本日の埋草/幾何学模様としてのボディーガード

 4月27日韓国北朝鮮首脳会談の折の映像、YouTubeでの観察範囲内から適当に拾ったものを再生リストにまとめてみた。AFPのように埋め込み再生出来ないものは除いてある。今のところ、CNNのYouTubeのチャンネルでは公開されていないみたいだけれど、「See Kim's security guards run alongside limo」(CNN)hatebuと自社ページで取り上げている。

 

孔明の罠、引用用

コンテキスト的に無理筋か

 世の中の大概について疎いのだけれど、とくにこういう方面のことはさっぱりわからない。だから、母が見ていたテレビにコイツが映っていたときも奇妙なものを見たという印象以外何も思い浮かぶ事柄がなかった。でも、そういう印象を抱くヒトは存外多かったということなんだろうか。ネット上観察範囲では、日本や中国のメディアのYouTubeチャンネルが取り上げた例が見当たらない。そういう地域ではさほど奇妙でもなかったということなんだろうか。政治的な扱いに困るような微妙なところがあるということなんだろうか。

 実際のところ、今日的な暗殺手段を駆使すればこの程度のボディーガードがいようがいまいが危険性にさしたる違いは生じないように、少なくとも素人目には見える。それとも素人には推量り難い効用があるのだろうか。外交の場でウケがとれるとかそういうありそうにない公用以外全然見当がつかない。

 それでもなんとなく思い浮かべたのがアンドリュー・パーカー『眼の誕生』に出ていた話。

 オーストラリア大陸の入植者たちは、1930年代にパプアニューギニア高地へと分け入り、そこでまだ石器時代のくらしを続けていた人々に出会って驚愕した。そこにいた部族は、平和と戦争状態とを交互に繰り返しながらくらしていたのだ。

 ニューギニアでは、1980年代末にいたるまで、戦いに槍、矢、楯が使われていた。楯は樹木の幹を削ってつくられ、通常、それをもつ人間の背丈ほどの高さがあった。そして楯には、地元で採れる顔料を使って幾何学模様が描かれていた。人類学者たちはさっそく、その模様の意味を解釈しようとしたが、それはまるで見当違いの試みだった。もともと模様には意味などなく、ただ敵を威嚇するために描かれたものだったからだ。戦士たちは自分の体にも彩色をほどこして、「恐ろしげな輝き」を与えていた。楯をたずさえた戦士の派手ないでたちは、祖先の霊に守護されていることを敵に知らしめるものであり、長い槍が恐ろしさを増強させていた。彩色は、戦士の恐ろしさを誇示するための警告色だったのだ。その一端を担う武器も、装飾だった。戦士の彩色には、戦いをまじえずして敵を降伏または退散させる効果もあったのかもしれない。

 よろいすたれてからも、19世紀に入るまで、ヨーロッパの軍隊は警告色を採用していた。赤と白の派手な軍服と背の高い軍帽には、敵に対する警告メッセージが込められていた。従来の鎧と同様に、大きな軍帽には、体を実際以上に大きく見せる効果があった。大きければ大きいほど、敵に与える脅威も増す。また、非の打ちどころのない軍服姿は、完璧に統制のとれた軍隊を象徴するものだった。当然ながら、果敢な機動作戦に出てくるにちがいないと、敵は警戒する。それこそが、使命を自覚した軍隊の姿でもあり、ともかくも敵の目にはそう映る必要があった。

アンドリュー・パーカー『眼の誕生』渡辺政隆・今西康子訳、草思社、pp.129-30

 パプアニューギニアやら18世紀のヨーロッパ軍隊やらを持ち出したりするとお叱りを受けるかもしれないけれど、まぁ思い起こしちゃったんだからしょうがないですね。何かしらそういう人間の原始的感情に訴えかけるような力ならひょっとするとあるのかもしれない。というか今日に21世紀において何がおっかないかといえば、非合理でわけのわかんないものほどおっかないものはない。なんで意味なくボディーガードがリムジンといっしょにジョギングしていなきゃいけないのか。実に狂気じみた振る舞いではないか。これほど今日周囲を威嚇するやり方はないのかもしれない。12人のボディーガードは、いわば楯に描かれた幾何学模様なのであって何か合理的な意味を読もうと思うのは「見当違いの試み」ということになるのだな、たぶん。

 

 首脳会談の成果について論評しない。僕がしたって意味がない\(^o^)/。ただし、変わるときは急に変わるのが世の常。そういうとこいらへんを心にとめておくくらいはしておきたい。それくらいの感想は書いておいてもバチは当たらないかな。

だな。

 

眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

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 どうも未だ文庫化も電子化もされていないみたい。おっもしろぉいのにぃ。手許にあるやつの奥付を見ると《2006年3月3日 第1刷発行/2006年3月24日 第2刷発行》とある。その後の増刷具合は知らないけれど、単行本の売れ行きとしてそんなに悪いものではなかったんぢゃないのか。翻訳権の延長が取れなかったとか内容が致命的に誤っていたというような話も聞かない。草思社なら草思社文庫で出しちゃったほうが儲かるんぢゃないのかなぁ。そういうもんでもないんですかね。う~ん。