本日の備忘録/バベルの仏塔

 単純にメモでございますm(_ _)m

 

 まずはイギリス製のお絵かきAIロボットがエジプトでスパイ扱いされたというお話。

 モデムとカメラを搭載していたことからスパイ計画に関わっているのではないかとの疑いを招いたとかなんとからしい。10日間勾留の後解放され、無事に本来の目的であったギザのピラミッドでのアートショー参加には間に合ったんだそうな。製作者ではなくロボット自身が勾留されたみたいなんだけれど、一体どういう取り調べが行われたんですかね?

 Ai-daと名づけられたこのロボットは、カメラに捉えた対象を絵画のみならず彫刻作品に仕上げるもので、AI部分はまだまだ更新し続けているとかなんとか。ということは分解点検調査が行われたということなんだろうか? しかし、自由に移動さえできそうには見えないこのロボットがどうやって具体的な諜報活動を行い得るものなのか。国境警備隊とグルになった主催者側の、アートショーの宣伝効果を狙ったプチ陰謀だったんぢゃないかというようなことを、ついうっかり考えないでもないぞ\(^o^)/。

 本当に間諜が務まるようなAIロボットには、一体どういう機能やら形態やらが必要になるだろうか? ってなことを考えたりもするのだけれど、単体で間諜というのは相当難しいよねぇ。

 しかしなぁ、AIロボットにアートを制作させるとどういうイイことがあるのか。そのへん全然ピンと来ない。適当な模様を描かせるという程度を超えたところって何なんだろう? ヒトに似せた身体めいたものの必要性って何なんだろう? そのへん、あんまり明瞭な説明が出来ていないんぢゃないか。単純にAIにプリンタ、3Dプリンタを接続するだけではなぜいけないのか。そのくらいのほうがスパイの嫌疑も受けにくくて面倒は少ないような気がするぞ。大いにするぞ。

 とはいえ、このお絵かきロボットが近所にでもやって来たら、僕だって間違いなく見物に出かけるだろうから、興行的には「イイこと」があるってことにはなっちゃうのかな\(^o^)/

 まぁ、AIロボットに限らず、カバのボディーペインティングというかフェイスペインティングというかの意味だってアテクシにはわかりかねますがぁ\(^o^)/

 

 続いては、宗教にもたらされるAIの影響について。

 上に先立って公開されたBBC日本語版に「神とロボット AIは宗教を変えるのか?」(BBC News Japan、YouTube)があるのだけれど、そちらは3分12秒とグッと短くなっている。英語版のヴィデオに日本では障りがある内容があるとも思えないけれど、どういう事情があったのかしら?

 

 登場するたいていの話はよくある論点整理を超えるものではないように思える。ただ一点、高台寺僧侶の後藤典生が語る「ロボットは死なずにずっと考え続ける」というところが目を引いた。もちろん、一言でAIといってもいささか広うござんすってあたりがあるもので、現在のいくつかのタイプのAIを思い浮かべるかぎりでは後藤氏、いささか幻想が過ぎるのではないかというような疑義をぶつけることは簡単である。けれど、実際のところ現状のAIだって「Delphoi 42」で取り上げたAIの思考の不可知とも見える部分のことを考えると、AIとヒトとの、どうしてなかなか侮れない蒟蒻問答くらいは出来ちゃうんぢゃないかと思えてくる。AI vs. AIで蒟蒻問答を反復すれば、追々人類では到底理解できない42めいた問答が続々生まれてくるというような想像はなかなか禁じ難い魅力がありやしないかしら? 生老病死を免れた存在者の考える仏教というのもなんだか奇妙な気がしないでもないけれど。

 

 そういうことを考えるときに気になるアレコレの一つとして、「Adoの『うっせぇわ』AIにはつくれない 人工知能学会の野田五十樹会長インタビュー」(47NEWS)にある《AIはコピーはできるが新しい創造はできない》というような議論がある。一定のルールを学習して、そのルールの中で非常に洗練された手を案出出来ても真に独創的な何かを生み出すことはできないというような考え方だ。少し以前の《コンピュータはプログラムされたことを完璧にこなせても、創造性のある振る舞いなんぞ出来っこない》といわれたコンピュータ批判のAIヴァージョンである。「うっせぇわ」が音楽の一般的ルールをぶち破る創造であったかどうかも疑問であるような気もするし、ヒトだってたいていの場合「真に独創的創造的な何か」を生み出したりはしないのだから、ヒトと比較する限りにおいては、AIもやっぱり馬鹿に出来ないんぢゃないかと思える。

 楽典やら音楽理論やらを学習させたり特定の作曲家の作風を学習させたりといっただけのことであれば、特定のルールに則った新しい作品を生み出すといった範囲に留まるかもしれない。実際、たとえばビートルズ風の作品を生み出すAIなんちゅうの、たしかあったよねぇ?*1 それだって、学習させる作曲家の数を増やしてじゃんじゃん作り続けさせれば「うっせぇわ」を作るくらいの創造性は発揮出来ちゃうかもしれないという気もしなくはないかもかも。だって「Delphoi 42」でも見たように、ルールを学んだに過ぎないディープ・ラーニングからだって、囲碁のプロから「わけがわからない。人間が打つ囲碁と同じ競技とは思えない」なんて感想を引き出すことが出来たんだもんね。たっぷりと時間をかけて猿にタイプライターを打たせ続ければ、うっかりするとバベルの図書館くらい出来ちゃう理屈かな、いや、それはまた別の話か。

 さらに進んだところで、たとえば音楽史の中で音楽を組み立てるルールがどのように変容してきたか、謂わば「ルール変容のルール」をも学習させた場合はどうだろうか。音楽は、仮に西洋音楽に話を限ってみても、昔から今日の形をとっていたわけではなく、和音一つとってみても捉え方、考え方はいろいろ変化して来たらしいぢゃないか。そういうルールの変容そのものを、どういうふうにしてだかはいろいろ面倒がありそうだけれど、学習すべき対象に含めた場合、まだ探求されていない音楽の可能性を洗い出す程度のことは出来ちゃうんぢゃないかな。素人考えとしては、その程度のことなら現状のAIに出来てもバチは当たらなそうに思える。出来上がった音楽がヒトの耳に心地良いかどうかはさておき^^;。

 

 それと同じように、宗教の経典を学習するだけであればAIに期待出来る蒟蒻問答もたかが知れているかもしれないが、その解釈の歴史やら宗派の分裂の歴史を学習させてみた場合、ヒトがそれを受け入れるかどうかはさておき、ずいぶん興味深い新たな教義だって生まれ出て来ないとも限らないんぢゃないか。あるいは、深層学習したAI同士碁の試合を重ねることでさらに打つ手を洗練させていったみたいに、そのような学習をさせたAI同士で蒟蒻問答を重ねた場合ならばどうなるのか。永遠に死ぬことなく問答を重ね続けるAIを想像してみることは、考え出される新たな教義の当たりハズレとは関係なく、落語を超えたおもしろいことになりゃしないかと思うんだけれど。ダメですかねぇ? ダメかなぁ。うーん。

 

立ち読み課題図書、その他

 「至高の文章術」とは大きく出ましたね。

 

 

 タイトルの勝利。11月16日刊行予定。

 

 11月26日刊行予定。

 

*1: あった、あった。「AI作曲の“ビートルズ風”新曲、Sony CSLが公開(けっこうそれなり)」(ITmedia NEWS、2016年9月23日)。全然気づいていなかったのだけれど、今年に入ってからも、「人工知能(AI)を使って生成したビートルズ風楽曲のアルバムが話題に」(amass)なんちゅうニュースがあったのだった。