本日の備忘録/ロボットにとって顔とは何か? その2

 「本日の備忘録/Over the Uncanny Valley」の補遺で取り上げたReutersのヴィデオの日本語版が7日公開されたのであげておく。

 先のエントリに追加する形でも良かったのだろうけれど、CEOの話について考えているうちに、また余計なアブクの考が湧いてきたので別立ての記事とすることにした。

 気にかかったのは、アメカ(Ameca)のデザインに際して、《性別や人種にとらわれないものを目指した》という言葉だ。なるほど、2014年、日本の人工知能学会誌表紙に、女性型アンドロイドが箒を手にしていたことが問題視された騒動みたいなもの*1を考えると、人間的な性別や人種を想起させるデザインはマズいものになる可能性は高いに違いない。たとえば、白人家庭で用いられる家事に当たるロボットが、黒人、あるいは黄色人種の女性をかたどったものであった場合、強い批判を招くだろうことは想像に難くない。

 しかしそのように考えるのであれば、ヒトビトの生活の中に入ってゆくロボットに、本当に人間らしい顔面が必要なのかどうかは改めて考え直されていいのではないかというふうにも思えて来る。

 「改めて」というのは、このあたりについては一度、「本日の備忘録/ロボットにとって顔とは何か?」でも触れたことがあるからである。問題は2点。一つには顔面の外装がいかに精緻に出来上がっていたとしても、その精緻に見合った顔面の制御が現時点ではできないのではないか、二つには外面の精緻に見合った内面の精緻を、そもそも現在の人工知能は持っていないのではないかという、主としてAIロボット側の技術的な不足があると見ていたわけだ。

 そういう観点からすれば、AIロボットの表情は、少なくともさしあたり、リアルなヒトの表情の再現よりも、確実な記号的伝達機能に重きを置くべきだと考えられるのではないか、みたいなことをうだうだと読みづらい文章を綴ったのだった。

 で、「改めて」考えてみると、アメカのおかげで、顔の表情の制御技術はひょっとするとほとんど解決してしまったかもしれないことが大きな変化として挙げられる。その点では、AIロボットの表情の精緻化へと技術的な進歩があったといえるのかもしれない。けれど、同時に先のエントリでは顔面そのもののデザインが持つ社会的な意味については考えていなかったことが明らかになったわけだ。不気味の谷を超えてヒトへの類似の度合いを高めてゆくということは、ヒトの顔貌かおかたちが持つ社会的な意味の中にロボットの顔貌も参入していくことになるということであるわけだ。これは結構微妙な問題かもしれない。通常のヒトの生活に入り込むロボットにとって、将来もヒトに精巧に似せた顔を持たないほうが面倒な問題は少なかろうということになるのかもしれない。

 とするなら、やっぱりマンガ的な記号表現をも含む表情表現や、単純化されたJiboの顔面表現は優れたものだってということになりやしないか*2

 

 たまたま目にした「手ぶらで買い物 大阪・ミナミで“顔パス”実験」(テレビ大阪ニュース、YouTube)*3で思い出したのだが、昨年末の報道に次のようなものがあったのだ。

 本人そっくりマスクを使えば「顔パス」を突破できたりやしないか*4というような、例によっておバカな思いつきによる想起に過ぎない。

 そんなことよりも、このそっくりマスクをアメカの顔面の外装に使ってみてはどうかというような、さらなるおバカな思いつきを得たのである\(^o^)/。そんなことをすれば、ロボットの顔貌のデザインとして問題を起こすこと請け合いだと思いもする。けれど、使い方次第によっては問題は最小限にとどめつつも、1500万円以上もの出費を、ヒトにホイホイなさしめるには、実は手っ取り早い方途になるのではないか。

 ここで引っ張り出してみたいのが「降霊術2.0」ネタである*5。つまり、すでに亡くなったヒトの顔をインプリメントしたAIロボットの可能性である。生前の本人の話したり書いたりした言葉やその折々の仕草を学習させたAIとそっくりマスクを装着したアメカタイプのロボットの組み合わせだ。

 著名な大企業の創業者や経営者、社会的に発言を求められることの多い文化人のことを思い浮かべてみるといい。そういう人物の考え方を本人の口から聴いてみたいと考えるヒトも少なくはないだろう。たとえば、先日偲ぶ会の報道のあった瀬戸内寂聴*6。生前の言葉を残した書籍類や映像類も多く、ファン、あるいは檀家も結構な数に上るように想像される。とすれば、残された言葉やしぐさを学習したAIも比較的には作りやすいかもしれない。そういうAIを備えそっくりマスクを装着したアメカが作られたなら、多くのヒトを惹きつけることができるのではないか。説法なり人生相談なりができるとするなら、それなりのヒトビトに受け容れられたりしないだろうか。そういうロボットが同宗派宗旨の寺々に配備されるならば、それらの財政を改善する一助となる可能性だってあるかもしれない。

 もちろん、「本日の備忘録/VRと、想像力とかエンパシーとか」冒頭で紹介したような「VR」の活用によってほぼ同じようなことが出来ないわけではない。しかし、あの場合、語り手を作るためにコピー元とでもいうべき生きているヒトが必要だった。亡くなった後から、ということになると、映像によってかロボットによってか、ということになる。映像によってということになれば、「本日の備忘録/降霊術2.0、その後」で紹介したような技術を使うことになり、ロボットによってということになれば、そっくりマスクを装着したアメカを使うことになるという具合だ。初期コストやメンテナンスは、アメカのほうがずいぶん高くツキそうだが、発揮する心理的な効果となるとどうだろうか。

 そこいらへん、比較したデータを知らないのだけれど、たとえば「本日の備忘録/バベルの仏塔」で紹介したサント(SanTo)やマインダーという観世音菩薩ロボのような、ヒューマノイドロボットがすでに用いられていて話題を呼んでいることが思い起こされる。そういうところで、映像による説法する者や仏の提示ではなくロボットが採用されたというあたり、少なくとも宗教の側からはロボットのほうに優れた成果*7を期待しているということかもしれない。ひょっとすると期待するだけのデータもすでに採れていたりするかもしれない。もしそうであるならば……。

 

 で。

 AIロボットの顔がどのようなものであるべきかは、その用途によって異なってくるというのが、今回の結論ということになるのかな。ちょっとあんまりに当たり前過ぎちゃうな\(^o^)/。

 

 何にしても、故人が自分の擬似的な複製製作を望んでいるかどうかという大問題があるし、僕自身には試行するだけの素養も資本もない以上、こうしたアレコレはアブクの考の域を出ないに決まっているんだけれどぉ\(^o^)/

 

 とそんなこんなで、アメカを眺めながら、降霊術2.0の可能性の高まりをしみじみ感じ入ったりする年の瀬でございますm(_ _)m。

 

立ち読み課題図書、その他

 そうなんだよなぁ、わかんないんだよなぁ~。

 最近では図鑑で確認するより、写真を撮って適当なところにアップしてGoogleの画像検索に頼るという、なんだかひどく面倒臭い方法に頼ることが増えて来ちゃった気がする。ハンディな図鑑でホイホイ調べられればいいんだがなぁ。

 

 20年くらい前に出ていてくれたらなぁ。大昔からの常連さんの中には、ひと頃の僕の関心事に重なるテーマであることを覚えてくださっている方もいらっしゃるかしら? グラフの起源問題あたり。

 懐具合と相談の上、これは買いですかね。うーん。

 

 読まなきゃ読まなきゃと思いつつ、はや一年。シリーズ第2弾『まんが訳 稲生物怪録』(ちくま新書)が出ちゃったというテイタラク\(^o^)/。