりするが、最初は弱かったり無知な主人公が最後には様々な人に助けられて最初とは違った人間になってゆくのが基本構想*3だと言う。典型や凡庸を恐れず、むしろ目先の内容の奇抜さよりも「物語」という文章様式から普遍的に現れる「型とメッセージ」を忠実に伝えることに児童の関心が向いていることが窺われる。評価もこの点に注目しており、物語の創作を行ないながら、実際は規範と形式への忠誠が繰り返し問われる教授法が取られている。

渡辺雅子「日・米・仏の国語教育を読み解く」 はてなブックマーク - *4*5

 渡辺雅子の名前は、本家「与太」なんかでもずいぶん以前から複数回紹介してきた。覚えて下さっている常連さんも少しくらいはいらっしゃるのではないかしら、と思いたいのだけれど、どうかしら? というような話はさておき、物語の創作の授業がまさしくテンプレートに即して行われているというあたり、しっかり目を向けてみたい。

 「規範と形式への忠誠が繰り返し問われる」ってなことになると、面倒臭いなと僕だって感じるし、物語の基本構造が「五つの段階」あるとなると先立っての「3つの問い」はどうなるんだというような疑問を抱く閲覧諸賢もいらっしゃりはするだろうけれど、そこいらへんはとりあえずさておき、話の大筋としては興味深いものでしょ?

 五つの段階に関して説明した子どもくんだって《主人公が困難を乗り越えて問題を解決するのが物語であり、その過程で味方だと思った人に騙されたり、闘いに負けたりするが、最初は弱かったり無知な主人公が最後には様々な人に助けられて最初とは違った人間になってゆく》と語っている。つまり、五つの段階以前に

  1. 最初は弱かったり無知な主人公
  2. 困難に出遭う/味方だと思った人に騙されたり、闘いに負けたりするが、様々な人に助けられて
  3. 最初とは違った人間になってゆく

と、3つの段階にまずは整理できちゃうんだから、物語の基本構造の簡易版としてはそんなに悪くないんぢゃないかな、「3つの問い」でも。

 というような細かなこともさておき、ついでにこういうテンプレートにあてはめて書く訓練についての細かな是非の話もさておくとして、基本構造の存在をじっくりと知ること自体は、物語を味わったり、基本をはみ出そうとするチャレンジの質を見極めたりする目を確実に養うんぢゃないかしら。自由に感じたままを書きなさいという形で課される読書感想文、実はしっかり教師なり両親なりが周囲に漂わせている空気を鋭敏に嗅ぎ取って書き上げなきゃいけなかったりするでしょ? そういうモノの感じ方も、やたらと「絆」が強調されるところのシガラミに満ちた社会では重要だったりしたのかもしれないけれど、もうそこいらへんのことは「私たちの道徳 小学校5・6年」(文部科学省) はてなブックマーク - 私たちの道徳 小学校5・6年:文部科学省あたりに任せておけばいいぢゃないですか。せっかくトンデモ大賞2015を受賞したんだしぃ\(^o^)/*6

 小学校5年、6年あたりの「音楽」であれば、ハ長調でG7コードとくればCが来て解決っていうようなあたり、用語は少々違うかもしれないけれど、僕らの世代なら「属七の和音」*7がどうたらこうたらという形で習ったりしたぢゃないですか。で、それを知っていれば、D7が来てGに落ち着いたりB7からEで終わってもキーが変わっただけでコード進行の性格は同じだなとわかるし、少々オシャレに出来上がったコード進行、たとえばDm7 on GときてCmaj7やら9thつきのやらが来たってまぁ同じようなもんだなということがすぐ理解出来たりする。そういうのを型にはまっているから良くないとかいって批判するヒトはそんなには多くないんぢゃないか。自由が大事だからといって12音階技法*8とかで作曲したメロディを作曲の宿題で提出した児童がいたりすると、むしろ困惑するか怒り出すかする先生もそれなりの数、出て来るんぢゃないだろうか。

 同じようなものとして物語の基本構造はある。こう書かなきゃ間違いなのだぁ!と、ある日突然だれかが唱えだした珍説ではなくて、昔話の研究から見出されたもの。多くの音楽がこういうふうに和音をつなぐと自然だよね、というのを後からまとめてG7の次はCだよねというふうに云ってるのと同じ。だから、物語を読んで何か作業をしなきゃいけないってときにそいつを知っておくことはそう悪いことぢゃない。ソレを知っていればいくらか楽になる作業に知らせぬまんま無手勝流で臨ませ、さらに結果に関しては実は無手勝流を許さない評価が下されるっちゅうのは、子どもからすれば、それはなんちゅうトラップですかということになって当然ぢゃないか。

 というわけで、「本日の読書感想文/「感動」のポイントが見つからない場合の窮余の一策みたいなの(でもないかも)」で書いた話は、そんなにトンデモない話でもないので、少しくらい信用したからといってもバチは当たらないと思いますです。

 

納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル

納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル

 

 本書、あるいは同著者による『キャラクターメーカー』(星海社新書)の読者なら、引用中に登場するワークシートの内容にクスリっとくるところがあったんぢゃないかしら。

小説から遠く離れて (河出文庫)

小説から遠く離れて (河出文庫)

 

*1:【復旧時註】現在(2019年2月16日)未復旧。

*2: ママ。

*3: ママ。「基本構造」?

*4: PDFファイル下部の表示ではpp.585-6、PDFファイルではpp.13-4

*5: ついでながら、本論考の概略を手っ取り早く見渡すには、渡辺雅子国際日本文化研究センター助教授「日米仏の思考表現スタイルを比較する── 3か国の言語教育を読み解く──」(ベネッセ、PDF) はてなブックマーク - のインタヴューが便利かも。でもまぁ、こういう話は概略だけ知ってもあんまり意味ないような気がする。議論の入り口までというところ。

*6:cf. トンデモ本大賞2015は『私たちの道徳 小学五・六年生(文部科学省)』に決定! - Togetterまとめ はてなブックマーク - トンデモ本大賞2015は『私たちの道徳 小学五・六年生(文部科学省)』に決定! - Togetterまとめ

*7:cf. google:属七の和音

*8:cf. google:12音階技法