本日の読書感想文/妄想ドクショ感想文とか

というツイートが話題になっているらしい。しかし、取り上げられ方はどうもこの先生のお書きになった趣旨とは異なった形になっちゃっているみたいだ。先生は続くツイートで、

と語っておられる。つまり、読書感想文にテンプレートがあること自体を今さらのように嘆いておられるのではなく、たぶん提出されたレポートか何かがものの見事に読書感想文と同じ発想で書かれていることを《「読書感想文」の呪縛恐るべし》と語っておられるのである。

 ところが、「小学生向けの教材に読書感想文のテンプレが存在する…賛否分かれるTL」(Togetterまとめ) はてなブックマーク - 小学生向けの教材に読書感想文のテンプレが存在する…賛否分かれるTL - Togetterまとめに目を通せばわかるように、議論はテンプレの存在そのものの善し悪しになっちゃってる。しかも何かとシニカルなネット民にしては珍しく、テンプレの存在に対して否定的なコメントがずいぶん多数に及んでいる。ひょっとするとまとめ主さんの選択にもよっているのかもしれないけれど、まぁ目を通せば驚くことになる。

 僕も当初はこのまとめを目にして、

小学生向けの教材に読書感想文のテンプレが存在する…賛否分かれるTL - Togetterまとめ

書き方が必ずしも学校で教えられていないんだし、塾で教えるのもせいぜいこれと似たり寄ったり。何をどう布置して書くかのヒントとしては、そうそう目くじらを立てなくてもいいのでは。

2015/08/13 11:49

というようなブコメを書いていたので、コンテクストを外した受け止められ方については大口を叩く資格はない。ただ取り上げられた件のツイートの結び、こうした解釈では筋が通らないので、ツイート主の先生のアカウントページを覗いて続くご発言を知ったというところ。

 

 大口を叩く資格がないので、ネット民の軽佻浮薄な情報受容について議論はしない。軽佻浮薄なネット民の一人として、読書感想文の「テンプレ」問題について何となく軽佻浮薄ながらに思ったことをメモしておく。

 「テンプレ」への批判的な言葉を目にしながら感じたのは、毎度ながら教育の現場を具体的に想像されることなどないのだな、ということだ。

 スゴく単純なことなのだけれど、「読書感想文」なる文章は、通常の生活を送る人類ならば日常的に目にすることのないものなのだ。仮に例文の2例3例を見せられるようなことがあっても、それだけでは、だれに向けて何のために書くものなのかの見当を子どもが自力でつけるのはむずかしい。感想を抱くということと感想をヒトに伝える文章を書くということの間にどういう隔たりがあるのか、そういう書き方の要諦もわからないままに宿題として読書感想文が宿題として課されるなんちゅうのは、ほとんど『妄想ニホン料理』の世界ではないか。たしかに《誤解は発明の母。「正解」を知らないからこそクリエイティブになれる!》*1かもしれないが、真にクリエイティブなものは、既成概念に凝り固まったヒトビトとの面倒な葛藤を不可避とするものであって、学校の先生なり、うっかりすると第一の読者になりかねない自分の親なりと、そういう葛藤を経験しなければならない子どもたちの立場を考えたとき、同じような「テンプレ」批判が展開できるのかどうか。

 そのへんを考えないままになされる批判というのはお話になりませんね。

 しかも「テンプレ」の中身を詳細に検討すれば、空所を埋めてそのまま400~1200字の規定字数を満たす文章を仕上げられる子どもも実はそうそう数多くはなかろうという見当もつく。したがって、実際的には「テンプレ」はテンプレートと呼び得るようなシロモノではなく、下書き作成メモとでもいうべき水準に留まっている。そういう意味でなら、この「テンプレ」は結構よく出来ているといっても大過ないのではないか。「テンプレ」の空所を埋めてなお子どもたちにはこなさなければならない作業が残っているわけだ。

 実際のところ、見ればただちにわかるように、写真の教材は「テンプレ」ではなく「感想文の書き方」として作られている。簡単に感想文の骨格を示しているにすぎない。大体こういう要素とこういう手順が必要ですよ、と教えているだけなのだ。

 もし、この「テンプレ」に対する批判があるとするなら、まず第一にあげられるべきは汎用性の欠如だろう。この「テンプレ」はあくまでも物語を前提にしたものであって、たとえば、

ちいさなちいさな―めにみえないびせいぶつのせかい

ちいさなちいさな―めにみえないびせいぶつのせかい

 

のような今夏の小学校高学年向け課題図書に、そのままで対応することはむずかしい。解説説明文的な図書も感想文の対象書籍になる以上、これは小さくない問題点になる。あるいは、これは現状かなりの程度仕方ないのかもなぁ、と思わないでもないのだけれど、内容至上主義的な観点でのみ作品が捉えられていること。表現の形そのものを無みするものになっていることも、個人的にはものすごく気になる。最終的には内容に還元して捉えられるとしても、表現の形が考えられない鑑賞ってのはどうなのよ、って気になる。

 その他いろいろ、気になる点もないわけぢゃないんだけれど、それでもこういう書き方の目処を与えてくれる教材があるというのは悪いことだとはいえない。「妄想ドクショ感想文」を子どもに書かせて愉しもうというのでなければね。

 

 他にもネット上で散見される感想文の捉え方には気になることがいっぱいある。子ども時代の自分がどんな状態だったか忘れているか、子ども時代は神童だったヒトが多いんだろうか。まずそもそも本を讀むための身体訓練みたいなの、つまり机の前に座ってじっとしているという状態*2が維持できるかどうかみたいな身体的水準からクリアしなければならないアレコレを抱えている子どもだっている。書き言葉という面倒なシロモノに対するそれぞれの成熟具合も子どもによってずいぶん開きがある。結局、いい加減で中途半端な指導の下、何となくわかったようなわかんないような気分で周囲の評価を手探りしながら毎年感想文を書いているうちに、なんだか妙竹林な具合に「呪縛」されるというテイタラク。結果として(なのかどうか)9月1日未明の自殺者急増の一因になるのが関の山。

 そういうあれやこれやを考えると、読書感想文の宿題なんてやめちゃえばいいのに、って気分にもなる。それぢゃぁせっかくの長期休暇の間、一冊の本も読まない子どもだって出て来るんだろうけれど。それはそれでまた別に考えなきゃいけないんだよね、たぶん。

 というとこいらへんで、例によって面倒臭くなってきたので、本日はこれにてオシマイ!

 

川上弘美書評集 大好きな本 (文春文庫)

川上弘美書評集 大好きな本 (文春文庫)

 

 感想文の参考にはならないと思いますけれど、お薦め。

読書癖〈1〉

読書癖〈1〉

 

これも参考にはならないと思うけれど、いいなぁ。新本が出回っていないのが残念。

*1:cf. 妄想ニホン料理 - NHK はてなブックマーク - 妄想ニホン料理 - NHK

*2: 別に机の前でなくてもいいし、立った状態でもかまやしないけれど。